« 『「世界征服」は可能か?』岡田斗司夫 | トップページ | 「ネット時代の反論術」仲正昌樹 »

2007年8月26日 (日)

涼宮ハルヒの分析

「涼宮ハルヒの憂鬱」はオタク向けのライトのベルが原作のテレビアニメで、世間でもだいぶ流行っているようで、今さらぼくのような門外漢が「分析」なんてしてもしょうがないのですが、まぁ練習ということで書いてみることにします。
実は、中2になる甥が突然アニメにはまったらしく、先月帰省した際に「面白いから」ということでこの「涼宮ハルヒの憂鬱」のDVDを帰り際に渡されたのでした。
しかしそれはいかにも今風のオタク向けアニメで、今さら見てもつまらないだろうと思い、でもちょっとだけ目を通しておこうと早送りしながら見ていたら、意外に面白くけっこうハマってしまったのでした(笑)

--

ぼくはいちおう「オタク第一世代」ということで、「子供向けのアニメを大人が楽しむ」ということを最初に始めた世代に属するのだけど、オタクと言われるほど没入してたわけじゃないし、アニメは数が多い割には面白い作品はごく一部で、そのうち飽きてすっかり見なくなってしまいました。
そういう立場のぼくが「涼宮ハルヒの憂鬱」を見ると、実はいろいろな「仕掛け」がしてあるのに気づき、それが面白かったりするのです。
仕掛けのひとつは、作品中に昔のアニメの要素がいろいろ散りばめられていて、そういうものが「分かる人にはわかるでしょ?」という問いかけになってることです。

たとえば、話を途中まで見てると突然、この物語が押井守監督のアニメ映画「うる星やつら・ビューティフルドリーマー」の設定を「真逆」にアレンジしてることに気づくのです。
「うる星やつら」は高橋留美子のマンガで、「ビューティフルドリーマー」はその設定に基づいた押井守によるオリジナル物語です。
「うる星やつら」の主人公のラムちゃんは宇宙人の少女で、空を飛んだり電撃を発射したりする超能力を持ち、宇宙船や光線銃などの未来的テクノロジーを駆使し、他の宇宙人の友達もいっぱいいて、そういう破天荒なキャラクターが女子高生となり、平凡な日常でドタバタを演じます。
で、「ビューティフルドリーマー」というのは、ラムちゃんは実は「平凡で楽しい高校生活」が永遠に続くことを望んでおり、その「夢」が実現してしまった世界に周囲のキャラクターが閉じ込められてしまい、そこからみんなで何とか脱出するというお話です。
これは今から考えると「終わりなき日常を生きるしかない」という、ポストモダン的世界観の先駆けのような表現です。

で、一方の「涼宮ハルヒの憂鬱」の主人公である涼宮ハルヒも女子高生ですが、こちらは普通の人間です。
でも「退屈な日常」に飽き飽きして、「宇宙人」や「未来人」や「超能力者」を探し回り、しかも現実にはそんなのいるはずないですから、つねにイライラしています。
でも実は、ハルヒと同じ高校の3人の友達はそれぞれ宇宙人、未来人、超能力者で、ハルヒだけがそれを知らないのです。
この3人の友人は、ハルヒ自身に「本人は気づかないとんでもない力」が備わっていることを知っており、それが不用意に発動しないよう常に監視しています。
例えば「平凡な毎日」に飽き飽きしたハルヒは、無自覚のうちに「この世とは別の世界」を発生させ「この世」を破壊しようとします。
そして、それを何とか阻止しようと、本人にバレないように3人で裏工作したり、ご機嫌を取ってなだめすかしたりして、何とかハルヒを「日常世界」に引き戻そうとします。

そういう観点で比べると「涼宮ハルヒ」は「ビューティフルドリーマー」の設定をベースにしながら、要素の配列を真逆にしたような構造になっており、ナルホドと思ったりするのです。
まぁ、昔のアニメも例えば「ガンダム」などは第二次世界大戦などの「実際の歴史」をベースに作られていて、歴史を知ってる人が見るとナルホドと思えるような仕掛けが随所に盛り込まれています。
でも今のアニメは、過去のアニメをベースに作られていて、これぞまさに「ポストモダン」なのですが、ハルヒにもたぶん他にもいろいろなアニメやSFの設定が流用され盛り込まれてるでしょうから、オタク的知識のある人は、さらにいろんな観点で楽しめるのではないかと思います。
もちろんドラマとしてのテンションが高く、絵もしっかりしてるので、オタク以外の人が見ても十分面白いのではないかと思います。
でもまぁ、基本的にはオタク向けである事に違いはなく、口に出すのもおぞましい「萌え」と呼ばれるオタク作品に共通の「記号」が随所に散りばめられ、そういうところに引っかかると損ですから、深入りせずに上手に受け流すのが吉です(笑)

--

以上のことは「用意された仕掛け」の一例であって、それだけだとつまらないので、ちょっと別な観点からも考えてみようと思います。

この作品は甥から勧められた事もあり、個人的にその甥との関連でいろいろ考えてしまうところがあります。
ぼくは身近な子供と言うと甥しか知りませんが、そんな甥とは大体半年ごとに、一週間程度交流するのみです。
それで会うたびに大きくなるので驚いてしまうのですが、それでも小学生のうちは「小さな子供」から「少し大きな子供」へ成長してたのでした。
それが中学に入ると突然「大人」のようになり、さらに驚いてしまったのです。
目の前の彼に「一体アンタはどこから来たんだ?!」と、思わず聞いてしまいそうになるくらいです。
いや、甥は初めから実家にずっといたのですが「大人としての甥の人格」は、ついこの間までの「子供としての甥」になかったもので、そういう人格が突然目の前に現れることに驚いてしまうのです。
まぁ、実は甥は昔から大人しくてあまりしゃべらず、どういう子供なのか良く分からなかったのですが、ここ半年あまりブログを書くようになり、それを見て本人の考えが分かると共にその成長ぶりも判明したのです。
甥がブログを始めた当初は「バトン」と言われる子供らしい他愛のないゲームなどしてたのに、途中からワロスwwwwwwwみたいな「2ちゃん用語」が混じるようになり、ついには「このままだと日本も終わりですね」みたいな政治的発言までするようになるのです。
だいたい甥は子供番組には見向きもしないような子供だったのに、それが突然「アニメにはまった」なんて書いてたことも驚きです。
そういう内容をブログに書くような人格は、少なくとも去年はこの世に存在しなくて、突然目の前に現れたように「感じられる」のです。

で、ここでふと思い起こされるのが「涼宮ハルヒの憂鬱」に出てきた「情報統合思念体」という設定です。
「情報総合思念体」は情報のみで肉体を持たず、個体の概念を超越して宇宙全体に広がる情報生命体で、それが地球上の人類の一個体である「涼宮ハルヒ」の異常性に気づき、監視員である「宇宙人の少女」長門有紀を送り込んでいる、と言う設定です。

しかしちょっと考えると、「情報統合思念体」とは人間そのものを言い表した言葉とも解釈できます。
つまり人間の人格とは、外界からあらゆる情報を取り入れ、それらを統合しながら思念することで生じるもの、と表現することもできるのです。
人間の人格とは、その人がどれだけの量のどんな種類の情報を脳内に取り込み、それをどのような形で関連付け統合しながら思念するのか、で決まると言えます。

そう考えると、大人と子供ではまず情報の「量」が違うことに思い当たります。
この場合の情報には「情報の統合の仕方」も含まれますが、そうした様々な情報が少ないうちは「子供」で、情報量がある臨界点を突破すると急に「大人」になるわけです。
去年まで存在しなかった「中2の甥」はどこから来たのか?というより、情報の蓄積が臨界点に達したことで突然発生した(ように感じられる)のです。
もちろん彼はさらに多くの情報を蓄積するでしょうから「中2の甥」の人格は早々にこの世から消え、数年後には全く違う人格が出現しないとも限らないわけです。
まぁ、自分自身もそうした過程があって今に至るはずですが、自分のことは見えないもので、だから他人の観察を通して自分を知るのです。

--

ついでにもっと考えてみます。
「涼宮ハルヒの憂鬱」に出てくる「情報統合思念体」は思念が多少分裂しており、「ハルヒを刺激しないようにする保守派」と「ハルヒを刺激しようとする急進派」が存在します。
で、「急進派の情報統合思念体」はハルヒに刺激を与えるため、「暗殺宇宙人少女」朝倉涼子をクラスメイトとして潜入させ、ハルヒのボーイフレンドであるキョン(普通の人間)を殺そうと企てます。
朝倉涼子はキョンだけを放課後の教室に誘い出し、やがて「暗殺宇宙人」としての正体をあらわし、教室に「情報操作」を加え、出口のない異次元空間に作り変えてしまいます。
キョンは朝倉涼子の「情報制御下」にあるので、逃げ場を失い絶体絶命のピンチを迎えます。
すると、その「朝倉涼子の情報制御空間」に「保守派の情報統合思念体」の送り込んだ「宇宙人少女」長門有希が進入して朝倉涼子を倒し、「情報操作」により教室を元の空間に戻します。

以上は現実にはありえないアニメならではの出来事ですが、このシチュエーションも現在の甥に置換えできることに気づいたのです。
つまり甥に限らず、子供と言う存在は親や教師の「情報制御下」にあり、親や教師の作り出した「情報制御空間」に閉じ込められていると、そう表現することもできるのです。
アニメでは暗殺宇宙人の「情報操作」により教室のドアが消えたりしますが、もちろん現実にそんなことは起きません。
でも「ドア」を子供の「進路」に置き換えると、その出口は親や教師によって、かなりの程度まで決められてしまっていることに気づきます。
例えば、親や教師は子供に「勉強しなさい」と言い、子供も「勉強は大事」だと思って勉強するのだけど、結局はそれほど成績が上がらなかったりして、そうすると「できない子供」であることを親に責められ、気に病んだりします。
逆に勉強のできる子供は親や教師に褒められ、また「できない子供」を軽蔑したりもします。
この場合の子供たちは、「学校の成績」を唯一の価値基準として信じ込まされ、良い成績をとることが「ただひとつの出口」であると示されているのです。
実際には価値基準には多様な可能性があり、様々な「出口」があるはずですが、それらはことごとく塞がれてしまっている、つまりはそのような「情報制御空間」に閉じ込められてしまっているのです。
で、甥をネタにしてこんな文章を書いているぼくは、彼を取り巻く「情報制御空間」を解除しようとする「良い宇宙人」なのか、それとも自分の仕掛けた「情報制御空間」に誘い込み破滅に誘導しようとする「悪い宇宙人」なのかは知りません(笑)

でも結局、こうしたことは大人でも同じで、人々は他人が仕掛けた「情報制御空間」に閉じ込められて、そのことに気づかないままでいたりするのです。
例えばぼくは今貧乏に困ってますが、それは何者かの情報制御下にあるだけで、それを突破すれば「金儲けへの出口」が鮮明に見えるようになるかもしれません。
もっともぼくは「お金の価値を至上とする情報制御空間」は突破してるので、最低限食うに困らなければそれほどお金が欲しいとは思わなかったりもします。

結局、人間は「情報統合思念体」であるから、他人の情報を制御して操ったり、他人を操ったりしてるつもりで他人に情報操作されていたりと、いろいろなjんじゃないかと思います。
もちろん「情報統合思念体」はアニメの設定で、むやみに他の事に当てはめるの「オタク」の烙印を押されてしまうでしょう(笑)
以上の分析はソシュールの言語学や、そこから発展した構造主義などの入門書で読んだ知識を適当に統合しながら思念した結果、生じたものでした。

|

« 『「世界征服」は可能か?』岡田斗司夫 | トップページ | 「ネット時代の反論術」仲正昌樹 »

映画・アニメ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/204678/7680216

この記事へのトラックバック一覧です: 涼宮ハルヒの分析:

« 『「世界征服」は可能か?』岡田斗司夫 | トップページ | 「ネット時代の反論術」仲正昌樹 »