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2007年9月 2日 (日)

「ネット時代の反論術」仲正昌樹

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「反論」以前に、議論が成立する条件を考えてみます。
まず基本的には、双方が「絶対的とか客観的な事実というものは存在せず、正しさは各自の捉え方で違ってくるし、時と場合によっても変わる」ということを了解することが必要です。
つまり物事を前時代的な「実体論」で考えるのではなく、現代的に「関係論」」として捉える必要があるのです。

でも、自身の専門分野、得意分野を通して「関係論」の何たるかを心得ているはずの人であっても、専門外のことになるとコロッとそれを忘れ、「実体論」に固執した自己主張をしてしまいがちで、それが原因で議論が単なる口喧嘩に陥ってしまいます。

「実体論」は人間の素朴な日常的感覚に根差したものですが、「関係論」はその日常的感覚をちょっとズラしたような、一段高度な感覚に根差していると言えます。
だから「関係論」の重要性を十分に理解してるつもりの人であっても、つい油断して無自覚のまま「実体論」に陥ってしまいがちなのです。

関係論的に「正しさは時と場合により変化する」というのは理屈として理解できるし、狭い範囲の専門分野に当てはめることは容易ですが、この感覚を徹底し、実生活の隅々まで行き渡らせるのはなかなか難しいことです。

しかしこの本では、法律を例にしてそのことが可能となるようなヒントが書かれています。
例えば裁判の判決は、法律という絶対的正しさに基づいているようですが、実際に起きる事件は法律では計れないような曖昧さを含み、だから判決にも恣意性が含まれます。
この時問題になるのが、原告と被告を含む世の中の「力関係」です。
裁判官や弁護士は、法律と、事件固有の事情と、世の中の力関係を考慮しながら裁判を進め、その結果として判決が下されます。
だからこの場合の判決は絶対的に正しいものではなく、その時点でのみ妥当と考えられる結果なのです。

例えば、誰がみても死刑だろうと思われるような凶悪事件の犯人であっても、死刑反対を唱える人々の社会的影響力が高ければ、裁判官は死刑の判決が出しにくくなります。
その人を死刑にすることの「正しい・正しくない」は、その事件を取り巻く人々の「力のバランス」によって決まるのです。

だから身も蓋もない言い方ですが、議論でちゃんと反論し自分の主張する「正しさ」を通そうとするなら、自分の社会的地位を向上させることが必要なのです。
なんだかんだ言って、著者の仲正昌樹さんも大学教授という肩書きによって、多少過激な発言をしても許されるわけです。

自分の社会的地位を向上するためには、まずは「まっとうな」議論を避けるべきです。
もとより、ちゃんとした議論の心得がある人は世の中では少ないですから、議論(のようなもの)を仕掛けられたら、上手にかわすのが得策です。
自分の社会的地位向上を積極的に目指す人の中には、「見せ掛けの議論」というパフォーマンスを演じる人もいて、テレビで良く見かける政治家や知識人の多くがこれの名人だそうです。
「見せ掛けの議論」とは議論の相手ではなく、自分の味方(になってくれそうな人)に、自分が好人物であることを見せ付ける為のパフォーマンスで、それはさまざまなテクニックにより成立しています。

しかし、そんな見え透いたパフォーマンスなんてバカバカしいなどと思ったり、かと言って「関係論」に徹しきれずに相手の議論(のようなもの)につい挑発されたりして、自分はそういう失敗をいろいろしてきたのです。

以上が、この本を読んで分かった(つもりの)ことです。

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