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2008年2月14日 (木)

選択のシミュレーション

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池田清彦さんの『環境問題のウソ』(ちくまプリマー新書)と、橋本治さんの『日本の行く道』を立て続けに読んだ。
この二冊を比較して面白いのが、『環境問題のウソ』の方が「地球環境の温暖化なんで、そもそもウソ話じゃないのか?」と疑問を呈してるのに対し、『これが日本の行く道』の方は「地球が温暖化に向かってるのは明白な事実だから、日本も何とかしなければいけない」ということで理論を展開している点だ。
つまり、もし池田さんの言うように「地球温暖化がウソ話」だったとすれば、橋本さんの提示した「日本がしなければならないこと」はまったく無意味になってしまうだろう。
しかし、実はこの二冊のそれぞれで「環境問題」を扱っているのは単なる「素材」としてであって、地球温暖化がウソなのかホントなのかは、本質的にはどうでもいい問題なのである。

そもそも「地球温暖化がウソかホントか?」が問題になるのは、それをわれわれが直接確認できない事象だからだ。
そういった、自分が直接観察できない事象については、「他人が提供する情報」で知ることになる。
自分が観察し得ない情報を提供されることは大変にありがたいことなのだが、その反面、他人からの情報の「ウソ・ホント」は自分で確認できない。
「地球温暖化」はわれわれにとって大事な問題なのだけど、それが自分で確認できないだけに、その情報の「ウソ・ホント」に翻弄されざるを得ないのだ。

そんな状況の中で、われわれは結局何かを「選択」しなくては生きていけない。
というより、生きている限りは不可避的に何らかの「選択」をし続けていかなければならないのだ。
たとえ何も選択しない態度を決めたとしても、その人は「何も選択しない」ことを選択しているのだ。
そのように、どうせ何かを選択しなくてはいけない運命にあるのだったら、「より良い選択の仕方」をしたほうが良いわけで、それがこの2冊に共通のテーマになっていると思う。

まず、情報の「悪い選択の仕方」はどういうものかというと、それは「鵜呑みにする」ということだろう。
『環境問題のウソ』を読んで「地球温暖化はウソなんだ」と鵜呑みにして、「『日本の行く道』の内容は前提が崩れてるから無意味だ」なんて思ったら、そもそもこれらの本を読んだ意味がない。
『環境問題のウソ』では、「世の中に常識としてまかり通っている情報に、いかにウソが含まれているか」を懇切丁寧に説明されているが、それだけに本書に書かれた「地球温暖化はウソだ」という説も鵜呑みにせず、一応疑って掛からないと意味がないのだ。
先に書いた通り「地球温暖化」は単なる素材であって、主題は情報を鵜呑みにせず、それを吟味して選択する「方法」にあるのだ。

まず、『環境問題のウソ』で池田さんが提示する方法を簡単に言うと、「どのような選択をしてもメリットとデメリットがあり、それを冷静に見据えた上で、よりメリットが多くデメリットの少ないほうを選択する」というものだ。
例えば、「地球温暖化説』が本当だとして、その防止のために「二酸化炭素排出の規制」をしても、その効果はほとんどなく、むしろデメリットの方が多いのだと池田さんは書いている。
どういうデメリットかというと、先進国の人間は化石燃料に依存してるから、これを無理に規制すると莫大なコストが掛かる。
しかし、そうして得られる温暖化防止の効果は、百年後の気温上昇を六年後に遅らせる程度だそうで、たいしたメリットはない。
つまり「二酸化炭素排出の規制」は、莫大なコストをまさに「焼け石に水」のように無駄使いするだけのことなのだ。
だからどうせ地球温暖化説を信じるのなら、もっと有効な金の使い道を考えるべきなのだ。
ナゼこんな「デメリット」が世界中でまかり通っているかといえば、そのことで「メリットを得る少数者」がおり、その少数者が多数の人を騙してるからなのだ。
このように、選択のメリット・デメリットを冷静に比較すると、そこに図らずも「世の中の仕組み」が見えてくるのだ。

同じ本の「ダイオキシン問題のウソ・ホント」という章では、ダイオキシンは確かに毒性があるが、ゴミの焼却などで発生する量は本当にごく微量で、本来はまったく問題にする必要のないというように書いてある。
だから、たとえ「新型高性能ごみ焼却炉」を導入しダイオキシンの量を減らせたとしても、周辺住民の健康被害を食い止めるメリットは全くなく、そのかわり「意味なく高額な焼却炉を税金で買わされる」という大きなデメリットを負うことになる。
しかし、少なくとも焼却炉のメーカーは儲かるだろうし、ここにも少数者だけメリットを得る仕組みが隠れている。

また、「外来種問題のウソ・ホント」では、外来種を人為的に駆除しようとすることのデメリットが語られている。
例えば外来魚で有名なブラックバスは、すでに日本では数は増えすぎ、人間の手でこれを完全駆除することは事実上できない。
そもそも数が増えすぎというより、もう日本の生態系に組み込まれ、その状態で「安定」してしまっているのだ。
そこに人間が無理に駆除しようと介入しようとすると、その安定そのものが崩れかねない。
日本に定住した外来動物はもはや「異物」ではなく、「そのように変化した日本の自然」としてまるごと受け入れるほうが無理がない(外国人だって日本に定住すれば「仲間」として受け入れられるわけだから)。
もちろん、積極的に生物を移入すべきではないが、結果として定住してしまったものを排除しようとするのは、純血主義のファシズムと同じなのだ。
だからブラックバスを「環境破壊の悪者扱い」し人為的に駆除しようとする行為に、文字通りのメリットはない。
もちろんこれにも「文字通りでないメリット」があって、そのひとつに「外来種問題は人間の交通手段の発達や環境破壊が原因なのに、その事実から人々の眼を背ける」という効果があるわけだ。
以上は池田さんの本を適当に要約しただけなので鵜呑みにしないようにw
ぼくの書いたことがどれだけ適当かは「環境問題のウソ」を直接読めば分かるだろう。

次は、橋本治さんの『これが日本の行く道』についてだが、ここにはまた別の選択の方法論が示されている。
この本ははじめに書いたとおり、「地球温暖化」が事実であることを前提に書かれている。
それで「地球温暖化は確実に進行し、このままでは大変なことになってしまうのは明らかなのに、誰もどうすることもできない」という状況に対し、どのような選択が有効なのかをシミュレーションしている。
そして、歴史に「もしも」はないけれど、もし現在の地球温暖化が食い止められるとすれば、どの時代に戻ればそれがやり直せるか?と考え、それを仮に「昭和30年代」に設定している。
もしわれわれが、平成の現在の状況を知ったまま昭和30年代に戻ることができれば、現在のような地球温暖化を食い止められるはずである、というわけだ。
もちろんそれは実現不可能であり、それだけでは何の意味もない妄想に過ぎない。

しかしここからがこの本のスゴイところなのだが、「昭和30年代に戻ることは不可能だが、2008年の今から、昭和30年代風の生活を始めることは実現可能だ」というのである。
例えば昭和30年代は「高層ビル」というものがないから、今から日本中の高層ビルを全部取り壊してしまえば、それだけで世の中はだいぶ良い方向に進むはずなのだ。
まず、高層ビルは都市部に集中してるから、これがなくなると都市の人口が減り、逆に地方の人口が増え、日本中がまんべんなく活性化する。
また高層ビルはその実用性以外に「経済繁栄のシンボル」という役割があって、こんなものがあるからみんなが見栄を張って、二酸化炭素を排出しまくって、必要以上に競争して働きすぎるのだ。
だから高層ビルのない環境で、それぞれの地方が独特の産業を興したり、農作物など必要な分だけ生産すれば、過度な競争が生じない上に文化が多様化し、環境問題も起こらず良いことばかりなのだ。
さらに日本が「高層ビルを壊す」という「見本」を世界中に見せれば、他の国も見習わないとも限らず、地球規模での二酸化炭素排出量を減らすことができるかもしれない。

以上は本の要約というより、ぼくが理解した言葉で書いてあるので、本の内容と違うところもあるかもしれないが、いずれにしろ橋本さんの提案は、実現したら有効かもしれないけど、まず現実的には無理な内容だ。
もちろん著者はわざとそうした無理を書いてるわけで、だからこの論の趣旨は「今から日本中の高層ビルを壊すべし」ではない。
そうではなく、『歴史上の「もしも」を考え、それを「今から」実行してみる』、という選択の仕方を提示してるのだ。
われわれは常にさまざまな選択肢にさらされているが、結果としてその中のひとつしか選択できない。
しかし、自分が現在何か問題を抱えているとして、その問題の原因を「過去の選択の過ち」にあると仮定し、その過去の時点で正しいと思われた選択肢を「今から」採用すれば、それが「これからの問題解決」になりうるわけだ。
この本は「地球温暖化」という大きすぎる問題を扱っているため、著者の提案する選択肢も実現不可能なものとなったが、これは実生活の小さなことにはいくらでも応用可能だと思う。

例えば、ぼくは最近文章をいろいろ書きたいと思っているのだが、いざ何か書こうと思っても自分があまりに何も知らないので愕然として、結局は思ったとおりに書けないでいる。
こんなことになるなら、美大なんかに行かずにもっと普通のちゃんとした大学にいっておけば良かったなんて、ふと思ったりしている。
もちろん、これから受験勉強をして大学に入り直すことはあまり現実的ではないけれど、「いま自分が高校生だったとして、これから自分の行きたい大学を選ぶとしたらどこだろう?」とシミュレーションすることは、少なくとも自分の知識を広げるためには有効な事かもしれないのだ。
まぁ、「過去にそれを選ばなかったことを後悔してるなら、今それを選べば良いじゃない」なんてのは人生相談の答えにありそうだけど、ちゃんとその方法論を実行しようとすると、案外難しくてまた面白そうな事ではある。

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