再び『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節著/講談社現代新書)という本は、かつての日本の山村で語られていたキツネにだまされたという話を軸に、日本の伝統的な世界観がどのように変化したのかを解説した本である。
その中で、「現代日本語の自然(シゼン)は英語のNatureを訳したものであるが、かつての日本では自然を「ジネン」と発音し、その意味も自然(シゼン)=ネイチャーとは違う」というようなことが書いてあり、たいへんに感銘を受けてしまった。
この「ジネン」の概念は、トップページからリンクしたもうひとつのブログのタイトル「路上ネイチャー」の概念とも深く関係しているように思えた。
そこで、「ジネン」について自分なりに理解した範囲で解説してみようと思う。
ちなみに「ジネンについては以下のページにも有意義な解説が掲載されている。
宮島名誉会長第107回提言エッセイ「ジネン(自然)とシゼン(自然)」
自然(じねん)科学者の誕生 河合隼雄
まぁ、ぼくのような素人の間違ってるかもしれない解説を読むより、上記リンクの記事を読んだほうが良いかもしれないが、とりあえず自分の考えの整理の為に書いてみようと思う。
実はこの本の紹介は一度このブログでしたのだが、そのときは独りよがりのことを書きすぎて何のことか分からなかった人も多いのではないかと思う。
今回はこの本をノートをとりながらもう一度読んで、「分かったつもり」の事をあらためて整理してみたい。
現代の日本人は「自然の大切さ」は知識としては知ってるが、それを「我が事」のようには捉えていない。
「自然が崩壊すれば人類も危機に瀕する」ということは頭で理解しているものの、現代人、ことに都市に住む人のほとんどは「一日中自然と接しない」生活をしても、特に不便を感じることはない。
そのような都市の人々にとって、「自然」はテレビや本やネットなどのメディアを通じてもたらされる「情報」であり、それゆえ「我が事」のように捉えていないのだ。
都市の人々にとって自然は都市の外=自分たちの外にある対象物で、だからそれを排除したり、コントロールしたり、利用しようとする。
最近は自然破壊が行過ぎたことを反省し「自然保護」が叫ばれているが、これも自然を「我が事」と思うのではなく「保護すべき対象物」と捉えた発想である。
そもそも都会に住む「自然大好き」な人は、普段都会に住みながら休日だけ野山に出かけたりして、どうあっても「自分たちの外にある対象物」として捉えているしかないのだ。
このような、現代日本で普通に使われる「自然」という言葉は英語のNature訳語で、それは明治中ごろから一般化されたらしい。
ところがそれ以前の日本では「自然」は「ジネン」と発音し、その意味もNatureと違っていたのである。
現代のシゼンとかつてのジネンが違うということは、初めにあげたリンク先の通りいろんな人が指摘しているようだが、この『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』では筆者の経験と研究もとに、日本の山間部の農村を中心にその概念が分析されている。
かつての農村で使われていたジネンとは、シゼンのように人間の世界の外にある対象物ではなかった。
そうではなく、人間の世界と、いわゆる自然の世界と、神々やご先祖様などの宗教的世界と、それら全て含まれるのが「ジネン」の概念だ。
だから人間はジネンの中にジネンと共に生き、やがて死んでジネンそのものへと還ってゆく、つまり人々はジネンを「我が事」と捉えていたのだ。
ジネンとしての自然は、自ずから然り(オノズカラシカリ)という意味であり、意図や作為が一切なく、完全なあるがままということである。
これに対し人間には「我」があり、だから生きていくうちに次第にジネンから遠ざかり魂が穢れてしまうとされていた。
人間の「我」=穢れたもの:ジネン=清浄なもの、という対比である。
だから人間はなるべくジネンであろうとし、また死ねば誰でも元のジネンに還って行くのだとされていた。
この世界観は、村の人々の暮らしのありかたから生じたものだ。
日本の山間部の農村は「里山」と呼ばれる環境が作られている(この本には里山という言葉は出てこないけど)。
里山は都会人から見たら自然そのものに見えるが、実は人工的に作られた環境である。
しかし都市のように自然を排除した後、人間の理性だけでゼロから作られたのではなく、もとの自然を人間が利用しやすいように手を加えた(改造した)環境である。
日本の自然は木の実や獣や魚など、人間にとって豊かな実りを提供するが、そのままでは利用しにくいような厳しさも持っている。
特に日本の川は不安定で、大雨が降ると氾濫して進路が変わってしまう。
これを農業などに安定して利用しようとすると、周囲に石垣を積むなどして「手入れ」をする必要がある。
燃料にするための薪も、まず元から生えている原生林を伐採すると数年後に二次林といわれる雑木林になるから、それを絶やさないように順次伐採しながら利用する。
山の恵みに満ちたオノズカラシカリの世界は人知の及ばない清浄な世界で、それを「我」を抱えた人間が、己の「我」を戒めながら利用するのである。
人知を超えたジネンの世界は木の実や魚などの豊かな実りと共に、ご先祖様やさまざまな神様が住んでおり、その世界観の中で「キツネに化かされた話」も出てくる。
だからいわゆる自然物は利用するけど、自分たちの「我」のために自然を完全に壊してし開発する、という発想自体が生まれ得ない。
ジネンは人間といったいのものだから、それを破壊しては自分たちも生きられないのだ。
「都市」というものは明治以前の日本にもあったのだけど、明治以降の日本の都市化は、ヨーロッパなどの外国を意識して作られてきた。
当時のヨーロッパは「帝国主義」の時代で、アジア諸国を次々に植民地化しようとしていた。
だから当時の日本政府は自国が植民地化されないよう、日本を近代化=都市化しようとした。
その日本の近代化=都市化は戦後ますます加速し、昭和40年ごろを境についに山村に伝わる「ジネン」の概念も崩壊し、その象徴として村から「キツネに化かされた話」も聞かれなくなってしまったのだ。
国家が近代化するというのは、国家としてのアイデンティティを持つということで、国家のアイデンティティとは「国家の歴史」である。
国家の歴史というのは、「その昔は素朴で貧しかったけど、そこから徐々に発達し豊かになり、今はこんなに立派になりました」という「発展の物語」として語られる。
現在の国家のあり方を肯定するために、過去を古くて間違ったものとして否定し、同時に「さらに発展する国家の未来」を語るのである。
歴史というものは、フィクションと違い「事実」を語ったものとされているが、このように分析すると違った「歴史」のあり方が見えてくる。
歴史というのは過去の「事実」を扱うが、それは「無数の連続した事実」から意図的にセレクトされたものであり、それらいくつかの「セレクトされた事実」はある意図に基づいた物語へと強引に組み立てられる。
日本史を含む近代国家の歴史は「発展の歴史」として語られるが、そこには「人間の理性が自然を克服し発展することは善だ」という意図が働いている。
それは元々ヨーロッパという限られた土地に、ある時期たまたま発生した概念だったのが、色々な偶然が重なりたまたま人間世界に広がってしまっただけである。
日本の長い歴史の中で、現在のわれわれはそのような「奇妙な世界」にいると言えるのだ。
いま「長い日本の歴史」と書いてしまったけど、それは単なる時間経過をあらわしたに過ぎない。
その時間経過に「意味」を見出すことが「歴史」なのだとすれば、歴史というものは人によって、国によって違う内容の物語となる。
歴史の物語りは人間が自分の存在をどのように捉え、未来をどのように目指すかによって違ってくる。
近代的な「発達の歴史」は人々に大きな利益をもたらし、そのため人々の間で積極的に物語られてきた。
しかしその物語がもたらしたのは単に利益だけでなく、同時にさまざまな不利益や矛盾をももたらすことを、現代の人々は意識し始めている。
そのような時代に有効なのは、「発達の歴史」を唯一絶対のものと信じるのを止め、「世の中にはさまざまなあり方の歴史がある」ということを知り、さまざまに異なる歴史観の共存の可能性を探ることなのだ。
そのような「さまざまな歴史のあり方」の一例として、「日本古来の山村の歴史」はあるのだ。
村の歴史とは、国家の歴史のように一直線上に発達する歴史ではなく、豊かなものが絶えないように循環する歴史である。
オノズカラシカリの世界であるジネンは一年のサイクルで循環する。
そのジネンの恵みを利用する人間の知恵や技術も、発達よりも循環する。
循環するジネンを手入れする知恵や技術は循環するから、それは大人から子供へ絶え間なく受け継がれる。
子供に知恵や技術を伝えた大人はやがて死んでジネンに還りご先祖様になる。
そのように循環した歴史の中で、人々の人間関係も形成されてゆく。
村に生きる人の知恵や技術は、人間の「我」が生み出すものというより、ジネンから読み取り、ジネンから学んだ結果である。
人々はジネンから直接さまざまなものを読み取り、それをジネンの中で生かす。
子供が大人から教わる知恵も、ジネンの中で実践してこそ意味を持つ。
現代の都市の人間は、メディアを通じ「外の世界」から情報を得る。
都市社会は高度に分業化が進んだ社会でもあり、だから人々は日々抽象的な情報を扱い「外の世界」や「他の人」に影響(建前としては利益)をもたらす。
それに対し村の人々の暮らしはジネンと一体化しているため、全てが具体的で直接的なのだ。
そして都市の発展に寄与した知識や技術の多くは、やがて古くて無意味なものへと変化せざるを得ないのに対し、ジネンに対応した村の知恵や技術はいつまでも有意義で、循環する歴史の中で重厚さを増すのだ。
かつてのジネンがいかに豊かだったかを示すことの一端として、この本では「山上がり」というエピソードを紹介している。
著者がフィールドとしている群馬県上野村は蚕産農家の村であり、現金収入もあった。
そして蚕が不作でどうしても生活できなかった家は、他の村人に「山上がり」の宣言をする。
そして一家でしばらく村を離れ山にこもって生活するのだが、これは悲惨な話でもなんでもないのだ。
実は、山にこもれば木の実や山菜、魚や獣などの豊かな山の実りを採りながら、十分生活してゆけるのである。
もちろん、山の恵みはスーパーの商品のように金さえ払えば簡単に手に入るというものではなく、ジネンに対する知恵や知識がないとそれらを利用することはできない。
そのように山に一時避難し、期を見て再び村へ下り蚕産農家に戻るのである。
日本のジネンはそれほど豊かであり、かつそのように考えると、日本の近代化=都市化は人々に大きなものをもたらしたと同時に、同等以上のものを失わせてしまった。
日本の歴史が近代史=発展の歴史に統一化されたことで、伝統的な村の歴史が「なかったこと」にされてしまったのである。
同じ自然の「ジネン」と「シゼン」は単なる言葉の違いでしかないが、それによってかつての日本にあった自然と人間と神々が一体となった「ジネン」そのものがなくなってしまった。
現代日本人が「ジネンは大切だ」「ジネンを見直すべきだ」と思っても、国民がおおかた都会人になってしまった(地方の人も都会人的意識を持った)日本において、かつての「ジネン」はほぼ消滅してしまったのだ。
かつて村に生きる人は人間の「我」を穢れたものとして戒めていたが、ジネンに抗する「我」を野放しにすると必然的に都市化し、そうなるとジネンの循環が断ち切られ回復不能になってしまうということを、肌で感じ取っていたのかもしれない。
いや、正確にはこれも「歴史観」の問題であって、現在の日本をどう捉え、どういう日本の未来を望むかにより「日本にはまだジネンは残されているし、回復は十分可能だ」と考えることは可能だろう。
しかしぼくは、あえて「かつてのジネンはもうないのだ」というところから出発してみようと思う。
これはつまり「すでに変化してしまった日本の状況」にあわせ、「ジネン」という概念を再解釈し新たに構築しようとする試みだ。
その一例がつまり、もうひとつのブログのタイトルになっている「路上ネイチャー」ということである。
ぼくはジネンの概念を知ったとき、ブログのタイトルに「ネイチャー」の言葉を入れてシマッタと思ったが、「路上+ネイチャー=ジネン」になりそうなことに気付いたのである。
このあたりはもう『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という本の内容とは関係ない、ぼくの想像の世界だ。
どういう想像かというと、いかにもぼくが好きな作家が本に書いていそうなことを、自分で想像してみたことであり、それはまたいつか書いてみたいと思う。
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