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2008年3月 4日 (火)

科学とは

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科学とは呪術の一種である。
それは1%の真実と、99%の共同幻想によって成立している。

ウィリック・ヒュッケレム

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偉人の言葉」カテゴリの記事

コメント

共同幻想というのはまぁそういうところもあるかな、という気もします。
幻想の受け入れやすさからいうと、いわゆる呪術の方が上かもしれません。

投稿: schlegel | 2008年4月25日 (金) 00時17分

科学と呪術を比較する以前に、「呪術」の定義を明らかにしなければ・・・ヒュッケレムの生きた時代は科学もオカルトもごっちゃになっていて、彼自身の記述もあいまいだったと記憶しています。

投稿: 糸崎 | 2008年4月26日 (土) 13時12分

呪術:まじない、生け贄、身代わり人形、祈祷などにより、疾病の罹患または平癒を期する行為。
すみません、これは勝手に作りました、

goo辞書では、
非人格的・超自然的な存在にはたらきかけて、種々の現象を起こそうとする信仰と慣行。
となってます。wikiも似たようなことがより詳しく書いてありますが、プリコラージュという僕の知らなかった単語、も出てきて勉強になりました。
「フレイザーは呪術と宗教を切り分け、呪術には行為と結果の因果関係や観念の合理的体系が存在するという観点から、呪術を宗教ではなく科学の前段階として捉えた。」というのは、少し面白いです。

「現在の」科学は、99%以上100%未満の真実と考えたいですが、大衆にとっての科学とは、集団幻想と言える部分もあるかいな、と感じることもあります。

投稿: schlegel | 2008年4月26日 (土) 23時49分

フレイザーという人は知りませんでしたが、呪術は科学の前段階である、という捉え方はぼくも同意で、それは村上陽一郎さんの本の影響です。
ヒュッケレムはその考えを一歩進めて、呪術は科学の上位概念、つまり呪術はメタ科学であると位置づけています。

>大衆にとっての科学とは、集団幻想と言える部分もあるかいな、と感じることもあります。

これはまさにその通りで、科学とは実験的に誰でも再現可能なものを指しますが、誰もが全てにおいてそれをすることはできず、結局は「鵜呑み」にするしかない点で、呪術のレベルとさほど変わりはありません。
科学の専門家であっても、自分の専門外の成果については鵜呑みするしかありませんので、事情は変わりません。
肝心なのは、科学者がそのことを自覚するかどうかです。
科学者が科学を妄信すると、呪術や宗教のレベルに立ち戻って、科学ではなくなってしまいます。

投稿: 糸崎 | 2008年4月27日 (日) 01時16分

>呪術は科学の上位概念、つまり呪術はメタ科学であると位置づけています。
錬金術が現在の化学の基礎になった例などを見ると、このことは頷けるものがあります。ただ僕が呪術と捉えているもののなかには、魔女の見分け方、など何の上位概念なのか良くわからないものもあったりします(笑)

>科学者が科学を妄信すると、
この点、ちゃんとした科学者の人はたぶん大丈夫だと思います。が仰りたいこともわかる気がします。
ひとつには、高校までの教育のしかたに問題がある様に思います.
また、科学者にも本当に錯覚している様に見えるひともあるかとは思いますが、政治的、コマーシャリズム、予算取得目的などの立場上、意図的に振る舞っていることもあるかもしれないとは思います。

元に戻りますが、呪術が大衆により受け入れられ易いかも、と書いたところは、いわゆる疑似科学と呼ばれるものをイメージしています。血液型占い、脳内メーカー、優しい言葉をかけると奇麗な氷が、とか、、呪術です。

投稿: schlegel | 2008年4月28日 (月) 22時59分

>ただ僕が呪術と捉えているもののなかには、魔女の見分け方、など何の上位概念なのか良くわからないものもあったりします(笑)

いや、こうした事例も「科学の上位概念としての呪術」として説明できるでしょう。
「魔女」というのは「災いをもたらす目に見えない原因」として設定されたもので、だからその災いの源を断つための方法として「魔女の見分け方」というのがあったわけです。
ところが原因を魔女に設定し、実際に魔女(であろう存在)を排除してみたのだけれど、災いが治まる気配がない・・・
そこで、「災いをもたらす目に見えない原因」をより確実に取り除く方法として「科学」が発達したわけです。
災いの原因を「魔女」にするとそれは「呪術」になり、結果としてその方法論は有効ではなかった。
しかし同じ災いの原因を「細菌」だと考えると「科学」になり、これには実効性があった、ということです。
呪術も科学も「目に見えない力をコントロールしようとする」という点で同じです。
憎いと思う相手を手で殴ったら、それは直接行動で呪術の入る余地はありません。
一方殴り倒された相手は腕力ではかないませんから、相手を「呪い殺そう」とします。
しかし、人はただ呪われただけでは死にませんから、より確実に呪いが効くように「毒ガス」なんかを使い、そうなると呪術は科学になります。
例えがネガティブになりましたが、反対に「祈り」でも同じことで、宗教的な祈りをどうにかして実現させようとして、科学が生じたと言えます。
科学は近代人の理性的な営みの最たるもののようでいて、その根源は「呪い」だとか「祈り」だとか、人間の原始的な心情に根ざしているんじゃないかと思います。

>また、科学者にも本当に錯覚している様に見えるひともあるかとは思いますが、政治的、コマーシャリズム、予算取得目的などの立場上、意図的に振る舞っていることもあるかもしれないとは思います。

科学が本質的に呪術なだけに、科学者も呪術者として振舞うわけですね。
優れた科学者は、呪術師としても優れた素質を持っているのかもしれませんw

エセ科学はあからさまにそれと分かるものはまだ罪が軽くて、本当に厄介なのは科学として世間でまかり通ってしまっている「科学的根拠のないもの」の方です。
このへんは池田清彦さんの「環境問題のウソ」という本にいろいろ書いてあって面白いです。

投稿: 糸崎 | 2008年4月28日 (月) 23時59分

>優れた科学者は、呪術師としても優れた素質
至言です、気づくのが遅すぎました(笑)
資金集めに長けた人が科学進歩の方向性を決めて行くことには疑問を感じますが、このあたりも妥協しなければならないのでしょう。

大衆薬では、本当に効くものを作ろうとする努力より、コマーシャルで「有効成分XXが身体のスミズミまで、、」とか「汚れをグングン分解」とかウソンコのCG(イメージです)を交えて流す方がウケるんだろうなぁとよく思います。まぁこれは呪術というより大道芸でしょうか。

>池田清彦さんの「環境問題のウソ」
環境問題否定派、にも呪術士は多数いると思っており(笑)池田サンという方は立ち読みしかしてませんが、僕の中では、本来曖昧であるべきことがらを断定的に言い切られる方、という呪術士に分類されておりました。ちゃんと読み直してみます。

投稿: schlegel | 2008年4月29日 (火) 08時55分

>資金集めに長けた人が科学進歩の方向性を決めて行く

ここまで言い切られると、妙に納得してしまいますw
というか、貨幣経済の上位概念もまた「呪術」であると言えるんじゃないかと思います。
「物々交換」というのは人を殴るのと同じ直接行為ですが、それが貝殻や金銀に変わると貨幣になり、さらにそれが抽象化されると紙幣になります。
紙幣というのは「直接的行為」の観点から見ると単なる紙切れにしか過ぎないのに、そこに「ただならぬ価値」が生じて人々が翻弄されるのは呪術以外の何物でもありません。
で、何が言いたいのかというと、科学も経済も所詮呪術だと思っていれば、エセ科学やサギなどの「実効性のないインチキ呪術」に引っかかることはないだろう、という事です。

>池田サンという方は立ち読みしかしてませんが、僕の中では、本来曖昧であるべきことがらを断定的に言い切られる方

この方はヒネクレモノのようですから、わざとそうしているはずだと思います。
「環境問題のウソ」は、この本の内容を鵜呑みにしてしまったら、池田さんの真意は伝わらないだろうと思います(このブログでも紹介したはずですが、ちょっと探したけど見つかりませんでした・・・)。

投稿: 糸崎 | 2008年4月29日 (火) 12時05分

調子に乗ってすこし言い過ぎましたか、、周りを見回しての実感ですが、まあ、言い訳です(笑)
>科学も経済も所詮呪術だと思っていれば
変にがっかりすることも憤慨することもないわけですね。

田舎なので「環境問題のウソ」は見つからず「ほんとうの環境問題」という養老さんとの対談が入った方を立ち読みしました。斜め読みの感想で申し訳ないですが、
世の中的に、CO2と気温の因果関係が強調されすぎてる事についてはたしかに僕も疑問なんですが、
この因果関係には根拠がないとか、海面上昇数十センチしたってたいした事はないとか言っておきながら、
日本ほど省エネがすすんでる国はないから日本はこれ以上努力しなくていい、とか人口比60億分の1億だから環境問題に対する日本の寄与も1/60でいいとか、アメリカが悪いとか中国が悪いとか、書いてあるので、
ちょっとナショナリストな呪術師かなぁという深読みをしてしまいます。こんど、ちゃんと座って読んでみます。

投稿: schlegel | 2008年4月29日 (火) 21時25分

お忙しいようですね、お約束通り(笑)環境問題のウソ、座って読んでみました。
どうも薦めていただいたのに恐縮ですが、やっぱり池田さんのことは好きになれそうになくてすみません。
タイトルからしてそうなのですが自分の考えと対立するものを、ウソツキ、デタラメ、バカ、ナチ、と決めつけるあたりからヒステリックと感じてしまいます。そこを我慢して読んだので、もう僕の見方にはバイアスかかってると思いますが(笑)長くなるので一章だけについての感想をざっくりいうと、、この人の論理展開だと結局どちらにでも言える気がします。帯に、京都議定書を守るニッポンはバカである、と書いてあってそこに向かって自分の好きなデータを選んで、論理を薦められてるのですが、多分同じ論法で、二酸化炭素を垂れ流し続けるニッポンは正気でない、という結論にも行けそうです。
誤解しないでいただきたいのは、前にも書いた様に僕自身、CO2と気温の相関は実証不可能である事はわかっていて、純粋に信じている人をみると、アブナいなぁとは思いますし、アルゴアのような大統領クラスの人が確信しているのをみると、後世の人は現在を暗黒時代と嗤うかもしれないとか思ったりはします。でも、いまからいろいろ実験しておいたら200年くらいしたら、エアコンを操作する様に、地球の温度を簡単に制御できる様になってるかも知れません。池田さんの主張は、なるようにしかならんから、何もしない方がよい、何やっても金のムダだと聞こえ、投げ遣りすぎる、というのが感想です。
元に戻って、京都議定書、すでに約束した事なら、守らないニッポンはウソツキ、になっちゃいます。ウソツキとバカ、個人的には、バカの方がカワイイ気がします.

投稿: schlegel | 2008年5月10日 (土) 21時31分

うーん、どーも力一杯けなしすぎましたね。この本に関しては、アマゾンの書評にも似たような事はかいてあるし、わざわざここで力説する事はなかったと反省してます。
池田さん、少なくとも変な利害関係に基づくバイアスではなく、信念をもって語っておられるのはたしかなようです。構造主義生物学というのは面白そうで、こっちから入れば抵抗なかったのかもしれません。

投稿: schlegel | 2008年5月15日 (木) 22時40分

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