フランシス・ベーコン
フランシス・ベーコン(1561~1626 イギリス)
近代科学は、単に「真理」を追究することを目的にするのではなく、「自然をコントロールし、人々に幸福をもたらす」ことを目的としている。
この考えを「自然支配」と言う。
自然支配は、まず自然の現象を観察することから始まる。
個々の自然現象をつぶさに観察すれば、そこから共通した「自然の法則」を見出すことが出来る。
このような思考法を「帰納」と言う。
「帰納」によって見出された「自然の法則」は、これから起こりうる自然現象のコントロールのために役立てることが可能となる。
科学が存在する以前の人類は、病気や怪我をしたら死ぬしかないし、川が氾濫したら家や田畑を捨てて逃げるしかない・・・つまり、自然に支配されていた。
その支配から逃れ、人間がより幸福になるためには、自然の原理を知り、それを支配することが必要である。
「自然支配」するには、自然のどのような法則を明らかにするのか、その対象を決める必要がある。
だから科学は「物理学」や「生物学」や「社会学」などの専門領域に分かれている。
それまでの宗教や哲学が「世界全体」を対象としているのに対し、科学はその目的に応じて分科しているのが特徴と言える。
こういった、近代科学の基本を打ち立てたのが、フランシス・ベーコンなのだが、現代では科学にまつわるさまざまな問題が発生し、「自然支配」への素朴な信頼も揺らいでいる。
*以上、自分のためのメモとして、少ない資料から適当にまとめただけなので、間違いなどあるかもしれませんが、ご了承を。
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コメント
中学生の頃、ベーコンさんが首に巻いているヒラヒラを歴史の教科書の南蛮人の絵の中で見ました。何かかっこいいなー。ほしー。と思っていました。これは一体なんなんでしょうか?ただの飾りでしょうか?
投稿: おいかわ飯店 | 2008年8月17日 (日) 14時43分
ぼくは歴史の勉強が不足してるので・・・首のヒラヒラが何なのかは知りません。
ただ、それが意味しているところは「社会階級」なんじゃないかと思います。
現代社会は、人間を生物学的な根拠に基づいて「同種」とみなしていますが、その昔のヨーロッパ社会は人間を「階級」に分けていました。
だから高い階級の人間は、それを他人に示すための「しるし」を必要とし、それが「身体のラインから大きく逸脱した装飾」となって現れるわけです。
現代社会では、社会的地位が高い人も、そうでもない平民も、みな一様に簡素な服装をしてますが、それは「人間は生物学的に同種である」という理念をあらわした「しるし」だと見ることもできます。
投稿: Itozaki | 2008年8月17日 (日) 16時56分
KYなコメントにお返事ありがとうございます。シュモクバエの無用な目の長さに通ずるものなのですね。893やさんの爽やかな服装は、警戒色の一種ではないかと考えておりましたが、やはり人間服装で自己主張しているのですね。
投稿: おいかわ飯店 | 2008年8月18日 (月) 07時27分
シュモクバエやヘラジカバエは昆虫として特殊な例ですが、人間はそういう特殊なことを普通に行う生き物だと言えます。
つまり、偉い人や強い人の服装は「オメェらとは違うんだよ」ということを示す「しるし」なのです。
そして民主主義の時代、いちばん偉くて強いのは「民衆」ということになっています。
民衆がなぜ偉くて強いかというと、団結すると怖いからです。
だから民衆は「オレたちは団結すると怖ぇんだゼ」ということの「しるし」として、みな一様に簡素な服を着るのです。
投稿: itozaki | 2008年8月18日 (月) 14時11分
確かにハチやアリのように集団行動をとる昆虫は個体差が少ないように感じます。驚く事に種を超え俺らは団結といわんばかりに擬態している連中がいますね。こちらでは、ドクチョウのグループは目を見張るものがあります。この前てっきりドクチョウだと思って撮影したらタテハでした。奥が深いです。
投稿: おいかわ飯店 | 2008年8月19日 (火) 11時50分