生きるアート作品
昨日撮影した写真なのだが、子供のシャツに注目して欲しい。
なんと、あの「DOB君」がプリントされているではないか!
DOB君は現代アートの第一人者、村上隆さんが生み出したキャラクターで、その姿はさまざまなイメージに変形し、また表現形式も絵画から彫刻、バルーン、オマケフィギュアなどさまざまな媒体へと変容する。
それがついに「子供服」に登場である。
これには特別の意味があり、DOBくんのイメージが子供たちの身体を借りることで「生きるアート」になるのだ。
コンセプトはそれだけでは抽象的なものだが、それだけにコンセプトが実現する「現場」を目撃するのは、なかなか感慨深いものがある。
まさに、DOB君たちが自由に、楽しそうにはしゃぎ回っているのである。
そうは言っても、アートに関心が無い人から見れば、はしゃぎ回っているのは子供たちで、Tシャツにプリントされているのはあくまでイラストにしか思えないだろう。
また、仮にTシャツにプリントされたDOB君が「生きるアート」になるなら、ミッキーマウスだって、ドラえもんだって、どんなキャラも「生きるアート」になる・・・という人もいるかもしれない。
しかし、これこそがコンセプト上の問題で、コンセプトというのは文脈である。
DOB君というキャラクターは、ミッキーマウスやドラえもんのような物語の登場キャラではない。
しかしDOB君は、「アートの歴史」の物語の登場キャラであり、また「村上隆のアートの変遷」の物語の登場キャラである。
そのような「文脈」を追っていく先に、「子供服にプリントされたDOB君=生きたアート」としての存在がありありと見えてくる。
アートの歴史を遡るとそれは絵画や彫刻など「静止した作品」として登場している。
しかし歴史を重ねるに従い、アートの中に「動き」の要素が次第に入り始め、現代ではヴィデオやインスタレーション、パフォーマンスなど「動くアート」がもはや当たり前となっている。
村上隆さんのDOB君も、アートの歴史をなぞるようにはじめは絵画として登場し、やがてさまざまな媒体へと変容している。
動くアートにもいくつか種類があり、例えば「動きを記録したアート」や「アーティストによって動かされたアート」や「自律的に動くアート」などがある。
そのうち、「子供服にプリントされたDOB君」は、自律的に動くアートの延長上にあるだろう。
これは「子供服」というところに意味があり、大人のファッションでは成立し得ないコンセプトだ。
自我の確立していない幼児が、「何だか知らないキャラクター」としてのDOB君を身にまとうことにより、幼児の身体を借りたDOB君が「自律的に動くアート」になる。
これがもし大人向けのTシャツだったら、単なるミュージアムグッズになってしまうだろう。
大人はTシャツのDOB君の「意味」を理解する自我を持っており、キャラクターの自律性も封殺されてしまう。
子供服にプリントされたDOB君は、そのままでは静止した絵画でしかない。
それが実際に子供に着用されることで「生命」が与えられる。
同じように、静止した絵画に生命を与える手法に「アニメーション」がある。
そもそもアニメーションという言葉自体が、生命の意味を表している。
だから「子供服にプリントされたDOB君」は、新しい形態のアニメーションだと言うことが出来るだろう。
しかしこのコンセプトは、先に書いたようにDOB君でしか成立し得ない。
実に幾重にも仕掛けられた、巧妙なコンセプチュアル・アートなのである。
*追記
誰も突っ込んでくれそうに無いので、関連リンクを貼っときます。
http://shiropenk.exblog.jp/3913103/
http://d.hatena.ne.jp/aniota/20040221/p3
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060425
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040217
-----
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント