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2009年1月

2009年1月26日 (月)

エア・アート

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ある若い女性の現代アートの作品が、評判になっていた。
それはビデオ作品で、「2年後に放映されているだろうテレビ番組を、2年前に製作し、2年後の現在になってギャラリーで公開展示する」というものだ。
展示はすでに終了し、残念ながらぼくはその作品は見ていない。
しかし見た人の話だと、既存のテレビ番組を巧妙に切り貼りして完成度が高く、「すごい」「気持ち悪い」などと、皆口々に驚いていたそうだ。

・・・という夢を見たのだけど、あたらめて書き出してみると全く面白くない(笑)
既存のテレビ番組を切り貼りした作品には、有名な「ワラッテイイトモ」がすでに存在するから、目新しいものではない(この作品も未見なのだが)。
「ワラッテイイトモ」といえば、この作品が製作される前に、「笑っていいとも」の今週の映像に、先週の音声を当てて鑑賞する、という実験を思いついたことがある。
「笑っていいとも」は毎週同じコーナーを繰り返すから、「一週間分の微妙なズレ」が何か面白い効果をもたらすかもしれない、と思ったのである。
しかしそう思っただけで、何も試さないうち、「ワラッテイイトモ」が評判になってしまったのである(もちろん内容は全然違うだろうし、あちらの方がはるかに巧妙なのだろうが)。
しかし少なくともいえるのは、もうテレビの時代ではないから、これからはテレビを利用した作品でインパクトを与えることは出来ないだろうと思う(ウチにももう何年も前からテレビがないし)。

あと、同じ夢の続きである人に『少年ジャンプ』を見せられて、「萌え皺」という言葉を教わった。
「萌え皺」とは、漫画の女の子キャラの服や下着に、フェティッシュに執拗に描かれた「皺」のことで、最近はジャンプのような少年誌にまで「萌え皺」が横行し始めたのだと、その人は語っていた。
で、夢から覚めてリアルに「萌え皺」を検索すると、該当する用語は存在しないようだ(「萌えじわ」「萌えジワ」も同じくヒットせず)。
しかし思い起こすと確かに「萌え皺」に該当する描画法は確かに存在するような気がするので、この言葉はもしかすると流行るかもしれない(笑)

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アートマーケットの実在と、実在しない非人称芸術

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前回の記事の続きである。
ぼくは「アートマーケット」というのは何なのか?を知るために、美術家の友人の「ギャラリーめぐり」に同行したのである。
その彼に、「糸崎さんは現状を知らずに、観念だけでものを言う」というように批判されたのだが、まさにその通りである。
ぼくの「アートマーケットの現状を知らない」というのは半ばなりゆきで、半ば意図的なものである。
意図的というのは、ぼくの場合「分からない」とか「知ろうとしない」ということ自体が、ぼくの創造のひとつの方法論になっている、ということである。

例えば《フォトモ》は、写真についての知識をあえて「知ろうとしない」ことで導き出された技法である。
また、ぼくは1999年『キリンコンテンポラリーアワード』に受賞した際に招待され、生まれて初めて大阪の街を訪れ、大変な「衝撃」を受けた。
それはぼくが半ば意図的に、それまで東京だけで《路上鑑賞》し続け、大阪をはじめとする地方都市へ一切旅行しなかったことの効果である。
すなわち、長年東京だけを歩き続けていたおかげで、大阪との「差異」が微細なディテールにまでわたって浮上して見え、それがことごとく「感動」となったのである。
当時は、大阪の街並みがことごとく素晴らし過ぎて、「カメラのファインダーを見るのももったいない」と思い、写真がほとんど撮れずにいた。
それから何度か大阪を訪れた今、ある程度目が慣れ写真も普通に撮れるようになったが、当初のような感動は「知ろうとしない」という方法論の効用だと言える。

さて、ぼくはアートマーケットについて、友人アーティストから何かレクチャーを受けたわけではなく、彼が習慣としている「ギャラリーめぐり」に、基本的に黙って同行しただけである。
ぼくは彼の後に付いて行って、色々なギャラリーで作品を見て、その展示方法やスペースを見て、プライスタグや売れ行きなどを見た。
時々、自分が分からない作品に対し「これはどういいの?」というように質問したのだが、これはあまり積極的な返事はもらえなかった。
しかし、彼が熱心に作品に見入ったり、チラシやDM類をチェックするのを見て「個々の作品の良し悪しに関わらず、ともかく《現代アート》というもの自体が好きなんだな」ということは分かった気がした。
そして彼がギャラリストや出展アーティストたちと親しげに話したり、プライスタグを見て意外にも高価な作品がそこそこの数売れているのを知り、以下のようなことを「理解」した。

つまり、アートマーケットという「場」は確かに実在し、そこでは現代アートの作品の売買が、実に自然なこととして行なわれている、という「現状」である。
そこでは、《経済至上主義》とか《芸術至上主義》などといった観念を意識するまでもなく、現代アートの売買が実に「当たり前のこと」として行なわれている。
アーティストが作品を作り、それについて「芸術の価値を金の価値に換算するとは?」などと余計なことを考えるまでもなく、ただ当たり前のこととして「アートマーケットというシステム」に作品をゆだねるのである。
そしてギャラリーを訪れる客も、「芸術は《等価交換》ではなく《贈》与である」などと難しいことを考えることもなく、ただ単に作品を「欲しい」ということを、当たり前のこととして思うのである。

現代アートの作品は、アートマーケットで「販売されている」、という点で他の「商品」と同じである。
しかし、「実用性がない」という点で一般的な商品とは異なり、しかも基本的に大量生産ではなく「一品生産」である。
これにより現代アートは、他の商品とは異なる仕方で人々の欲望を喚起し、マーケット内に流通すると思われる。

現代アートの作品は「実用性がない」ゆえに、「何だか分からない魅力」を人々にもたらす。
人々にとって現代アートは、何だか分からないけど美しかったり、面白かったり、スゴかったり、感動したり、そういうものではないかと思う。
そのような「何だか分からない魅力」を持つ現代アートには、これまた「何だか分からない値段」が付いている。

普通の商品の値段は、基本的に「製造および販売に掛かった手間」との「等価交換」として算出される。
しかし現代アートの場合、例えば無名の新人やマイナーなアーティストの場合、「製造の手間賃」では高すぎて売れないため、それより低い価格が設定されることがある。
そのような「無名アーティスト」であっても、その価値を認めるコレクターが増えれば、その価格は「製造の手間賃」以上上昇するかもしれない。
普通の商品の場合は人気があれば増産するが、現代アートは一品生産なので、作品の価格時代が上昇するのだ。
そのように自分が目を付け、安く買った「無名アーティスト」の値段がその後上昇すれば、自分の「目の高さ」が証明されることになり、それはコレクターにとっての喜びになるだろうと思う。

また、一品生産である現代アートは、買った人が一生持ち続けるのではなく、売り買いを繰り返すことで、同じ作品をいろいろな人に「回す」という発想も生まれるだろうと思う。
だから自分が安く買った「無名アーティスト」の人気が出れば、もとの数倍の価格で販売することができるかもしれない。
もちろん、価格の安い「無名アーティスト」の作品のどれもが必ず上昇するとは限らず、むしろ大ブレイクするアーティストはほんの一握りである。
しかし、たとえ自分が評価したアーティストの価格が上昇しなくとも、「自分の目だけが確かであって、世の中では理解されたいのだ」というように、満足できるかもしれない。

一方で、すでに有名で値段が高い「有名アーティスト」の作品であっても、「欲しいものは欲しい」と思って無理をすることもあるかもしれない。
また自分が欲しいと思うアーティストの作品がマーケットになく、誰かがそれをマーケットに再放出することを、待ち望むが合いもあるかもしれない。
もしくは「有名アーティスト」ということで高価格で買った作品が後に大下落し、「目利き」としての自信を無くすコレクターもいるかもしれない。
まぁ他にもいろいろあるのかもしれないが、コレクターから見た現代アートには、普通の商品やギャンブルとは異なる、特有の魅力があるのだと思われる。

以上のようなことは、自分が直接他人から聞き出したことではなく、他人の「ギャラリーめぐり」に一日同行した経験からの「想像」でしかない。
しかし、この日のギャラリーめぐりで見たある新人アーティストの作品が、センスが良くハイクオリティーな割りに、結構値段が安くて「買ってもいいかも?」とちょっと思ってしまったのも事実である。
想像というのは「経験のための切り口」であり、実際の経験で想像から外れた部分は、修正すればいいのである。

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しかしこの日の収穫で最も重要だったのは、ともかく「アートマーケットは実在する」ということである。
これは改めて考えると奇妙なことだが、つまりぼくは「アートマーケットの実在」を疑っていたのである。
それは他でもないぼく自身が《芸術至上主義》という理念に取り付かれていたからである。
ぼくが《芸術至上主義》に捉われていたのは、その理念を実証する《非人称芸術》の存在があったからである。
だからぼくはアートマーケットを「遠すぎる存在」として、把握することができずにいた。
いやむしろ実感としては、「アートマーケットの実在」そのものを疑っていたのである。
それは「現代アートの現状を合えて知ろうとせず、その周囲の知識を得ることにより、アートとは何か?を浮き彫りにする」という方法論の効果である。
そして、その効果が認められたうえで、改めて「アートの現状」に接近し、その結果「アートマーケットは実在する」というごく当たり前のことが、驚きをもって認識されたのだ。

そのようなぼくに対し、「ギャラリーめぐり」を案内してくれた友人アーティストは半ば(というかかなり)あきれていたようだが、これも実のところ、ぼくにはちょっと驚きであった。
というのも、ぼくが「アートマーケットから距離を置く」ということの理由は、彼にはだいたい説明済みだと思っていたからである。
具体的には《非人称芸術》のコンセプトであり、彼にはそれについて書かれたぼくの作品集も、たびたび送っていたのである。
しかしぼくの著作を読んでもらったその彼に、《非人称芸術》がほとんど理解されていないという事実と、なぜそうなのか?という理由が、かなりハッキリと分かった気がしたのである。

そもそも《非人称芸術》のコンセプトは、従来のいわゆる《人称芸術》に対する疑問を前提に、成立している。
その疑問とは「芸術の概念は、もはや《人称芸術》の内にとどまらないのではないか?」という問題意識である。
つまり、芸術についてそのような前提が共有できなければ、《非人称芸術》のコンセプトも共有され得ず、その存在すら認められないことになる。
そしてアーティストである友人の彼をはじめ、アートマーケットに関わる誰もが「現代アートの現状のあり方」を十分に認めており、だから《非人称芸術》を「必要としない」のだ。
必要としないものは存在しないのと同じであって、だからぼくが《非人称芸術》について、作品付きで具体的に解説したところで、彼にその「実在」を示すことは原理的に不可能なのだ。

これは「アートマーケットの実在」を疑っていたぼくの態度を、そのまま反転した現象だと言える。
《非人称芸術》にとってアートマーケットの存在は必ずしも必要ではなく、それゆえにその実在を疑っていたのである。
ただしこの反転現象は対称ではなく、《非人称芸術》を示そうとするぼくの方が圧倒的に不利である。
このような状況は自分にとって、ある意味で哲学的な問題だと言えるかもしれない。
哲学者の永井均さんは『ウィトゲンシュタイン入門』で、哲学とは世の中にすでに存在する問い対する答えではなく、これまで誰も問題としなかった事柄に対する新たな「問いの空間」の創造なのだ、というようなことを書いている。
つまり《非人称芸術》は、誰もが「現代アートの現状のあり方」に満足する中で、あえて提示された新たな「問いの空間」なのだと言い換えることができる。
そしてそれは、誰にとっても「いらないもの」なのである。

そう考えると、《非人称芸術》を提唱するぼく自身が、アートマーケットをはじめとする「現代アートの現状に満足する人々」と関係する必要はないのではないか?疑問も生じてくる。
現代は人々の価値観が多様化したポストモダン状況だから、「人それぞれ」で無関係に勝手にやればいいのである。
しかし、ぼくとしてはどうも、そう割り切ることには違和感があるのだ。
ぼくが理解するポストモダン的な価値観の多様化とは、人々に対し価値観の「多様な選択肢」が示されている状況を指す。
そしてぼくとしては《非人称芸術》を、そのような「多様な選択肢」の一つとして、人々に提示したいと思うのである。

それはつまり「現代アートの現状のあり方」と、「《非人称芸術》としてのアートのあり方」が、並列して人々に示されている、という状況ではないかと思われる。
それは具体的にどんな状況かは分からないが、しかし「現代アートの現状のあり方」に対して、《非人称芸術》が何らかの仕方で「配置される」ことになるはずである。
そしてそれは、「現代アートの現状に満足する人々」に対し、《非人称芸術》を理解したり受け入れたりしてもらわなくとも、最低限そのような価値観の「実在」を認められる状況なのではないか、と想像できる。

現在の《非人称芸術》は、その「実在」からして世間に認められていない状況である。
そもそも、自分の価値を認めてもらうことの第一歩は、自分の実在を認めてもらうことから始まる。
いやむしろ、自分の価値を認めてもらうということは、他者から自分の存在をただ認められることと同意なのだと言える。
そう考えると、理解して欲しい他者の存在を認めずに、自分の存在を認めさせようとするのはナンセンスである。
だから今の自分に必要なことは、アートマーケットの実在を認め、それにまつわるさまざまなことを理解しようと努めることではないかと思う。

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2009年1月25日 (日)

理念と現実

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ぼくは「芸術家」を自称しているにもかかわらず、「アートマーケット」というものから距離を置き、これまで自分の「作品」を直接販売した経験を持たなかった。
その一番大きな理由は、ぼくは「非人称芸術」という独自のコンセプトのもと、芸術と言うものに関わっており、そしてそのコンセプトに忠実である限り、「アートマーケット」の存在を必ずしも必要としないからである。
しかし最近は、「非人称芸術」のコンセプトをさらに掘り下げるには、自分とは異なる「他者の芸術観」を知り、その比較で捉えることが必要ではないか?と思うようになった。
それは同時に、「非人称芸術とは何か?」を、自分とは世界観や価値観を異にする他者に向けて説明する際にも、必要な態度のように思われる。
それと現実問題として、自分のお金を稼いで食っていかねばならないわけで、そうした観点からも「アートマーケット」の存在が気になり始めている。

そのようなわけで昨日、アートマーケットに実際に関わっている美術家の友人に、銀座をはじめとする現代アートのギャラリーを案内してもらった。
案内してもらったというか、彼は週一回のペースでギャラーめぐりをする習慣があり、それに同行させてもらったのである。
彼とぼくは、さる現代アートのコンペに、約10年前の同じ年に入賞して以来の友人である。
そしてぼくは色々理由を付けて「アートマーケットから距離を置いていたのに対し、彼は「アートマーケット」を中心に活動しながら着実に評価を上げていった、実力派アーティストである。
そのようなある意味「まっとうなアーティスト」である彼の目(芸術観)を通し、ぼくのような存在がどう見えるのか?ということも興味のあるところである。

彼はぼくの「フォトモ」などの作品を評価してくれており、またその作品が(出版などの形で)世間から一定の評価を得ていることも認めてくれている。
それでいながら、ぼくが「基礎知識を欠いた勝手な理論」に陥っていることに対しては批判的である。
そのように、遠慮なく明確な立場で意見表明してくれる点において、「信用できる」友人だと言える。

その彼に、「糸崎さんのブログは長すぎるから全部の記事は読んでないけれど」、というように前置きした上で、このブログの記事『《経済至上主義》と《芸術至上主義》』についての意見をもらった。
これによると、ぼくが示した《経済至上主義》と《芸術至上主義》は二項対立としてあまりに両極端で、現状認識を欠いた理念でしかない。
実際の「人とアートのかかわり」はもっと多様で複雑な要素が絡み合っている。
現状をロクに見もしないで、離れたところから想像しても、それは分析としては意味がない。
彼の言葉そのものではないが、大体そのようなことを言われた。

これに対してぼくの意見は、まぁある部分での彼の意見は、その通りだと認めるしかない。
確かにぼくは「アートマーケット」と言うものから距離を置いていたから、文字通り現状認識が不足で、それに対しては何か「想像」でものを言うしかない。
ただぼくは、アートに対しての知識を積極的に取り入れてはいなかったものの、さまざま「アート以外の知識」を取り入れることで「アートそのもの」の存在をあぶりだすことを、方法論的に試みている。
だから、《経済至上主義》と《芸術至上主義》の二項対立は決して当てずっぽうではなく、それなりの根拠に基づいている。
しかしかといって、「アートと人のかかわり」が、《経済至上主義》か《芸術至上主義》かの単純な二項の立場に分かれるわけではなく、そこにはさまざまなグラデーションがあり、また他にもさまざまな要素が複雑に絡み合った混沌であるだろうことも、理解している。
しかし自分が「分からない」ものに対し、「理解の切り口」として二項対立を立てることは、思考法としては一般的である。
両極端な二項対立を想定することで、その狭間にさまざまなグラデーションがあることや、二項対立に収まらないさまざまな要素が見えてくるのだ。
そしてもちろん、ぼくは「アートマーケット」から離れたところで考えるのではなく、これからは「アートマーケット」の現状に(自分なりに)接しながら、自分とのかかわりを考えてゆきたいと思っている。

と、以上のぼくの意見で、彼には納得してもらったようなのだが、しかし「あのブログの文章じゃそこまでわかりませんよ」と言われたので、ここに追記することにしたのだ(笑)

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2009年1月22日 (木)

「大きな物語」の崩壊と、「小さすぎる物語」の乱立

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最近、諏訪哲司さんの『自己チュー親子』や、内田樹さんの『街場の教育論』などを読んでふと思ったのが、《大きな物語》が崩壊と《小さすぎる物語》の乱立、ということである。
この場合の《物語》とは、その人が「自分は○○である」というふうに説明する一切のもの、「自分についての説明の集合」というようなものである。
人は誰でも、自分が何者なのかを規定するための《物語》を持っている。

個人の《物語》の中には、その人だけに固有の要素と、多くの他人と共通する要素の、両方が含まれるだろう。
かつてモダニズムといわれていた時代には、大多数の人々が同じ《物語》を共有しており、それが《大きな物語》といわれていたものだ。
例えば昭和30年代の日本では、「人類の未来は輝かしいものである」という《大きな物語》が、多くの国民に共有されていた。
ところがポストモダンと言われる現代、人々にとって未来は予測不可能なものになってしまった。
未来に対して楽観するか、悲観するかは「人それぞれの考え方」で異なるものとなった。
未来予測についての《大きな物語》が崩壊し、各自がそれぞれの未来像を描く《小さな物語》へと分裂したのである。

《大きな物語》から《小さな物語》への転換は、先に示した人々の未来像のほか、さまざまな場面で見ることができる。
またその原因も、ひとつではなくさまざまな要素が複雑に連動していると言われている。
例えば内田樹さんは、これを「資本主義における購買層の拡大」と結び付けて説明している。
ぼくが理解したところでざっくり説明すると、およそ昭和30年代までの日本国民は、敗戦国で行進国だった日本の「国の発展をめざす」という《大きな物語》を共有していた。
そして国を発展させるためとして「家長を中心に家族は団結すべし」という《大きな物語》も共有されていた。
しかし、日本が先進国の仲間入りを始めた昭和40年ごろから、企業やマスコミが「ライフスタイルの個別化」を推進するようなキャンペーンを始めるようになる。
つまり高度経済成長時代を迎えた企業は、消費単位を「家族」から「個人」に解体することで、購買層を増やそうとしたのだ。

例えばかつての電話は「一家に一台」であったのが、現代の携帯電話は「一人一台」で、企業にとってそれだけ購入者が多くなる。
テレビもその昔は「一家に一台」だったが、現代のパソコンは「一人一台」が基本である。
また、かつてのテレビは家族みんなで同じ番組を見ることであり、国民みんなが同じ番組に熱中していた。
テレビの「国民的アイドル」というのは、現在では成立し得ない《大きな物語》である。

電話もかつては友達にかけると、まずそのうちのお父さんやお母さんが出たりしたものだ。
そして、電話をかけている自分の後ろにも、やっぱり自分の家族がいたりしたのだ。
その意味で、電話は個人より以前に「家族」に繋がっていたと言える。
しかし現代は、携帯電話にしろパソコンにしろ、個人がそれぞれの仕方で外部と繋がっている。
そのようにして、通信機器に限らず各自がさまざまな「自分だけのもの」を買うようになり、国家や家族の《大きな物語》が解体され、人々はs個別の《小さな物語》を形成するようになった。

諏訪哲司さんは、学校教育もまた《大きな物語》を《小さな物語》へと解体することを推進したのだ、というように指摘している。
敗戦直後の小学校の現場の教師たちには、ともかく「軍国主義への反省」と「民主主義への大きな期待」があった。
軍国主義とは、自分を殺して《大きな物語》に従うことでもあり、それが大きな悲劇を生むことになった。
だから先生たちは、お仕着せの《大きな物語》に惑わされることのないよう、子供たち自身の固有の感性や、自主性を尊重するための教育を施した。

その結果、およそ昭和40年生まれ以降の「現代の若者」に、それ以前の若者に見られなかったある変化が起きる。
それは簡単に言うと、若者たちが「実際に起きたことより、自分が感じたことを優先するようになった」のである。
「実際に起きたこと」とは客観と言う《大きな物語》であり、それに対し「自分が感じたこと」は自分だけの《小さな物語》である。
そのようにして人々(子供たち)が《小さな物語》へと個別化したことが、「学級崩壊」や「モンスターペアレンツ」などの問題を引き起こしている。
というように諏訪さんは分析されている。

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ここで、個人にとっての《物語》がどのように形成されるのかを、改めて考えてみたいと思う。
まず《物語》とは、《言葉》で語られるものである。
そしてそのような《言葉》を、人は自分の親をはじめとする《他者》から学ぶ。
そのさい人は《言葉》を、《物語》と共に学ぶ。
人は「自分は誰なのか」という《物語》を、《言葉》と共に、親を初めとする《他者》から学ぶ。
つまり「自分は誰なのか」という《自分の物語》は、実は親をはじめとする周囲の大人たちの《他者の物語》の切り貼りで構成されているのだ。

しかし人は「自分らしさ」というものを自覚すると、「《自分の物語》は《他者の物語》の切り貼りである」ということを忘れてしまう。
そして「《自分の物語》は生まれながらに備わった、自分だけのオリジナルである」と勘違いしてしまう。
そうなるともう、それ以上《他者の物語》が《自分の物語》に入り込まないよう、シャットアウトしてしまう。
それ以降は《自分の物語》を至宝のように大切にしながら、生きてゆくことになる。
しかし、人間が成長することとは、小さな《自分の物語》の拡大を図ることである。
それには最初に《言葉》を覚えたのと同じように、《自分の物語》の中にさまざまな《他者の物語》を切り貼りし、取り込む必要がある。

「自分の感性を大切にする」とは、《自分の物語》を絶対視し、小さいまま成長を拒否することである。
それに対し「実際に起きたこと」は客観であり、それは同じ空間に存在するさまざまな《他者の物語》の集合である。
「自分を客観的に捉える」とは、《他者の物語》を通して《自分の物語》を捉えることであり、それにより《自分の物語》を寄り豊かなものへと拡大できる。
また「実際に起きたこと」は、時間軸で捉えると「歴史」ということになる。
歴史とはさまざまな《他者の物語》の集積であり、《自分の物語》の拡大のために学ぶべき点は実に多いと言える。

近代的な個人は、「自分で考え、行動しなければならない」とされている。
しかし「自分で考える」とは、正確には自分ひとりだけで考えることではない。
そもそも人は考える時には《言葉》を使い、その《言葉》は《他者の物語》を切り貼りしながら学んだものである。
だから「自分ひとりで考える」とは、「《自分の物語》を構成する複数の《他者》を寄せ集めて考える」ことと同じである。

そうすると、いわゆる「頭のいい人」とは、「より多くの《他者》を寄せ集め、考えることができる人」だと言い換えることができる。
「頭のいい人」がより多くの読書をするのは、自分の頭の中で「より多人数で考える」ためなのだ。
それに対し《自分の物語》に固執する人は、「自分で考えている」つもりで、実は「少人数の他人で考えている」のだ。
自分の考えが「少人数の考え」でしかないから、それだけ間違いが起きやすく、また変化に対する柔軟性がないのだと言える。

モダニズム的な《大きな物語》が崩壊したのは、時代の必然である。
人類全員が同一で究極の《大きな物語》を共有すれば、世の中から戦争はなくなるはずである。
しかし、人は個人によって、民族によってそれぞれ固有であるから、全人類が同一の《大きな物語》を共有することは不可能である。
そうは言っても、現代の個別の《小さな物語》は、《小さすぎる物語》であることが問題なのだ。
《小さすぎる物語》は《適度な大きさの物語》へと再編される必要があるだろう。
それでまぁ、自分は最近苦手ながら読書をし、このブログでチクチクと《自分の物語》を編んでたりするのである。

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2009年1月19日 (月)

《経済至上主義》と《芸術至上主義》

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前回の記事で、「自分は今までギャラリーで自分の作品を売ったことがなかった」ということと、その理由を書いたが、これにはまだ他に理由があった。
まぁ、そのようにいろいろと理由を考えながら「作品を売る」ことの準備をしているのである。

ぼくが引っかかっていたのは「芸術の価値は本来的にお金の価値に換算できない」という概念と、アートマーケットの存在が矛盾するように思えた点である。
ぼくが把握している限りの近代芸術は、《芸術至上主義》の概念の上に成立している。
そして《芸術至上主義》は、「芸術は芸術のために」という理念の上に成立している。
そのような理念のもと、芸術は独自の価値体系を形成しており、だからそれは「お金」をはじめとする「別の価値体系」に変換することは不可能なのだ。

「芸術は芸術のために」という近代芸術の理念はヨーロッパで発生したが、近代以前のヨーロッパの芸術は、芸術以外の目的で存在していた。
それは詳しく書けばいろいろなのだが、簡単にまとめると「芸術はキリスト教ために」あったと言える。
近代以前のヨーロッパの絵画や彫刻などの芸術は、キリスト教の崇高な世界観を民衆に伝えるためのイラストレーションとして存在した。
もちろん、封建主義的な国王の権威をあらわすための芸術も存在したが、しかし結局のところ国王はキリスト教の神から権威を譲渡されていたのだ。
だから話を分かりやすくするため、近代以前のヨーロッパでは「芸術はキリスト教のために」あったとしても、間違いではないと思う。

キリスト教の世界観に支配されていた近代以前のヨーロッパでは、その宗教理念に基づいて《神》が創造した世界を理性的に解明しようとした結果、《近代》という概念を見出すことになる。
その結果、皮肉にもキリスト教の世界観は解体され、近代的な《哲学》や《科学》や《芸術》が生じることになった。
哲学や科学的な思考方法は近代以前にも存在したが、それらはいずれもキリスト教の神が創造した世界を解明するためのものであった。
そうしたキリスト教のもとに一元化されていたさまざまな要素が、《近代》の理念により分解され、《芸術》もそのひとつなのである。
近代になって、芸術は「キリスト教のイラストレーション」という立場から開放され、芸術それ自体を目的とする「純粋な芸術」となった。
これが「芸術は芸術のために」という理念に基づく《芸術至上主義》である。

「芸術は芸術のために」とは同義反復のようだが、ぼくはこれを「人間の自由の可能性の追求」と捉えている。
そもそも《近代》とは、人間がキリスト教をはじめとする一切の宗教的拘束から開放された、「人間の自由の可能性の追求」なのだといえる。
近代的な哲学も、科学も、「人間の自由の可能性の追求」であり、芸術もまた同じなのだ。
宗教から開放された近代的な芸術は、「何をどう表現しても自由」となった。
その《芸術》の理念の枠内で、人間はいかに自由に振舞うことができるのか?
または、人間が自由に振舞うことで、《芸術》という概念の枠組みをどれだけ広げることができるのか?
それが《芸術》における「人間の自由の可能性の追求」ではないかと思う。

近代における「人間の自由の可能性」とは、従来の《神》に代わる「崇高なもの」であり、だから《芸術》には特有の価値がある。
そのようなわけで「芸術のための芸術」は、本来的にお金の価値に換算できないとされるのである。
分かりやすく言うと、例えば「売れそうな絵」を描こうとすると、「芸術のために」という目的がおろそかになり、それはもはや《芸術》とは呼べなくなる。
「売れること」を主目的とした芸術は、本来的な意味の《芸術》とは異なる《ローアート》であり《サブカルチャー》なのである。
逆に言うと《ハイアート》であり《メインカルチャー》であるところの真性の《芸術》は、「売れそう」などという生活的な領域から遊離したところで成立する。
だから近代の「売れない芸術家」たちは、親や親類に金銭的な援助を受けながら「売れない作品」を描き続けたのだ。
もちろん、本人たちも作品が売れないことや、貧乏で栄でいることに苦しんではいたのだろうが、しかしそのような「実際の生活」よりも、「芸術のための芸術」という目的が優先されたのだ。
もしくは、彼らにおいては「芸術のための芸術」という目的が、かろうじて成立するだけの生活基盤を維持できたのだ。

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「芸術は芸術のために」というのは理念だが、その理念を成立させるには、結局のところ何らかの生活基盤が必要になる。
つまり芸術家には、その生活を支援するパトロンの存在が必要不可欠なのである。
芸術家のパトロンは、近代以前は教会や国王や貴族であり、近代では裕福な市民がその役割を担うようになった。
そして現代、とりわけ日本ではどうなっているのかというと、現代の芸術家のパトロンはだいたい《自分自身》と《アートマーケット》に別れるのではないかと思う。

自分自身がパトロン、というのはおかしな話だが、実際に多くのアーティストがアルバイトをしながら「売れない作品」を作り続けている。
かく言うぼく自身も、そのような時期が長く続いたのだが(今も続いているといえるかもしれないが)、それが可能になったのは《アルバイト》の存在のおかげだといえる。
その昔は正社員以外のアルバイトはほとんどなかったそうだが、業種が細分化されたり、雇用形態が多様化したおかげで、現在はアルバイトの存在は当たり前となった。
それでアーティストが自分自身のパトロンになる、ということが可能になったのである。
しかしそうは言っても、アルバイトで製作時間を削られてしまったら、「芸術のための芸術」の追求もそれだけおろそかになってしまう。
だからアーティストにとって、自分の作品を《アートマーケット》で売りながら生活することが、やっぱり理想なのだと言える。

ところが、ここで問題になるのは、冒頭に示した「芸術の価値は、本来的にお金の価値に換算できない」という「芸術は芸術のために」の理念である。
実のところ、アーティスト自身がアルバイトをしながら《売れない作品》を作り続ける限り、この問題は回避できる。
しかしアルバイトを続ける限り、貴重な製作時間を削られることもまた事実なのだ。
この矛盾を解決するため、ぼくは(半ば無自覚に)作品そのものを売るのではなく、「複製品を売る」という戦略を模索することになった。
すなわち、雑誌や作品集などの印刷メディアに自分の作品を掲載し、その《原稿料》で生活するという方法論である。
雑誌や書籍の原稿料は、理念的には労働(作業量)に対する《等価交換》ではあるが、しかし実際の作品ではなく《複製品》を販売しているのであるから、「芸術は芸術のために」という理念とは矛盾がなく、その意味では大変気が楽である。

しかし、前回の記事でも書いたように、「複製品を印刷媒体で売る」という方法論はアーティストとしては例外的で、従って現代のアート界の評価の対象にはなりにくい。
そのことが、だんだんと分かってきた。
やはり現代のアート界の中心は、《アートマーケット》にあるらしい。
ということで、遅ればせながらぼくも最近になって《アートマーケット》について、芸術の価値とお金の価値の関係について、あらためて考えるようになったのだ。

まず前提となるのが、《芸術》とは《贈与》である、ということである。
芸術が《贈与》であれば、それに対するのは《返礼》である。
そして基本的に、《贈与》に対する《返礼》は不均等であり、また《贈与》するものは《返礼》を期待することはできない。
それに対しお金の世界は基本的に《等価交換》で成り立っている。
商品にしろ、労働にしろ、それらをお金に換算する場合は、定量的な《等価交換》としてなされる。
《贈与》と《等価交換》は本来的に矛盾するから、そう考えると《アートマーケット》の存在もまた矛盾なのである。

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しかし一方で、芸術作品に値段が付けられ、マーケットで取引されているのもまた事実である。
例えば今から20年以上前の1987年、ゴッホの作品『ひまわり』が安田火災により「58億円」で落札され、話題を集めたことがあった。
このとき、ゴッホの『ひまわり』は「58億円」と《等価交換》されたのだろうか?
これを「芸術は芸術のために」という理念に照らして考えると、「否」ということになる。
ゴッホの『ひまわり』は芸術であるから「値段の付けようのない価値」があり、その「値段の付けようのない価値」ということの《象徴》として「58億円」という高値が付けられたのである。

芸術には本来的に「値段の付けようのない価値」があり、時としてそれを象徴するように「法外な値段」で取引されることがある。
しかしその「法外な値段」把握まで《象徴》であり、経済至上主義的な《等価交換》とは本質的に異なる。
言い換えれば、《経済至上主義》と《芸術至上主義》という異なる理念が折り合いを付けた結果が「法外な値段で芸術の価値を象徴する」ということなのである。
そして《経済至上主義》の社会では、芸術の価値を「法外な値段」によって代用表現することが、人々に対しもっとも「分かりやすい」のである。

最近では、村上隆さんの作品が16億円もの高価格で落札され話題になったが、実際に村上さんは作品が《アートマーケット》で高価格で取引されることで、「世界を代表するアーティスト」となった。
「芸術は芸術のために」を目指した芸術は、本来的に一般人にとって難解なものであるが、しかし村上隆さんの作品が「16億円」ということになれば、それが途方もなく価値のある作品であることが、誰にでも分かるのである。

もちろん、法外な値段で取引される作品はごく一部で、アートマーケットで取引される作品の値段は、それこそピンからキリまであるだろう。
しかしその作品が《芸術》である限り、それに付けられた値段はいくらであっても《等価交換》ではなく《象徴》であり、また芸術という《贈与》に対する不均等な《返礼》なのである。
アーティストは芸術作品を《贈与》し、《アートマーケット》を仲介として、作品の購入者から《返礼》としての金銭を受け取る。
《贈与》は本来的に《返礼》を期待しないから、作品の価格は10円でも20円でもいいのだろうが、しかし現実問題としてアーティストも生活してゆかねばならない。
だから作品の購買者は、アーティストのパトロンとして、アーティストが生活するための援助として「それなりの金額」の《返礼》をする。
それが、《経済至上主義》社会ならではの、アーティストとパトロンの理想的な関係なのだと言える。

それだけでなく、《アートマーケット》の中で「作品」と「お金」が動くことで、《芸術》そのものが活性化することも重要である。
もし、アーティストが《芸術至上主義》に徹して作品を「売らない」とするならば、その作品は誰にも知られずに、作者自身によって死蔵されることになる。
芸術が《贈与》であるならば、その受け手がいなければ本来的に意味がないとも言える。
そしてそのような「売れないアーティスト」ばかりになると、芸術そのものが弱体化し、人々から忘れ去られてしまうだろう。
しかし例えば、現役アーティストの作品に「16億円」もの値段が付けば、それだけで世の中の話題になり、芸術が「生きている」ことが認められるのである。
また、それほどの高価格は例外としても、ともかく作品が《アートマーケット》で流通することで、芸術が多くの人にとっての《贈与》となる。
そのように芸術が活性化することが、《経済至上主義》の中での《芸術至上主義》の折り合いの付け方、なのである。

とまぁ、そのような理屈を付けて納得した上で、自分自身の作品をギャラリーで販売しようと思うのである。

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2009年1月17日 (土)

相互的非人称芸術

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以前、フォトモやツギラマなどの自分の作品を「相互的レディ・メイド」だと定義した。
しかし、「非人称芸術」はデュシャンのレディ・メイドの流れを汲んではいるものの、ぼく独自のコンセプトが加えられている以上、レディ・メイドとは異なる。
そしてもちろん、デュシャンが示した「相互的レディ・メイド」も、ぼくの作品とは似て非なるものである。

そこであらためて、「非人称芸術」を記録・再現した作品を「相互的非人称芸術」と定義することにしようと思う。
そして、ぼくが最近その存在に気付いた、巷にあふれる「相互的レディ・メイド」は、「非人称芸術」のコンセプトに関連付けながら、観察と研究を続ることにしたい。

自分の「相互的非人称芸術」には近々新たな展開があって、それはアートマーケットで売る、ということである。
具体的には「作品」を販売するために、ギャラリーで個展を開催することになったのだ。
実のところぼくは、自分の「作品」をアートマーケットで売った経験がない。
それは、これまでぼくの作品を扱ってくれるようなギャラリーがなかった、というのも理由である。
10年ほど前、チラシを片手に東京のギャラリーに一通り売り込みをかけたことがあったが、全部断られた経験がある。
しかし断られたら何度もチャレンジすればいいのだが、自分はどうもその気になれず、あきらめてしまった。

それというのも、ぼくは「作品」を単品で売り買いすることの「意味」がいまひとつ分からず、それで積極的になれなかったのだ。
意味が分からない、とはギャラリーで自分の作品が売り買いされる場面が想像できない、ということである。
どうもぼくには、作品というものは、ギャラリーで見るだけのものであって、自分で買うようなものではない、という先入観があるのだ。
どんなに自分がいいと思った作品であっても、それを自分で所有したいとか、買いたいという発想がない。
芸術作品というものは、値段が高いという以上に、存在感が非常に「強い」ものである。
芸術作品とは非日常的な崇高なものなので、自分の所有物としては手にあまり過ぎ、ギャラリーで見るくらいがちょうど良い。
それをお金を出して「欲しい」と思う人の存在が、どうも信じられないのだ。

それよりも、ぼくは好きなアーティストの作品は、「画集」として所有したいと思ってしまう。
画集は印刷による複製だから、オリジナルの「存在の強さ」はだいぶ薄まっており、気軽に所有できる。
それに実物の作品を一点だけ所有するより、何点もの複製画が収録された「画集」の方が、だいぶ得であるように思える。
まぁ、つまりは「貧乏性」ということなのかもしれないが、それで自分も作品を直接販売することより、雑誌や作品集など「出版メディア」に載ることを目指したのである。

そして、出版社にいろいろと持込をかけた結果、ぼちぼちと雑誌などに載るようになり、作品集も何冊か出すことができ、たまに販売目的ではないギャラリーや美術館で個展をしたり、そのようにして現在に至っている。
ところが、以上のようなぼくの活動フィールドは、どうもアート界の評価の対象にはなっていないようなのだ。
だからぼくの存在も、アート界ではほとんど評価されていない。
アートというのは本来的に、あらゆるフィールドの、あらゆる表現形態にまたがっているべきだと思っていたのだが、それはどうやらぼくの勘違いのようなのだ。
そして実際にアートは、「アートマーケット」というフィールドの中で、他の分野との棲み分けがなされているようなのだ。
だからアートマーケットの外にあるものは、基本的にアートとしての評価対象の範囲外なのだ。
まぁしかし、これも「アートマーケットの外」にいる自分の想像でしかない。
その想像が妥当なものかどうかは、実際にアートマーケットに自分が参入するしかないだろう。
そしてそれを確認するチャンスが、ようやく訪れたのだ。

ぼくは自分を、デュシャンの流れを汲んだ「作品製作をしない手法のアーティスト」であると位置付けている。
「非人称芸術」は「作品を作らずして芸術の価値を創造する手法」であり、そしてぼくは制作する作品は「相互的非人称芸術」である。
作品として製作された「相互的非人称芸術」は、「非人称芸術」から切り離され、アートマーケットへと投入される。
「非人称芸術」から切り離された「相互的非人称芸術」は、アートマーケットの参加者の芸術観に組み込まれ、「アート作品」としての価値が判断される。
そしてその判断は、ぼくの芸術観とはまったく異なるレベルで行なわれるはずだ。
ぼくはアートマーケットというフィールドを媒介として、物理的には同じ「作品」を、意味としては全く違うものとして変換し、取引することになるだろう。
そう考えなければ、この取引は辻褄が合わない。

なぜなら、もしぼくの作品を「相互的非人称芸術」として捉える人がいるならば、その人は作品を購入せずに、路上へ「非人称芸術」の鑑賞をしに出掛けてしまうはずだ。
そして、そのような「芸術観」を共有していない人のみが、ぼくの作品をアートマーケットのフィールドにおける「アート作品」として評価し、購入の対象とするのだ。
つまり「相互的非人称芸術」としての作品は、そのまま理解されれは「非人称芸術」の架け橋になる。
しかしそれだけでなく、「相互的非人称芸術」が誤読された場合、それは「人称芸術」との架け橋になる。
そしてアートマーケット内での「相互的非人称芸術」は、そのようなミスリードを誘う装置としての機能するはずである。
その場合のミスリードは他人をだますのではなく、作品の鑑賞者の「想像力」を誘発するものである。
鑑賞者が作者の意図を離れて作品を誤読することが、「鑑賞者による価値の創造」なのである。
「非人称芸術」から切り離され、アートマーケットに投入されるぼくの作品の「それが何なのか」は、まさに鑑賞者の芸術観に委ねられている。

まぁ、以上も全く想像でしかないのだが、実際に始めてみてしばらくすれば、「本当のこと」は分かってくるんじゃないかと思う。
因みにこの記事に掲載したような「ふつうの写真」は、「相互的非人称芸術」とは異なるコンセプトの実験なので、お間違いのないように(笑)。

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他人の芸術観を知ることは、他人の宗教観を知ること

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内田樹さんの『街場の教育論』を読んだら、意外にも宗教の話題が出てきてちょっと驚いた。
これまでにも、内田さんの本意は時々宗教の話題が出てはいたが、この本は教育論の最後を、宗教の話で締めているのが印象的だ。
それで実は、ぼく自身も宗教に関してはいろいろ考えていたことがあり、この本を読んでハタと思ったことがあったので書いてみようと思う。

内田さんは、ご自身の宗教的態度についてのように書かれている。

 私は全ての宗教的な儀礼に対して、原則として好意的です。キリスト教であろうと仏教であろうとヒンズー教であろうと、とにかく敬虔に祈りをささげる人の構えというのはたいへんよろしいものだと思っています。
 私は特定の宗派に帰属しているわけではありませんけれど、「他人が信じているもの」に対しては、原則として礼儀正しく振舞うことにしています。陣者に行けば拍手を打ち、仏教寺院では閃光を上げ、キリスト教の青銅ではお灯明を上げます。ずいぶん節操がないやつだと思われるかもしれませんが、その場所を『神域』として大切にしている人たちの「思い」というのはやはりどんな場合でも尊重しないといけないと思うのです。(P288)

なるほど、と思ったのは、ぼく自身は日ごろこういう心がけがあまりできていなかった、ということである。
いや、何となくそのように心がけた方がいいような気がしてはいたのだけど、その概念がいまひとつ掴みきれていなかったのである。

実のところぼくは、明確に「自分の宗教観」を持っていることを自覚している。
自分の宗教観とは、自分の芸術観のことである。
つまり、ぼくは明確に「自分の芸術観」を持っていることを自覚している。
しかしだからといって、「自分の芸術観」の内容について、自分自身がよく知っているとは限らず、それが何なのかは常に探求中である。
ただ自分にとってハッキリしているのは、「自分の芸術観は、他人の芸術観とは異なる」ということである。
多くの他人が捉えている「芸術」と、自分が捉えている「芸術」はどうもちょっと違う。

「自分の芸術観」が他人と違うことがもうハッキリしているのなら、あとは「自分にとっての芸術とは何か?」だけを追求するだけいいだろう。
そう思う限り、「他人の芸術観」など知らなくてもいいし、「他人にとっての芸術とは何か?」なども知る必要はない。
そのような理由もあって、これまでぼくはあまり芸術書を読まず、芸術以外の自然科学や現代思想の入門書などを読んでいた。
「自分にとっての芸術とは何か?」を知るためには、「他人の芸術観」についての知識は不要で、それよりも芸術に隣接する芸術以外の分野を攻めることで、「芸術」の存在を浮き彫りにしようとしたのだ。

ところがそのようにしていろいろ本を読むうちに、最近になって「他人にとっての芸術とは何か?」を知ることは、結局のところ必要なのではないかと、思い始めるようになった。
実のところ、「自分の芸術観」は自分だけで思っていても仕方がなく、他人に表現して伝えなくては意味がない。
他人に「自分の芸術観」を伝えるためには、そのほかの芸術観とどのように違うかを説明する必要があり、そのために「他人の芸術観」を知る必要がある。
それはつまり、「自分の芸術観」を、同時代の芸術のあり方のうちに、どのように配置するか?ということでもある。
ぼくはこれまで「自分の芸術観」を、芸術の歴史にどのように位置づけるか?を主に考えてきた。
しかし歴史のことは考えていても、実のところ同時代のことはあまり考えていなかった。
そこを反省し、「自分の芸術観」を、同時代のさまざまな「他人の芸術観」との関係の中にどう位置付けるか?を考えてみたくなったのだ。
それにはさまざまな「他人の芸術観」や「他人の芸術史観」を知る必要があるだろう。

そして上記の内田さんの文を読んで、「他人の芸術観」を知ることは、「他人の宗教観」を知ることと同じなんだと、ハタと思ったのである。
「他人の宗教観」を知るとは、他人の宗派に帰属することではない。
そうではなく、まさに内田さんが言われるように、「他人の宗教観」に好意を持ち、その「思い」を尊重し、その礼儀に沿って正しく行動することである。
そうすることで「自分の宗教観」を保持したまま、「他人の宗教観」を知ることが出来る。
そして「他人の宗教観」の良い影響を受け、「自分の宗教観」のあり方をいかようにでも変えることができるのではないか。
と、そのように思ったのである。
もちろん、芸術は宗教とは同じではない。
しかし、芸術に「敬虔な祈り」があるとすれば、それはその人の芸術観に沿って「芸術とは何か」や、「どんな作品が良い芸術なのか」や、「どんな芸術を目指しているのか」などを語ることではないだろうか。
いや、実際アート関係者は「黙して語る」ことのほうが多いかもしれないが、ともかくそのような「言葉」に耳を傾けることが、今の自分には必要なのだ。

この場合の「芸術とは何か」は、自分ではなく「他人が知っている」ことになる。
自分はこれまで、芸術については「もう知っている」つもりでいたので、「良い作品」と「悪い作品」は自分の好みで勝手に決めていた。
しかしこれは「自分の芸術観」の中の、一方的で狭い価値観でしかない。
今の自分は「他人の芸術観」がどんなものかをほとんど知らず、その意味で芸術について「何も知らない」のだ。
自分がその良さを「分からない」と思っている作品を「知る」ということは、その同じ作品を他人がどう評価するかを「知る」ことである。
そうすることが、自分がその作品を「知る」ということになる。
つまり他人の「敬虔な祈り」を尊重し、それに対し耳を傾けるのである。

そしてこれこそが、岡田斗司夫さんが『オタクはすでに死んでいる』で指摘した「自分の気持ち至上主義」を克服するための方法論に、なるのではないかと思うのだ。
「自分の気持ち至上主義」とはつまり、世の中で広く信じられていた「大きな物語」が解体された後の、個別化した「小さすぎる物語」のことではないかと思う。
「大きな物語」が解体されるのは歴史の必然だとしても、「小さすぎる物語」ではやっぱり小さすぎるのであって、「適度な大きさの物語」が再編される必要がある。
ぼくにとっての「自分の芸術観」も、「小さすぎる物語」のままでは、本当に小さくしぼんで消えてしまうかもしれない。

内田樹さんが教育論の最後に「宗教」の話を持ってきたのは、まさにこのようなことと関係してるのではないか、と思うのである。

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2009年1月12日 (月)

ブリコラージュ芸術論

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またしても、ブログのタイトルを変更することにした。
前回の記事で、そもそも自分が文章を書く目標を見失ってしまった、と言うようなことを書いたのだが、これまでのブログのタイトル『思考のブリコラージュ』が、あまりに漠然としていたのも一因だったように思えたからだ。

ぼくは一つの分野にこだわらずに、異分野を横断するような思考をしたかったので、それを示すために漠然としたタイトルにした。
しかしあらためて考えると、ぼくの思考の中心には、どんな場合にも「芸術」があったのだ。
ぼくの興味は自然科学や現代思想などいろんな方面に脱線するが、所詮それらは「入門レベル」の素人でしかない。
だが「芸術」については、客観的なレベルはどうであれ、自分は曲がりなりにも玄人なのである。
だから異分野を横断するにしても、あくまで芸術を足場に思考していた、と言えるのだ。

そもそもぼくは「芸術」を知るため、あえて芸術書をあまり読まず、芸術以外の自然科学や現代思想の本(主に入門書だが)を読む、という戦略を採用したのだった。
その理由はまず、芸術を知るために芸術書だけ読むと、つまり芸術の「中」に入り込み過ぎると、かえって「芸術」そのものを見失ってしまうような気がしたからだ。
そして、芸術以外の自然科学や現代思想などの知識を仕入れることにより、言ってみれば芸術を「外」から攻めることで、その存在をあぶりだそうとしていたのだ。
だからいかに関係ない話をしようとも、結局は芸術について語っているのであり、だからブログのタイトルも素直に『ブリコラージュ芸術論』に変更することにした。

この場合の芸術論は、「芸術とは何か?」であり、「いかにして芸術を成立させるか?」であり、「芸術の概念はいかに異分野に応用できるか?」という問いである。
このうち最後の「芸術の概念をいかに異分野に応用するか?」を問題意識とする人は、あまりいないのではないかと思う。
なぜなら近代から始まる芸術は、「芸術のための芸術」というスローガンの上に成立しているのであり、それを異分野へ応用することはなかなか考えられないのである。

しかし芸術の歴史は「芸術のための芸術」を極限まで追求した結果、ついには芸術作品から「作品」がマイナスされ、芸術は純粋な「概念」として取り出されるに至った。
それがマルセル・デュシャンの「レディ・メイド」の意味だと自分は解釈している。
作品と言う実体を持たず、抽象的な概念となった「芸術」は、芸術以外のさまざまな分野へと応用が可能になる。

そんなことが可能なのか?と普通は思うだろうが、「非人称芸術」や「路上ネイチャー」はまさにその実例である。
いや、実例だと思っているのは実はぼくだけかも知れず、さらに説明が必要である。
それに芸術の概念の応用、諸概念とのブリコラージュの可能性はまだまだ未知数である。
と言うわけで、このブログは『ブリコラージュ芸術論』というタイトルのもと、続行しようと思う。

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2009年1月10日 (土)

目標が目標・・・

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こちらのブログ、もっと頻繁に更新したいのだが、なかなか上手く行かず滞ってしまう。
自分はモノを作ることが好きで、それで写真を中心とした「造形芸術」をしてるのだが、最近はそれだけでは飽き足らず、文章を書いて「考えでモノを作る」ということに非常に興味がある。
それでこのブログでいろいろ試しながら、ゆくゆくは本なんか書いてみたい・・・などと思ってたりしている。
ところが、これが思いのほか難しくて、色々と難航している。

今のところの悩みは、自分が何を目指しているかの目標が定まらないことだ。
それにはいくつかの意味があるのだが、まずはレベルの問題だ。
レベルの問題というのは、端的にぼくがあまり頭が良くないということだ。
だから「考えでモノを作る」と言っても、自分は本格的な科学者や哲学者、思想家、などを目指すことはできない。
つまりぼくの場合、内田樹さんや、池田清彦さんや、仲正昌樹さんや、中島義道さんや、養老猛司さんなどの本を読んで「面白い!」と思っても、自分自身がその著者を「目標」にすることはできない。
どう逆立ちしても、ぼくがそのような学者たちと同じレベルになれるはずがないのは、自明のことである。
だからいわゆる学者よりも数ランクレベルを落としたところに「目標」を設定すべきなのだが、そういう自分の目標になりうる著者は誰なのか?というのが今ひとつ分からずにいるのだ。
これにはもうひとつ意味があって、それは「考えでモノを作る」ということについて、学者より数ランク下の知的レベルによる創作物に、何らかの価値があるのか?ということだ。
学者先生の言うことには意味があるが、ぼくのような学者未満の人間のいうことに、果たして何の価値があるのか?ということである。

しかし実のところ、ぼくは学者未満であっても「芸術家」であるので、芸術家の言うことだったら何らかの価値があるだろう、と目論んでいるのである。
初めに書いたように、ぼくはモノを作るのが好きで「造形芸術」をしており、その延長で「考えでモノを作る」ということがしたいのだ。
だからぼくの「造形芸術」と「考えでモノを作る」は互いに連動しながら、「糸崎公朗の表現世界」を形成するんじゃないかと思う。
そう考えると、そのように「作品を作りながら、考えも作る」ことを実行している芸術家を「目標」にすれば良いようにも思えるが、そのような人がいるのかどうか、どうもよく分からない。
まぁ、ぼくは実のところ芸術関係の本をあまり読んでないので、単に知識不足なだけなのかもしれない。
しかし一方で、ぼくは芸術家を名乗りながら、普通の意味での芸術家と立場を異にしてるので、他の芸術家はあまり参考にならないような気がしているのだ。
ぼくが普通の意味での芸術家と立場を異にしているのは、ぼくは普通の意味での「作品製作」を放棄しているためだ。
「作品製作を放棄した芸術」のルーツは、マルセル・デュシャンと赤瀬川原平にあるから、彼らを目標に据えることも考えられるが、やはりどうも違う。
デュシャンの文章には鋭い理論が示されているようだが、まとまった理論を記したわけではなく、散文的なテキストや誌的なテキストを断片的に書き記したのみで、ぼくの目指すところとは異なる。

一方の赤瀬川さんは、著書を数多く記しており『芸術原論』では「超芸術トマソン」にいたる理論を記し、ぼくは多大な影響を受けた。
しかし赤瀬川さんは、理論の人である一方で、芥川賞を受賞した小説家でもある。
そのせいかどうか、赤瀬川さんは理論を深く追求することはせず、結局その理論は本気とも冗談とも取れるような「宙吊り」の立場をキープしている。
いやむしろ、アート界の常識で「超芸術トマソン」は、赤瀬川さん流のパタフィジックだと捉えられているようだ。
しかしぼくは赤瀬川さんの理論を「本気」と捉えているのであり、さらにそれを深く追求しようとしている。
その意味で赤瀬川さんはぼくの「目標」にはなり得ないのだが、ぼくは理論を学者と同じレベルで掘り下げる能力がないから、じゃぁどのレベルまで掘り下げるのが妥当なのか?ということで迷っているのだ。

以上のようなことに加え、さらに「何について考えるか」ということも今ひとつ定まらずに迷っている。
考えることの発端は、「非人称芸術」のコンセプトなのだが、この考えを進めてゆくと、芸術や路上のことに加え、自然科学や現代思想などの色々な分野がかかわってくることになる。
しかしぼくは前途したように、それを「ちゃんとした学問」として考えられるような頭がないのである。
例えば、非人称芸術を軸として、自然科学を根拠に、現代思想的な価値判断のまったく新たなパラダイムをきちんと構築しようとか、そういう「目標」が建てられれば非常に有意義なのだろうが、自分にはとても無理である。
とすると、自分にとってどんな分野のことを、どのあたりのレベルまで掘り下げて考えるのが有意義なのか?どうもわからないのだ。

まぁ、端的に言うと、自分がアタマが良くないことは分かっているが、かといって丸っきりバカでもなく、一体どの程度のバカなのか?が分からないので不安なのだ。
一方「造形芸術」について、ぼくは自分のことを「絵も下手だし、写真も下手」と公言してるのだが、それだけ自分の立場を把握して安心しており、その不足分を補う戦略も持っているから、アーティストとして何とか成立してるのだと思う。
だから「余計なことは考えず、作品に専念したほうが良い」というのがもっともなアドバイスなのかもしれないが、それだとどうも作品製作のテンションが保てず、空中分解してしまいそうで不安なのだ。

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2009年1月 1日 (木)

「味覚ネイチャー」のコンセプト

芸術を「グルメ」に例えると、古来からの崇高なる「藝術」の愛好者が「グルメ」であり、現代的に大衆化したアートやサブカルチャーの愛好者は「B級グルメ」と言うことになる。
ぼくは「B級グルメ」の大衆なのだが、そういう自分が「グルメ」にあこがれてランクアップを図ろうとすると、これがけっこう大変である。
グルメになるには「本当に美味いもの」を色々と食べ比べる必要があり、それをするには高い店で食べたり、安くとも遠く現地に行って食べたり、外食だけじゃなく自分で調理したり、気軽に安くて不味いものがもう食べられなかったり、そういう色々面倒なことをして「舌を肥やす」必要がある。
「舌を肥やす」とは「教養を身に付ける」と言うことで、誰でも簡単に出来ることではないから「高級」なのである。
ぼくは高級なグルメの世界にはあこがれるけど、いまさらそんな面倒なことは出来ないから、しかし「食」には関心があるのでまったく別の手を思いついた。
それが「味覚ネイチャー」である。

自然観察といえば普通は「目」で行われるが、それを「舌」で行おうと言うのが「味覚ネイチャー」である。
これは「食べられる山野草やキノコを味わう」こととは全く異なる。
それは単なる「グルメ」でしかない。
そうではなく、「本来は食べることの出来ない自然物の味を、舌で確認する」のが「味覚ネイチャー」のコンセプトなのだ。
例えば、マサキの実は「少し渋みがあり、それ以外味がない」のに対し、ハナミズキの実は「はじめはほのかに甘く感じられ、程なくして強烈な苦味が襲い、その苦味はかなり後まで尾を引く」と言う違いがある。
マサキの実もハナミズキの実も赤い色をしていて、この赤は鳥に対し「食べられる実」というサインとして働いていると言われる。
しかしながら、両者はこのように味が大きく異なるのである。


マサキの実


ハナミズキの実

このように、一見同じような色をした実の味が異なることも面白いし、ヒトが好む実の味と、鳥が好む実の味が全く異なることも面白い。
ヒトの食べ物ではない木の実は実に不味いのだが、その「具体的な不味さの体験」も新鮮で面白いのである。
もちろん、鳥が食べられてもヒトには毒である場合があるから、味を確認するだけで、飲み込まずに吐き出すことが基本である。
また、下に刺激物を与え負担をかけるから、一日に何度も味わうことは出来ない。
そのようにして、自分の「舌」を使って自然を知り、それを楽しむのが「味覚ネイチャー」なのである。

「味覚ネイチャー」とは、「グルメ」や「B級グルメ」に対する「超グルメ」である。
そしてこれは、「藝術」や「現代アート」や「サブカルチャー」に対する「非人称芸術」の立場と対応する。
「非人称芸術」のコンセプトを「グルメ」の分野に応用すると「味覚ネイチャー」になる。
ここでポイントとなるのが、「味覚」が「芸術」ではなく「ネイチャー」と結び付いていることである。
一般には「味の芸術」などといわれるが、実のところ「味覚」は本当の意味で芸術にはなり得ないのではないかと思う。
人間の「味覚」は「資格」ほどには自由ではなく、生物学的に(遺伝的プログラムとして)さまざまな制限が掛かっている。
早い話、人間はヒトの食べ物以外の物は、不味すぎて食べることが出来ないのだ。
つまり「食」という文化には原理的に「前衛」が成り立たず、前衛が成り立たない分野は「芸術」にはなり得ない、というふうにぼくは解釈しているのだ。
それに対してヒトの「視覚」は制限もなく自由で、大多数の人間が「見るに耐えない」とするような絵でも、「これは良い!」と評価する「眼の肥えた人」がいるもので、それが「前衛芸術」である。
それに倣って、例えば「錆びた鉄釘と粉石けんのスープ」みたいな「前衛料理」が成立するかというと、そんなことはあり得なさそうだ。

しかし、「人間の食べ物ではない物」を「ネイチャー」に結び付けて考えると、それを味わうことが「自然を知ること」へ繋がり、必然性が生じる。
そのような必然性があれば、コンセプトも成立するのではないか、ということで「味覚ネイチャー」なのである。
「味覚ネイチャー」はまだはじめたばかりの分野だから、これがどう発展するのか、またはちゃんと発展できるのか、は全く不明である。
今のところの問題点はその記述方で、主観的な体験である「味」を文字で書き表すのはなかなかに難しそうだ。
ここは本来の「グルメ」がどのように記述しているかを、学ぶ必要があるかもしれない。

実は「味覚ネイチャー」のコンセプトを思いつくだいぶ前から、色々な「味見」はしていた。
例えば「マムシグサ」は文字通りヘビの姿を思わせる花を咲かせるが、ちょっと齧って味見をすると、舌に痛みに似た刺すような刺激があることが分かった。
植物図鑑には「マムシグサには毒がある」と描いてあるが、食べるとどんな味がするかまでは書かれてはいない。
それでぼくは、マムシグサの語源は「齧るとマムシに噛まれたような痛みがあるから」かもしれないと、想像したのだ。
ただこうした実験は、コンセプトがまとまらなければ「遊び」に終わってしまう。
あらためてコンセプトを思いついたのは、「路上ネイチャー協会」ブログを毎日更新しなければならない「呪い」に掛かっていて(笑)、そのネタに詰まっての苦し紛れの結果なのだ。

実はもうひとつきっかけがあって、それは金沢21世紀美術館デザインギャラリーの、ぼくの展示終了後に行なわれた展示というか、イベントである。
それが諏訪綾子さんの「フードクリエイション 食欲のデザイン展  感情であじわう感情のテイスト」なのだが、ぼくはこのプレイベントに参加したのだ。
フードクリエイションとは、簡単に言うと「前衛一歩手前」を追求した料理で、なかなか不思議で面白い味覚が体験できるのだ。
ぼくは先に書いたように「味覚は芸術にならない」と思ってたので、フードクリエイションのコンセプトは意外だと感じると同時に、「マムシグサの味見」のことなど思い出したりして、この体験も恐らく「味覚ネイチャー」の着想に影響したのかもしれない。

というわけで、これからちょっとづつ、死なない程度にいろいろ試してみるつもりである(笑)。

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