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2009年7月 5日 (日)

すぐに忘れる読書術

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ぼくはこれまでずっと、自己流のデタラメな読書をしていたように思う。
しかしいろんな本を読んでいるうち、ちゃんとしたことを書くには、ちゃんとした読書法(勉強方)を身に付ける必要があることが分かってきた。
ところが、ぼくはもともとそれほど頭がよいわけではなく、しかもすっかり頭の固いオヤジになってしまったので、今更ちゃんとしたかたちで学問に取り組むことは不可能だ。
だからやっぱり腹を据えて、これまでの「我流」をやり通すしかない。
バカにはそれぞれの「バカ」に見合った読書法が必要で、それは自分なりに開発するしかない。
と言うわけで、誰かの参考になればと言うより、自分の考えの整理のために自分の読書法について書いてみようと思うのだが、長くなってしまったので3回に分けて投稿することにする。

「記憶力がないので何度でも楽しめる」とは土岐小百合さんの「TOKIのことば」のひとつだのだが、ぼくはとにかく物覚えが悪く、自分でも驚くほどだ。
例えば最近、ブログ記事を書くために部屋の本棚にあった小谷野敦さんの『バカのための読書術』を再読してみたのだが、まるで初めて読む本のように楽しく読めてしまった。
この本は数年前に自分で買って読んだはずなのだが、あきれたことに内容の記憶がほぼゼロだったのである。
これに続いて読んだ小浜逸郎さんの『頭はよくならない』も、数年前に買ったものの再読なのだが、こちらはけっこう影響を受けただけあって、大筋は覚えていた。
しかし細かい箇所ではいろいろな「発見」があり、それだけ記憶を失っていたのだ。

忘れっぽい人はノートをとりながら読めばいい、と言うことでそれを実行したこともあった。
しかしあとで自分のノートを読み返しても、何がどういうつもりで書かれたのかが分からなかったりしてしまう。
ぼくは自分で書いたブログの文章も、書いた端から忘れてしまう。
たまに読み返すと、「自分は案外いいこと言ってるな」と思ったりするが、実のところそれを書いた記憶自そのものがないのだ。
また、自分がこれからブログに書こうと思ってたことが、もうすでに自分のブログに書かれていることもある。

何が言いたいのかと言うと、記憶力のない人は、そのこと自体を楽しめばいいということである。
「発見」とは、あくまで「現在の自分」にとっての発見なのだから、発見をその都度忘れてしまえば何度でも「発見」が楽しめる。
いや少なくとも、自分に記憶力がないことを自覚していれば、それを他人に指摘されて意固地になって「バカをこじらせる」ことは防ぐことは出来るだろう。

まぁしかし、これだけでは「読書法」としてはあまりにオチャラケてるので、次回はもうちょっとマシなことを書いてみようと思う。

(*写真と本文は関係ありません RICOH CX1)

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