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2009年7月 6日 (月)

イキナリ応用しながら読む

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すぐに忘れる読書術」の続き。

ぼくはとにかく「単純記憶」が苦手で、そういう意味での「知識」を身に付ける事がなかなかできない。
そのかわり、自分が心底「分かった」と思えることを中心に覚えようと努力している。
ぼくの場合「分かる」ことは、ある概念を知識として記憶することではなく、その概念を「応用して使える」ということである。
つまり本に書かれていた概念を、自分の身の回りの具体的事例に当てはめて考えることが出来たり、本の説明とは異なる自分なりの言葉に置き換えて説明できれば、それが「分かった」ことになる。

以前の記事にも書いたことがあるのだが、ぼくはこのブログに本の感想を書く場合、書かれていた文をそのまま書き写すのではなく、なるべく自分の言葉や事例に置き換えながら書くことにしている。
だからぼくのブログの本の要約を書いているような箇所でも、実は本に書かれていない、まるっきり違うこと書かれていることが多い。

例えば、以前の記事で『バカのための読書術』(小谷野敦/洋泉社新書)を紹介した際に、

>「歴史」というものは、地域、文化、分野、文脈が異なるさまざまな出来事を「時間」という「同じ基準」で一括整理する働きを持つ。
>つまり「歴史」には、さまざまな学問分野に対して「知識の整理箱」としての機能があるのだ。

と言う文を書いたが、実はこの表現はもとの『バカのための読書術』に書かれていない、ぼくが適当にデッチ上げた「例え話」である。
実際には小谷野敦さんは「歴史は諸学問の中核である」と書いていたのだが、この教えをそのままの言葉として記憶することは難しい。
そこで自分なりに「歴史は知識の整理箱である」と言う例え話に置き換えてやっと「分かった」のである。
ちなみに「知識の整理箱」と言う概念は、もとは高田明典さんの『難解な本を読む技術』に書いてあった、

>棚見では、自分の頭の中に「知識の容器」を作ることを目的としています。知識の容器とは、たとえるなら弁当箱のようです。(P.38)

と言うことの応用だったりする。
ぼくはそのようにさまざまな概念を応用しながら理解し、そのように理解したことだけは何とか覚えられる。

また、「難解な本を読む技術」の記事で、ぼくが「同化読み」について解説した以下の文、

>「入門書」とは「天井知らずの頭のいい人」が地上(常識)世界に下りてきて、地上に何らかの変革をもたらすためのものだと解釈できる。
>なぜならいかに「天井知らずの頭のいい人」であっても、結局は地上(常識)世界に根ざして生活している限り、やはり「普通の人」と同じように「地上世界のよりよい変革」を望んでいるのだ。

これも元の本に書かれた言葉ではなく、同じく高田明典さんの『世界をよくする現代思想』などに書かれていることを、自分なりの言葉に置き換えて書いたものである。
元の文はほとんど覚えてないが、自分の言葉で適用に書くことが出来れば、その概念を「覚えている」と言えるのではないか。

実は、このような「応用」は読書法として「高等テクニック」なのだと高田明典さんの本には書かれている。
しかしぼくの場合は、基礎(正確な記憶と理解)が圧倒的に不足しているから、学問的な「高等テクニック」には程遠い。
本来は、基礎の上に応用があるのであり、しかしぼくは基礎を飛ばして「イキナリ応用」しながらの読書なのである。
これはつまり、専門家とは異なる「器用な素人」ならではの「ブリコラージュ(断片の切り貼り)」なのだ。

ブリコラージュについてはこのブログに何度か書いたのだが、自分はどう考えても専門家になれるはずがなく、だから「やっぱりブリコラージュで行こう!」とあらためて誓った次第である。
ブリコラージュの欠点は、一歩間違えると「トンデモ理論」になることだが、これについては次回に述べてみようと思う。

(*写真は本文と関係ありません OLYMPUS E-3 KIRON 105mm F2.8 Macro)

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