バカのための読書術
前回の記事「頭はよくならない」では、「ちゃんと勉強したかったら、まずは自分の頭の程度を把握したほうがいい」というようなことを書いた。
とすると、ぼくのような「頭のよくない」人間は、いったいどういう勉強をすればいいのか?
などと思っていたら、『バカのための読書術』(小谷野敦/洋泉社新書)というおあつらえの本を見つけた。
この本でいう「バカ」とは、「哲学とか数学などの抽象的なことを理解するのが苦手」というようなごく一般的な人を指している。
そして「自分がバカなのは分かっているけど、しかし何か本を読んで勉強をしたい」と思っているような(この意味では単なる「バカ」ではない)読者を想定している。
そういう人に対し小谷野さんは、まずは「歴史」の本を読むのがいいと勧めている。
抽象的なことが苦手な人でも、歴史を「おもしろい物語」として理解し学ぶことは可能であり、それはその人の「知的バックボーン」として非常に有力な武器になる、というのだ。
実をいうとぼく自身は、小学校時代は五科目のうち「社会」がもっとも苦手で「歴史」にも興味が持てず、中学高校と進学した際にも「日本史」と「世界史」ともきちんと学び損ねてしまった。
そうすると、自分が大人になってから興味を持って勉強した「哲学」や「思想」などについても、必然的に覚えが悪くなってしまう。
なぜなら哲学や思想は「哲学史」や「思想史」としての流れで把握する必要があり、基本的な「歴史」の知識が欠如していると、知識がどうしても断片化してしまうのだ。
「美術史」だって、その他の歴史の流れをきちんと抑えているのといないのとでは、理解の程度が違ってくるだろう。
「歴史」というものは、地域、文化、分野、文脈が異なるさまざまな出来事を「時間」という「同じ基準」で一括整理する働きを持つ。
つまり「歴史」には、さまざまな学問分野に対して「知識の整理箱」としての機能があるのだ。
それをして小谷野さんは「歴史は諸学問の中核だ」と表現している。
しかも「歴史」はそのような重要性を持つにもかかわらず、諸学問の中では最も「敷居が低い」のが特徴だ。
哲学や数学は、日常的な感覚を改変したり破壊したり、妙な頭のひねり方をしなければ理解できず、これは一種の特殊能力である。
しかし、「歴史」というのは「おもしろい物語」というかたちの「日常感覚の延長」で理解可能であり、特に頭をひねったりする必要がない。
また、歴史的知識は積み重ねで覚えればいいだけだから、その気になればいつからでも(年をとってからでも)はじめることができる。
小谷野さんは、歴史はまずは「概略」を知ればいいのであって、そのためには難しい専門書や、つまらなくて興味の持てない本は読む必要はなく、歴史小説や歴史マンガから始めれば十分だ、というように書いている。
特に現代の「若い世代」は、教育の弊害その他のせいで、「歴史」についての基礎知識を驚くほど欠いている者が多い。
だから「歴史」をほんのちょっと勉強するだけでも、それは自分にとってかなり大きな武器になるはずなのだ。
例えば、テレビに出てるような「文化人」が歴史についてウソや間違いを言っているのが分かれば、その人の「インチキ度合い」を見抜くこともできるかもしれない。
ぼくはこの『バカのための読書術』を数年前に読み、さっそく「歴史年表」を買ったのだが、A4サイズで持ち歩きがいまひとつ不便で、そういえば本棚で眠ったままだ。
そういう具合にぼくはまだ「歴史」の勉強をちゃんと始めてないから、そろそろどうにかしなくてはいけない。
もちろんこの本には「歴史」以外のさまざまな分野についての読書術(勉強法)も、なかなかユニークな切り口で分かりやすく解説されている。
とは言え、この本の「読書術」が全てそのまま自分の勉強法に使えるとは限らない。
一口で「バカ」と言ってもいろんな種類のバカがいるだろうし、バカなりに勉強する目的も人それぞれのはずだから、いろいろな読書術を参考にしながらも、結局は自分に適した「バカのための読書術」を開発しなければならないだろう。
(*写真は本文と関係ありません)
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