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2009年7月14日 (火)

「野生の思考」と「野放しの思考」

Sc003
(*元あった階段が撤去された結果に出現した「高所ドア」)

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(*元あった出入り口が塞がれた結果に出現した「純粋階段」)

前々回の記事で、「非人称芸術」は「野生の芸術」と言えるようなものだと書いた。
しかし「非人称芸術」はレヴィ=ストロースの言うところの「野生の思考」の産物とは微妙に違うのだ、と書いたのが前回の記事である。
今回はこれについて、もうちょっと書いてみようと思う。

レヴィ=ストロースの言う「野生の思考」とは、分かりやすく言えば「ブリコラージュ」的思考を指しているのだが、少なくとも「工作の側面」で考えると「非人称芸術」はブリコラージュの産物ではない。
工作としての「ブリコラージュ」は、その製作者の「意図」の産物である。
ぼくが100円ショップのタッパーを改造して、デジカメのストロボ拡散板を作る工作は、ぼくの「意図」に基づいて行なわれる。

それに対し、「非人称芸術」はあらゆる人々の「意図」を外れて生じるものであるから、その意味での「ブリコラージュ」とは決定的に異なる。
いや実際は、「非人称芸術」の多くが「街の住人」のブリコラージュによって生じるのであるが、そのブリコラージュが「芸術を意図して工作されたものではない」以上、概念としての「非人称芸術」の発生にブリコラージュは関与していないのだと言える。
例えば、「非人称芸術」としての「高所ドア」や「無用階段」の発生原因を、「工作としてのブリコラージュ」に求めるのは明らかに「間違い」である。

しかし、芸術の意図の無いところに生じた「高所ドア」や「純粋階段」を、「非人称芸術」だとみなす視点そのものは、ブリコラージュ的思考の産物だといえる。

「芸術」を既成の「芸術の文脈」に沿って飲み考えることは、まさに「栽培種化された思考」である。
これに対し、、「芸術で無いもの」を「芸術的視点」で結び付けること自体がブリコラージュであり、これはレヴィ=ストロース的な意味での「野生の思考」と言えそうである。
「栽培種化された思考」とは既成の分野をより高次なものへと進化させるための思考だといえる。
しかし「既成の分野」が行き詰ったときは、分野を横断して次なる飛躍をもたらすための「野生の思考」が有効である。
ぼくは「既成の芸術」を「行き詰っている」と捉える立場から、「芸術」と「芸術ではないもの」を結び付けるための「野生の思考」を試みているのだ。

しかし、ぼくは「野生の思考」に対して、まったく別の解釈もしている。
それはレヴィ=ストロースが示した「野生の思考」の意味から、逸脱した概念かもしれない。

そもそも「思考」というもの自体、野生動物と人間とを区別する指標となっている。
野生動物は「思考」しないし、だから「ブリコラージュ」もしない。
ブリコラージュとは人間ならではの行為であり、それはあくまで「思考」の一種なのである。
このような「文脈」で考える限り、「野生の思考」という概念は成り立たないように思える。

ところが、「非人称芸術」が「野生の芸術」だとすれば、それが生じる原因の「非人称の作用」こそが、「野生の思考」だと解釈できるのではないだろうか?
「野生の思考」を文字通り解釈すれば、それは人間の「思考」のコントロールから完全に離れた「野放しの思考」である。
「野放しの思考」は、実は「コントロールされた思考」の裏側に「不可避的に」発生する。
なぜなら、人間の「思考」は人間の行動の全てをコントロールすることはできないからである。

例えば、建物を改築して階段を撤去すると、結果として「非人称芸術」としての「高所ドア」が生じる。
この場合、階段を撤去したのが「思考」であり、「高所ドア」を生じさせたのが「野放しの思考」である。
階段を撤去した「思考」は、「高所ドア」を生じさせる「思考」をコントロール出来ず、そこに「野放しの思考」が生じている。

「野放しの思考」は、人が「思考」するところであれば、どこにでも発生しうるだろう。
例えば、「家」というのは「思考」の産物であるが、家と家との間の「空間の形」は、「思考」のコントロールの及ばない「野放しの思考」の産物だといえる。
実際に住宅がひしめく狭い路地というのは、実に味わい深い「空間の形」をしており、「非人称芸術」の一形態と解釈できる。
このように、「思考」と「野放しの思考」は表裏一体であり、「野生の芸術」としての「非人称芸術はどこにでも発生しうるのである。

というわけで、「非人称芸術」の工作面での生成原因を、「野生の思考」と区別して「野放しの思考」というふうに表現してみようというのが、今回の提案である。

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コメント

高所ドアの、写真、名品だと思います。
洗濯物と、古びてない自転車と、昼行灯の、絶妙な組み合わせでしょうか。

投稿: TAKAO YAMADA | 2009年7月15日 (水) 00時55分

最近、こういう写真ほとんど撮ってないですね・・・高所ドアの写真は相当前ですし、純粋階段にいたってはフィルム撮影のスキャニングです。

でも「デジカメWatch」の連載で「2コマ写真」の新作がもうすぐアップされますので、お楽しみに・・・久々に「路上のフォース」を使って探しましたw

投稿: 糸崎 | 2009年7月15日 (水) 01時27分

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