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2009年9月

2009年9月26日 (土)

この先生きのこるためのラカン

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ぼくみたいに頭のよくない人間というのは、とにかく知的に小食というか、ほとんどもう何も食べられたくて成長することができず、やせ細ったまま死んでゆくしかありません。
だからこそ、こういうドロドロに消化した離乳食のような食物は、この先生きのこるために大変ありがたいものです。

もちろん、頭の出来がよくて、大人として成長し続けられる人から見れば、「離乳食」なんてまともな食べ物のうちに入らないのかもしれません。
しかしぼくにとって「まともな食べ物」というのは、硬すぎたり、辛すぎたり、珍味すぎたり、ともかく「食べろ」といわれても口に入れることすらままなりません。
それに対し「離乳食」というのは「まともな食べ物」をドロドロにやわらかくし、刺激的な味や香織を抜いて徹底的にまろやかにし、もはやもとの食べ物と似ても似つかないシロモノになっているのかもしれませんが、曲がりなりにもこの状態であれば、ぼくにも食べることができるのです。
食べることができれば、少しは栄養になってそのぶん太ることができます。

レヴィ=ストロースは「どんなデタラメな分類でも、何も分類しないよりはマシだ」というふうに書いています。
専門家にまで「ラカンはワカラン」といわれるほど難解なラカンの思想が、ここまで分かりやすく書かれること自体がデタラメでインチキだったとしても、それでも「何も知らないよりはマシ」だと信じるしかありません。
ぼくがこの本で手に入れた各種の概念(考える道具)は、もしかしたらプラスティック製の「おもちゃの大工道具セット」みたいなものかもしれません。
そう考えるとちょっと恐ろしいですが、でも想像の世界で遊ぶしかないのが子供なのだとすれば、それもまぁ仕方のないことというか、それ以上自分にはどうすることもできないわけです。

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2009年9月21日 (月)

落ち込んでたので人に会ったりしてた

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9月12日(土)

最近いろいろあって、あまりに行き詰ってたので「そうだ、人に会おう!」と思って、美術家の彦坂敏昭さん(彦坂尚嘉さんとは親子と間違われがちですがアカの他人ですw)のトークイベントに行ってきました。
彼の絵画は、写真をパソコンで画像加工>シルクスクリーンに転写>銅版画に転写>加筆彩色、と言う複雑な工程を経てますが、要するに他のアーティストのように自分の中に「描きたいイメージ」があるのではなく、既成のイメージに「なぞり描き」をしてるのです。
つまり、自分が「描けない」というところから出発しているわけで、そこはぼくと似ているのです。
と、彼に話したらずいぶん納得されたので、そのうち「描けない派」を結成してグループ展をやるかもしれませんw
しかし二人ではいまひとつ説得力に欠けるので、もう一人「描けない」けどそこを突き抜けて描いているような人がいればいいと思うのですが・・・

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9月13日(日)

昨日の彦坂敏昭さんのトークショーで、門田光雅さんと言う美術家と知り合い、彼が運営に関わっている練馬区のNroom Artspaceというギャラリーに行ってきました。
住宅地内の元電気屋さんを改装した、なかなか面白いスペースです。

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なぜか、みんなで「新日曜美術館」を見たりとか・・・
展示されているのは門田さんではなく、山本浩生さんという美術家で、彼も大変ユニークでした。
作品のほかに、自分の美術に対する考えをまとめたファイルが置いてあり、これがなかなか面白くて非常に参考&刺激になりました。
武蔵野美術大学の絵画科卒ですが、日常にありふれたものを「何だか分からないもの」として表現する写真作品を制作したり、自分で描いたドローイングを撮影した写真にさらに加筆したり、画廊で参加者を巻き込んだパフォーマンス作品を展示したり、いろいろな試みをされてます。

門田さんとはなぜか虫話で盛り上がり、虫と美術をからめて何か出来れば・・・という話になったりとかしました。

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9月17日(木)

写真家の糸井潤さん(左)が、フィンランドに一年間の滞在製作に行くので、新宿の安い飲み屋で壮行会。
左の添野和幸さんはふざけているようですが、実はこういう撮影で彼の幻想的な作品が生まれるわけで、その一端を垣間見た感じです。

糸井さんは北極圏で最低気温マイナス15度にもなるケミヤルビというところに滞在し、現地で使うカメラは二眼レフのローライフレックス何だけど、そういう環境でトラブルなく使えるにはどうすればいいのか?と言うような相談を受けましたが、ぼくはよく知りませんw
その後彼はローライ製品のメンテナンスを行なっている「ロイ・カメラサービス」に問い合わせ「作動の保障はしかねます」と言われたそうです。
ぼくは、シンプルで壊れないと言うことで「ホルガ」を薦めてみたのですが、これは却下されましたw
まぁ、ホルガはいくらなんでも品質が心許ないですが、同じようなシンプル構造でしっかりした造りのボックスカメラは、中古でいくらでもあるような気もします。
もちろん、本人の撮影意図に合っていなければいけないわけで、なんとも言えませんが、ローライと本人共に無事を祈るばかりです。

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9月18日(金)

彦坂敏昭さんに誘われて、文京区に新しくオープンしたユカコンテンポラリーのパーティーに行ってきました。
鎖につながれたオブジェは、足立喜一朗さんの作品で、モーター駆動でナウシカの王虫のような動きをするのですが、表面にはホンモノのコケなどが植えてあり、なかなかリアルでかわいかったです。
足立さんは(当然のことながら)絵も上手くて、昔はこんなふうに自信を持って描ける人にあこがれていたなと、あらためて思ったりしましたw

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という具合に、何だか立て続けに人に会うことになったのですが、おかげでだいぶ持ち直してスッキリしましたw
というか、これまで自分は他人の影響が怖くて半ば意図的に「鎖国」をしてたのですが、最近になって路線変更をしようかなと思ったのです。
長年の鎖国のおかげで、ちょっとやそっとじゃ他人の影響を受けないくらいの「頑固者」になったと言う安心感があるのと、そもそも「鎖国」することは創造の方法論として有効だったのか?という疑問が出てきたからです。
まぁ、リアルに鎖国していた江戸自体の日本人は、開国後は簡単に「西洋文明」に転向してしまったので、ぼくも案外そうなってしまうかもしれませんがw

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2009年9月 4日 (金)

「万能の道具」は存在しない

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(*写真は本文と無関係です。小平市 Pentax Optio E40)

思想というものが「考える道具」だとすると、「万能の道具」を追い求めていたのがモダニズムの時代で、それがどうやら不可能であることが判明してしまった時代が、「ポストモダン」だと言えるだろう。
「構造主義」にしても、それは決して万能ではなく、その適応限界範囲を理解しなければ「道具の使いこなし」とは言えず、それが「ポスト構造主義」の立場なのかもしれない。

で、自分のことを改めて考えると、ぼくは作品制作のための「考える道具」として「非人称芸術」を使用しているのだけれど、これが道具として万能でありえない以上、非人称芸術「しか」使っていないという現状は、どうにかしなくてはいけないのだ。
「鑑賞主義」というのも、「非人称芸術」の延長上にある同じ道具のオプションみたいなものだから、自分のアートをさらにきちっと成立させるには、「まったく別の道具」が必要なのだ。

ぼくの問題点は、「非人称芸術」の「道具としての適応限界」を何となく意識しながら、キッチリそれを掘り下げて考えていないことだろう。
だから自分で「道具の使いこなし」ができていると思っていながら、実は中途半端でしかなかったのだ。

それと、ぼくは「万能の道具は存在しない」ということを理解しているつもりで、それが「複数の道具を使いこなすこと」と同じ意味であることが分かっていなかった。
また、一人の人間が複数の「考える道具」を使いこなすには、ちょっとコツがいるようで、ぼくはそのコツがまだよく分かっていない。

まだ想像の段階でしかないのだが、一人で複数の「考える道具」を使いこなすということは、「ダブルスタンダード」やあるいは「マルチスタンダード」といった立場を自分の中で成立させることなのかもしれない。
「考える道具」とは完結した一つの「物語」であり、異なる「物語」はお互いに矛盾する。
つまり「石」と「ハサミ」と「紙」はそれぞれが矛盾する「物語」なのだが、その3つの「考える道具」を使えば、「ひとつの道具」では不可能だったものが完成できるかもしれない。

実は「普通の写真」はそのためのアプローチだったのだが、いまひとつ成果が出ておらず、その証拠に「糸崎さんらしい写真ですね」などと言われてしまう。
まぁ、やり方は色々あるだろうが、とりあえず次回は「非人称芸術の限界点」あたりを考えてみようと思う。

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