相互的非人称芸術の目的
(*この写真は「相互的非人称芸術」ではなく単なる「普通の写真」です)
「非人称芸術」のコンセプトは原理的に「人称芸術」を否定し、従ってアーティストの存在を否定し、美術館やギャラリーやアートマーケットの存在もすべて否定している。
だからこの原理に忠実に従うなら、そのようなアート関係者とはいっさい接触せずに、自分一人で勝手に「非人称芸術」をやっていれば良いだけの話である。
しかし、実際のぼくはそのようなことも無く、美術館やギャラリーで個展やグループ展を開催し、アーティストや写真家のみなさんとも酒を飲んだりして、いろいろと交流している。
これは原理主義的には「不純」なのかもしれないが、しかし人は一つの原理のみでは生きられない。
別の言い方をすれば、一人の人間の中には異なる種類のいくつかの「欲望」が同居し、それらは時としてお互いに矛盾し合っている。
「非人称芸術」のコンセプトに従うことはぼくの欲望の一つなのだが、しかし一方では「美術館で展示したい」という欲望もあり、「アーティストと仲良くしたい」という欲望もある。
これらの欲望の内容は互いに矛盾しているが、一方を無理に否定するよりも、それぞれ並列的に同居させる方が実際的である。
つまり最近のMacはMacOSとWindowsの二つのOSをインストールできるのだが、これと同じように、自分の中に複数のOS(行動原理)をインストールして、場に応じて使い分ければ良いのである。
そして「相互的非人称芸術」とは、ぼくの中にある「非人称芸術」に対する欲望とは別の種類の欲望を満たすために、存在するのである。
そのような別の欲望とは何かと言うと、まずぼくはアーティストのみなさんと仲良くしたいのである。
ところが「非人称芸術」に対する欲望に従うと、そういう人たちと喧嘩になってしまうから、それで「相互的非人称芸術」が必要になるのだ。
自分がなぜ、アーティストと仲良くしたいのかと言えば、話をしてて楽しいからである。
美術家にしろ写真家にしろ、たとえその作品が自分にはよく分からなくとも、アーティスト本人はたいていの場合「ものすごくいい人」であり、話をしてて面白いのだ。
こういう人間関係を大切にしたいと思っているところに、「非人称芸術」の話を持ち込んでぶち壊しにしても仕方が無いので、それを回避するためのコンセプトとして「相互的非人称芸術」があるのだ。
ぼくが他のアーティストの方々と話ができるのは、曲がりなりにもみなさんからぼくがアーティストであると認められているからだろうと思う。
それは「非人称芸術」を抜きにした認められ方なのではあるが、それとは別な部分で「相互了解」が成立しているのだ。
アーティストとは「お金」以外の、世間的には「何の価値もない」とされるものに熱中して、時には命を張ったりもする人たちである。
そういうアーティストは世間的にはいたって不真面目で、しかし別な意味では普通以上に真面目で真摯な人たちであり、気が合うのだ。
それと「非人称芸術」が否定するところのアートの世界は、自分に未知の世界であり、それを知ることは決して無意味ではないはずである。
概念的にいくら否定しても、現にアートもアーティストも存在し続けている。
その現実に直面することは「非人称芸術」を考える上でも必要なことであるように思われる。
もし、そのあげく自分の欲望が「非人称芸術」を否定する方向へ変化したとしても、それこそ意味のある結果だと言えるだろう。
これとは別に、美術館で展示をして自分の作品がお客さんに喜ばれたりすると、これも単純に嬉しくなる。
もちろん「非人称芸術」のコンセプトを喜ぶ人はまずいなくて(そのような人はそもそも美術館に来ないかもしれない)、もっぱら「人称芸術」の文脈で楽しんでくれるのだが、それでも良いと思えてしまう。
この感情も「非人称芸術」のコンセプトとは矛盾しているが、それも自分の自然な欲望に基づく感情であるから、無理に否定することは無いだろう。
ここで整理すると、ぼくのアーティストとしての活動は「非人称芸術」と「相互的非人称芸術」に分裂しているのだ。
本来的には「非人称芸術」のみで成立しうるのだが、その偶然の副産物として「相互的非人称芸術」が生じた。
そして、今のところ「相互的非人称芸術」は「人称芸術」の文脈で一定の評価を得られているのだが、「非人称芸術」はほとんど評価の対象外となっている。
だからまぁ、それぞれどっちも地道に頑張るしかないし、そのうち何かがどうにかなるだろう(笑)。
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