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2010年3月17日 (水)

『アヴァンギャルドの時代』

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自分は「シュルレアリスムの影響を受けているのだ」と言いながら、実はよく知らないで語っていたので、古本屋さんで『アヴァンギャルドの時代』(塚原史/未來社)というのを買ってみた。
これが割と薄い本なのですぐに読めると思ったのだが、自分にとってえらく読みにくくずいぶん時間が掛かってしまった。
こういう本は自分には合わないので中断した方が良いのでは?とも思ったが、そういうことはこれまで何度も繰り返しているので、とにかく意味がわからなくても最後まで読むことにしたのだ。
この本がなぜ読みにくいか?というと、まぁぼく自身が基本的に読書が苦手、と言うことが第一だろう。
自分はおそらく「イメージの人」なので、基本的に「言葉だけで構築された世界」になじむことが出来ず、だから「イメージを想起させる言葉」以外は受け付きにくい、と考えられるかも知れない。
後は、興味の問題で、どれだけわかりやすく書いてあろうとも、自分に興味のない内容は頭に入りずらく「難しい内容」に思えてしまう。
いわゆる「頭のいい人」は、自分に興味のない内容でも、「自分の興味」を棚に上げて読書に集中できるらしいのだが(相でなければ少なくとも「比較研究」はできないだろう)、ぼくにはそのような余裕がないのだ。

もちろん、この本に書かれたことの何もかもがチンプンカンプンというわけではなく、自分なりに収穫はあった。
例えば、ぼくは美術に関しての「基礎」が欠けているから、アヴァンギャルド芸術に、未来派(マリネッティ)>ダダ(ツァラ)>シュルレアリスム(ブルトン)、というだいたいの流れのあったことは把握できた。
その未来派のマリネッティは「イメージの連鎖」という概念を提唱しているのだが、ぼくは高松市美術館での新作シリーズに『イメージの連鎖』というタイトルをつけたので、ちょっと驚いてしまった。

詩は新しいイメージの耐えることのない連鎖とならねばならない。さもなければ、詩は貧血と萎黄病に過ぎない。
イメージは、より広大な関係を含んでいればいるほど、人びとをあっといわせる力を長い間持続し続ける。

マリネッティ

しかしあらためて考えると、これはさほど驚くに当たらない。
なぜならアヴァンギャルドはこの本の表紙にもある、ソシュールが言い放ったあの言葉__「シニフィアンとシニフィエに結びつけている絆は恣意的なものである」___言語と意味作用の切断、という概念を「同時多発的」に共有しているからだ。
「言語と意味作用の切断」は、自分が提唱する「非人称芸術」の根拠でもあるのだが、ぼくは同じ概念を、構造主義の入門書で仕入れているので、かつてのアヴァンギャルドと考えが似るのは当たり前だと言える。
言い方を換えれば、例え「美術の基礎」を欠いていたとしても、別の分野の基礎知識を仕入れていさえいれば「当たらずとも遠からず」で美術に接近することは出来る、ということだろう。
もしくは現代では何を考える上でも、「シニフィアンとシニフィエに結びつけている絆は恣意的なものである」が前提となっているので、単にそのことが確認できたに過ぎないのかも知れない。

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コメント

読みにくい原因はいろいろあると思いますが、どうにもならないのは著作者の脳内世界が違うことですね(笑)

そこで必要なのは、その違う世界に踏み込む価値があるかどうかの判断ですが、結局のところ、その著作者の思考の土台になっている古典から読み直ししたほうが近道だったりするのを感じる今日この頃であります、めんどくせえ(笑)

投稿: 遊星人 | 2010年3月17日 (水) 22時07分

「脳世界の違い」を乗り越えるだけの自由度を手に入れた人が、いわゆる「頭のいい人」だと言えますが、自分の場合はまだまだというか、遠く及びません・・・

投稿: 糸崎 | 2010年3月18日 (木) 16時34分

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