企画展『ながめる まなざす』
水道橋のアップフィールドギャラリーで開催される写真の企画展『ながめる まなざす』のチラシが届きましたが、ぼくの名前がありますね・・・
とは言え出品作家ではなく、7月11日に開催されるフリートークのパネラーとして、出品作家の相馬泰さんとお話しすることになっている。
いや、本来の自分は「写真」というものからちょっと(かなり?)ずれた位置にいる作家なので、このような「写真展」のパネラーを務める立場にないのだが、しかし最近はそのように自分の立場を「固定」してしまうのもどうかと思うようになり、思い切ってその依頼を受けることにしたのだ。
何より今回のぼくの参加は、展覧会企画者の湊雅弘さんからの依頼であって、実にありがたいことである。
湊さんや相馬さんのつもりとしては、ぼく自身の「ちょっとずれた立場」からの意見をあるいは求めているのかも知れない。
しかしだからといって、「写真が分からない」という今の状態でぼくが対談に臨んでも、中途半端に浅い話に終わるかもしれないし、そもそもそういう態度自体が依頼者に対して礼を欠いていると言える。
だからぼくはこれまでの「写真を否定する自分」の他に「写真を理解しようとする自分」を新たにインストールして、その二つの異なる立場を並列しつつ、対談に臨もうと、今のところは目論んでいる。
まぁ、難しいことは抜きにして、ちょっと前に相馬さんと打ち合わせを兼ねていろいろお話しした印象では、どうにか面白い話にはなりそうな感じだった。
相馬さんは「写真」以外にもいろいろと好奇心旺盛な方で、新興宗教に妙に詳しかったり(駅前にいる「手かざし」の人たちが統一協会であることが「常識」であることも教わったw)、最近は「美味しい紅茶とは何か?」の研究をされてたり、そういう話を聞くと相馬さんの「写真」もちょっと違って見えたりして、もちろん作家の人格=作品ではないけれど、そのものを理解するにはいろんなアプローチがあり得るのだ。
ちなみに企画展のチラシの裏は、増田玲さんのテキストで、これを読むだけでも勉強になる。
ぼくはこれまでこういうテキストは習慣的に読み飛ばしていて、そういう態度も「愚者の典型」なのであらためないといけないw
というわけで、みなさんよろしくお願いします。
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