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2010年4月24日 (土)

佛教とガンダム

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今週はオルテガの『大衆の反乱』を読み終え、その後『旧約聖書』はやっと「列王記Ⅱ」まで読んでメゲてしまったので、再び仏教書を読んでみることに。
まず『ブッダの真理のことば 感興のことば』の「ダンマパタ」を読んだのだが、同じく初期の仏教書である「スッタニパータ」と内容がそれほど違わないような気がしてしまった。
もちろん、ありがたいためになることが書いてあったのだが、これを理解するにはやはりガイドブックを読む必要があるかもしれない。
それに、これ以外にも仏教書はいろいろ読んでみたいのだが、何を読んだら効果的なのかが分からないので、その意味でもガイドブックは必要だ。

というわけで、このブログのコメント欄で教えてもらった『バウッダ[佛教]』を買ってみた。
まだ半分ちょい過ぎまでしか読んでないのだが、この本は大乗仏教と小乗仏教の違いを明らかにしてくれてるところが、自分にとってはありがたい。
その違いは小乗仏教が『ガンダム』だとすれば、大乗仏教は『Zガンダム』以降のガンダムシリーズに例えられるかも知れない。
そして日本には中国経由で『Zガンダム』以降のガンダムシリーズだけが輸入されて、「これこそがガンダムである」と千数百年ものあいだ誤解され続けていた・・・
ちょっと乱雑な例えではあるけど、オタクな人はこういう理解でとりあえずは良いんじゃないかと思うw

『スッタニパータ』など初期佛教を見るとブッダはただ一人なのに対し、大乗仏教にはいろいろな種類の仏が登場し、それも『Zガンダム』以降『○○ガンダム』の種類が数え切れないくらいに増えたのと似てるかも知れない。
いやガンダムに限らず、ウルトラマンも仮面ライダーも、日本のそういった番組は大乗仏教的に発展する。
いや、大乗仏教のことはまだよく分かってないのだが、調べるとそういう方面でいろいろ共通項が見つかるかも知れない。

対して旧約聖書の「神様」は、絶対の唯一神であるからキリスト教になっても、イスラム教になっても「神様」の数が増えることは絶対にない。
それが向こうの番組にどう影響してるのかは知らないが・・・

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コメント

あまりよく知らないのですが、間接的に聞く限りではエヴァンゲリオンはかなりユダヤ教的なものを感じます、このあたりの世代から世界観は一神教的な方向に変わっているのかなあ・・・などと思ったりします。

エヴァンゲリオンがスタートしたのは地下鉄サリン事件があり、ウィンドウズ95が発売され、誰もがバブルの時代が終わったことを認識した1995年ですから、ヒーロー像が変わっても不思議ではありませんね。

世界観には地域的な環境の違いもありますし、時代的な世界観の変遷もあるわけですから、生物と同様に多様化するのは自然なことなのかもしれません。

それを考えると内田樹さんが言うように欧米の経済観念に振り回されているグローバル化はとても不自然なことのように思えます。

投稿: 遊星人 | 2010年4月26日 (月) 22時11分

書き方が悪かったのかも知れませんが、ガンダムが仏教的なのは表面的なことで、物語は関係ありません。
仏教のことは全く知らなかったのですが、調べてみると大乗仏教とそれ以前の初期仏教(小乗仏教)があって、その両者のあまりの違いのありかたに驚いてしまい、ガンダムに例えてしまったのです。

ガンダムは「機動戦士ガンダム」として1979年に放映がスタートしましたが、そのときは「続編」の制作などスタッフもファンも考えていなかったのです。
ところが1986年に「機動戦士Zガンダム」という続編が放映され、それ以降「ZZガンダム」とか「Vガンダム」とか「Gガンダム」とか、ガンダムはシリーズとして続編が制作し続けられ、定番化します。

はじめの「機動戦士ガンダム」は物語として完結して完成度が高いですが、それ以降のガンダムシリーズはいわば後付の設定なので、特に面白い内容ではありません。
しかしオリジナルのガンダムにないいろんな要素を取り込んで、広範囲に拡大したところが、「大乗仏教・初期仏教」の関係に似てるかなと思ったまでです。
いや実際は、その関係性すらも似てないんですが・・・ともかく初めて知る宗教の世界は何もかもすごすぎて、手近な何かに例えないと理解できないのです・・・

投稿: 糸崎 | 2010年4月27日 (火) 18時09分

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