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2010年4月16日 (金)

とっても役立つ!旧約聖書

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旧約聖書はようやく『サムエル記』まで読み終えたのだが、相変わらず理不尽な理由で人を殺しまくるイヤな内容で気分が滅入ってくる。
そこで、このブログのコメントで薦められた『考える人』の「はじめて読む聖書」を買ってみた。
で、内田樹さんによるとユダヤ教の聖典であるところの旧約聖書とは「完全記号」なのだそうで、そこにはテキストの表面にあらわれない二重三重の意味が隠されているそうだ。
で、その意味というのは解釈学によって明らかにされるのだが、聖書の解釈学というのは一つの巨大な学問体系になっているらしい。
つまり旧約聖書というのは「謎の記号」なのだから、読んでいて意味が分からないのは当たり前なのだ。
しかもその意味の分からない書物が「書物の中の書物」としてみんなに読まれているところに意味があるのであって、だからぼくも意味が分からないままともかく最後まで、新約聖書まで含めて読むことにしたのだ。

と思った直後、コンビにて『PEN』の「キリスト教徒は何か」をパラパラ見て驚いてしまった。
そこにはキリスト教絵画がいろいろと掲載されているのだが、なんと、自分が旧約聖書を読んだところまでの絵について、その意味が「分かる」のだ!!!
これまで「意味の分からない絵」として見ていたキリスト教絵画の意味が突然分るようになってしまい、まさにこれは「超能力」を身に付けたに等しい。
まぁ超能力は大げさとしても、かなり大きな能力を手に入れた(入れつつある)事は間違いない。
なぜなら西洋絵画の歴史は長い間「聖書の挿絵」ばかりを描いてきたわけで、だから聖書を読みさえすれば、大半の絵の意味がたちどころに理解できるようになるのだ。
聖書は長くてつまらなくて読むのがつらいと思っていたけれど、これさえ読めば西洋絵画に対するモノスゴイ読解力が手にはいるわけで、その意味でこれほど効率の良い勉強法もないだろう。

聖書というのは効き目の遅い薬のようなもので、飲んだ直後は苦いだけで何もないけれど、忘れた頃に突然効果が現れたりして、それが「完全記号」たるゆえんなのかも知れない。

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コメント

その昔、吉本隆明さんが古代の日本には抽象的な形容詞などなかったので形容は全て比喩であり、和歌の枕詞はそれが定型化した
ものだ・・・というのを読んで「ああそうだったのか!」と思いました。

 定型化した比喩表現はほとんど記号に等しいわけで、それは言語表現だけではなく画像表現でも同じで、パソコンの絵記号のことをアイコンと呼ぶのは、それこそ中世の宗教絵画のイコンががそういうものだということを前提に名づけられているはずです。

 現代人は和歌を情緒的なものと思ってしまいますが、あれはもっと生々しいことを暗喩するメッセージだと考えている専門家は少なからずいるようです、イコンは暗喩じゃなくて文字が読めない人ばかりだったから絵画的に直喩したのだと思いますけどね。

投稿: 遊星人 | 2010年4月17日 (土) 20時44分

たまたま今日から講談社学術文庫の バウッダ[佛教]中村元・三枝充悳 を読み始めたら、どれもこれもブッダから直接聞いたかのように書かれている数々の古仏典を検証して整理したのはインドを植民地にしていたイギリスの文献学者なのだと書いてありました、その手法はDNAの配列の比較で生物の進化の系統を割り出すのと同じような論理的な方法のようです。

文献学は数ある聖書の比較研究で発展した学問らしく「解釈学」もその中に含まれるようですが、その歴史はかなり古いようですからソシュールには土台があったのだなという気がしないでもありません。

ソシュールの記号学は言語中心ですが、言葉だけではなくアイコンも記号として捉えているのはバースの記号論の方だったようで、ウンベルト・エーコはこちらにつながっているみたいですね、レヴィ=ストロースも社会通念化した恣意的パターンはどれもこれも記号だと考えていたように思えますし。

・・・んで、思ったのですが、日本語って記号的な要素が希薄な言語なのかもしれませんね、その原因はどうも概念的なことは漢語をそのまま和文にちりばめて済ませたせいではないかという気がします。

「論理学」というのはほとんど数学の証明手法と同じなのですが、そういうつもりで「論理」という言葉を使うとまず話しが通じませんね、日本語はやっかいです(笑)

投稿: 遊星人 | 2010年4月19日 (月) 22時25分

いろいろ面白いお話ありがとうございます。
記号にしろ比喩にしろまずは読まなければ話が始まらないわけで、とにかく読まなければ・・・

>どれもこれもブッダから直接聞いたかのように書かれている 数々の古仏典を検証して整理したのはインドを植民地にしていたイギリスの文献学者なのだと書いてありました、

「無宗教」の日本人には難しい仕事かも知れませんね。

>その手法はDNAの配列の比較で生物の進化の 系統を割り出すのと同じような論理的な方法のようです。

文献学の手法を、進化の系統整理に応用したのでしょうか?
DNAは記号の組み合わせで、文献と解釈できますが・・・

>・・・んで、思ったのですが、日本語って記号的な要素が希薄な言語なのかもしれませんね、その原因はどうも概念的なことは漢語をそのまま和文にちり ばめて済ませたせいではないかという気がします。

「記号」であることは日本語も同じです、だって外国人には全く解読不能ですから・・・

>「論理学」というのはほとんど数学の証明手法と同じなのですが、そういうつもりで「論理」という言葉を使うとまず話しが通じませんね、日本語はやっ かいです(笑)

これは単に相手の「勉強不足」の問題のような気がします・・・他人のことは言えませんが。

投稿: 糸崎 | 2010年4月20日 (火) 11時38分

これもインドの文献を調べていて発見されたことらしいのですが、古代インド語とヨーロッパ言語は基本構造が共通なのでインド・ヨーロッパ語族という分類になっています。
なので、ヨーロッパの文献学の手法がそのまま使えたのではないかと思います。

インド人が議論好きで理屈っぽくてコンピュータ・プログラムにやたら強かったりするのは、たぶん、今でも論理的構造がはっきりした言語で考えているからで、ロジックが構築しやすいのではないかと思います。

「論理」という言葉が通じないのは勉強不足とかいうことではなくて、その証拠にロジックと言えば記号論理的な意味であることが通じますから、・・・というか、多くの人たちがその辺りに不自由なものを感じるようになったから最近はそのままロジックという言葉で済ませるようになったような気がします。

記号論の「記号」も象徴みたいな意味も含んでいて、これも日本語の「記号」とは少し意味が違うようでよく分からないところがあります。

投稿: 遊星人 | 2010年4月21日 (水) 07時55分

講談社学術文庫の『バウッダ[佛教]』ですが、さっそく買って読み始めました。

投稿: 糸崎 | 2010年4月22日 (木) 09時59分

分かったような顔をして記号論のことなど口走ってしまったので、バウッダは一時中断して、途中まで読みかけて長らく放置してあった記号論の入門書を再読してますが、これも論理学と同じで、ほとんど脳ミソの基礎トレーニングみたいなものなので読んでいても楽しくはないので気がつくと居眠りしてます(笑)

まあ、この目先の意味に捉われずに背後に潜む関係構造を読み取る思考方法が少しは理解できていないと構造主義の本当の意味が分からないのだろう・・・というのと、このトレーニングが身につけられればかなり世界の見通しがよくなるのだろうな・・・という期待はあるのですが、そこで、ようやくポスト・モダニズムのスタートランなのですよね(笑)

あっ、遅れましたが、オリンパスの標準ズームのリバースマクロ改造をやりました、拡大撮影は自動絞りが使えないOMレンズでやっていたので使いやすさは雲泥の差です、ありがとうございます。

投稿: 遊星人 | 2010年4月22日 (木) 20時40分

>まあ、この目先の意味に捉われずに背後に潜む関係構造を読み取る思考方法が少しは理解できていないと構造主義の本当の意味が分からないのだろう・・・というのと、このトレーニングが身につけられればかなり世界の見通しがよくなるのだろうな・・・という期待はあるのですが、

構造主義は基本を理解してるつもりでも、実際の応用はなかなか難しいところがあります(特に生活面の些細な事柄について)。
その逆に、「構造主義」ということばを知らずして、さりげなく構造主義的な意見を言う人もいて、驚くことがあります。
内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』に書いてありましたが、構造主義はもう常識として世間に浸透しているわけです。
ただ、「構造主義」をはっきり対象化して知っていた方が、より確実にコントロールできるので、それを学ぶことは重要だと思います。

「佛教は構造主義的である」ということも言われてるようですが、小室直樹さんによると「空」とは関係論のことであり、そうすると構造主義にかなり近いなと読んでて思いました。

>あっ、遅れましたが、オリンパスの標準ズームのリバースマクロ改造をやりました、拡大撮影は自動絞りが使えないOMレンズでやっていたので使いやすさは雲泥の差です、ありがとうございます。

情報が役に立ったようで良かったです。
連載は中断してますが、いい加減再会しないと・・・アイデアはいろいろあるのですが・・・

投稿: 糸崎 | 2010年4月24日 (土) 23時00分

こういう立派なテキストが無料で公開されているのを発見しました、これはすばらしいことであります。
http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/index.html

記号学は人間社会の解読法というイメージがありますが、ぼくは生物全般の知覚によって外界を判断する脳のシステムと関連したものだと思います。

たとえば、「擬態」は誰もが興味をもつテーマでありながら科学的に扱うにはちょいとやっかいなところがあります、これを記号学的に考えると、捕食者側の一方的な記号認識コードを潜り抜けたものという見方ができます。

矢島稔さんが「擬態」の意味は捕食者との関係でしか説明できないことで、それを考えていない説明は人間が納得するための物語になりかねないと「謎解き昆虫ノート」に書いてますが、ご自身は意識しているかどうか分かりませんが構造主義的な考え方ですね。

日高敏隆先生は自認していたのかどうか知りませんが、ぼくは最も早くから構造主義的な考え方をもっていた方と思っています、それは動物行動学は動物の認識を解読することに等しいので、最初から記号学的な見方をしていたはずだからです。

投稿: 遊星人 | 2010年4月25日 (日) 21時47分

どうもぼくは「記号論」と「構造主義」の区別が付いてないのですが、いい加減な理解なので、構造主義のつもりで記号論を語ってたり、構造主義のつもりで実は「脱構築」してたりと、そういうことはあるんじゃないかと思います。

でも肝心なのはソシュールのシニフィアンとシニフィエの概念であり、これを応用すればいろんな事ができる・・・という点で、構造主義も記号学もポスト構造主義も共通してるわけです。

そしてこれは現代の学問の基本ですから、どの分野の学者であっても(例え否定するにしても)マスターしてるはずだと思います。

例えば日高敏隆さんの「遺伝的プログラム」という考え方も、構造主義なくしてはあり得ないだろうと思います。

その昔、構造主義の入門書を読んで程なくして養老孟司さんの本を読んだら、まるで構造主義みたいな事が書いてあって「この人はすごい!」と思ったのですが、今から考えるとアタリマエのことでしたw

現代的な記号学はソシュールが始祖ですが、同時発生的に各分野で似たような概念が出現していたようです。

芸術の分野ではイタリア未来派が、新しい詩作の可能性として、言葉の記号と意味を分離することを提唱し、それがダダに受け継がれてたりしたそうです。
(『アヴァンギャルドの時代』塚原史 http://www.amazon.co.jp/dp/4624932374)

そういえば、シートンが動物の行動痕跡を示す「サイン」の観察を応用し、街中で人間の「サイン」の研究をしてるのを何かの本で見ましたが(確かシートン自身のイラスト入りだったような?)、あらためてシートンも読みたいですね・・・

投稿: 糸崎 | 2010年4月25日 (日) 23時56分

先のコメントの『アヴァンギャルドの時代』ですが、このブログでも紹介してました。
http://itozaki.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-2686.html
つい最近の記事なのに、書いたことをすっかり忘れてましたが、我ながら驚異の記憶力ですw

投稿: | 2010年4月26日 (月) 00時46分

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