最近の「ブログ4」
最近の「ブログ4」について。
以前このブログで「写真家からのアドバイス」と言うタイトルの記事を書いたのだが、まさにこのタイトルのおかげで多くの人に誤解を与えてしまった。
コメント欄にも書いたのだが、ぼくとしては写真家のYくんからアドバイスを求めたわけではなく、Yくんの写真について「どんなつもりで撮っているのか」という、彼の写真に対するコンセプトを聞いたのである。
そしてぼくはYくんに限らず、いろんな写真家に対し、同じような質問を事あるごとに投げかけているのだ。
それはぼく自身が基本的に「写真がわからない」のであって、言ってみればその情報収集のためである。
その中でYくんの話は理路整然としていて、感性に共通した部分もあるせいか、ぼくにはわかりやすかったのだ。
そこでぼくは、自分でも「写真」を始めるにあたって、Yくんの写真に対する考え方を大いに参考にすることにしたのだ。
つまり、ぼくはYくんの話したことに対し、それを勝手に「アドバイス」として再解釈したのだ。
もっと言えば、ぼくはYくんに弟子入りしたのである。
この「弟子入り」はあくまで方法論であって、とも書くぼくは「写真」を知る上で何らかの「基準」が欲しかったのだ。
実のところYくんと話してると、割と自分と感性が共通しているところがあって、「いっそのこと、写真をやめてぼくの弟子になればいいのに」と思ったこともあったのだが、それはかたくなに拒否されて、だったら逆転の発想と言うわけで、ぼくが彼の弟子になってみたのだった(笑)
Yくんがぼくの「写真」の師匠にふさわしいと思った理由は、彼がぼくの「写真」に対し否定的だったこともある。
ぼくは以前、このブログに「普通の写真」と称した写真を貼り付けていて、これは梅佳代さんの真似をしたつもりだったのだが、Yくんにはああいうのは「子供の写真」であって「写真」ではないと言われ、「なりほどそういう考えもあるのか」と納得してしまったのである。
一方、ぼくの「普通の写真」に対し、「糸崎さんらしくて良い」という意見もいただいて、それは正直嬉しいことなのだが、しかしぼくとしては「糸崎さんらしくて良い」ということの「外側」を知りたいと思っているわけで、だからあえて批判的な意見に従うことにしたのだ。
とはいえもちろん、Yくんの考えを丸ごとコピーすることはできないので、他の人の考えも参考に自分なりにアレンジしている。
今のところ自分に課しているルールは、50mm相当のレンズを主力に使い、風景の一部をフレームとして切り取り、その中で「構成」や「バランス」を念頭に撮影することである。
また、何か面白いものを狙うのではなく、つまり「被写体重視」の考えを意識的に排除するように心がけている。
撮影は近所をはじめとする「自分が良く知ってる場所」に限っているが、これは「非人称芸術」のコンセプトとかち合わないよう、「写真」に集中するためである。
この場合の「構成」とか「バランス」は、いまのところ感覚的なものであって明確な理論がない。
しかし、自転車に乗る練習をしてるように、なんとなく「写真」としてのバランスが取れるようになったような気がするのだが、どうだろうか?
いや、練習の成果についてはそれこそ師匠のYくんに聞けばいいのだが、この場合の「師匠」とか「弟子入り」はあくまでも半ば冗談に過ぎず・・・と、こんなこと書くとまたYくんから「あんまりヘンなこと書かんといてくださいよぉ~」などと言われてしまいそうだが(笑)
| 固定リンク
「反ー反写真」カテゴリの記事
- 糸崎公朗写真展『反ー反写真』TAPギャラリー会場写真(2012.05.25)
- 「反ー反写真」個展応募テキスト(2011.04.04)
- 写真の縁側(2011.03.06)
- デリケートな勝負(2011.03.04)
- ややネタ写真(2011.02.12)
「アート論」カテゴリの記事
- 無知・無能・無芸術(2014.03.23)
- 芸術の原因(2014.02.22)
- 写真家 リチャード・ミズラックの言葉(2014.01.31)
- 芸術の神髄(2014.02.03)
- リストカットとフォトカット(2014.02.09)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント