オルテガによる反何々
(Wikipediaに載っていた写真はにこやかだが、実際にはだいぶ厳しそうな人だろうと思う)
前回の記事に書いたとおり、最近のぼくは自分の説を否定的に捉えることに興味がある。
これはもちろん創造的方法論の一つであり、単なる自虐とは異なる。
いや実際に目指すところは徹底的な自虐なのだが、そのような危険に自分を追い込んでこそ「考える」行為が成立するのだ。
と言うことでオルテガの『大衆の反逆』なのだが、ここにはこれまでの自分の態度や、ひいては「非人称芸術」に対しての手厳しい批判ともとれることがいろいろと書いてあり、非常に興味深い。
重要な記述は本当にたくさんあるのだが、今回は以下の引用を示すことにする。
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一見したところでは、反何々という態度は、この何々より新しいように見える。
というのは、そうした態度はその何々に対する反抗を意味するものであり、その何々の存在を前提としているからである。
ところが、この反(アンティ)が意味する革新性は、空虚な否定的態度のうちにかき消されてしまい、その後に積極的な内容として残されるものは「古物」に過ぎないのである。
誰かが反ペドロを宣言したとする。
彼の態度の行程形式で言いかえれば、ペドロのいない世界に賛成したということに他ならない。
ところが、ペドロのいない世界とは、ペドロが生まれていない以前の世界のことである。
従って、反ペドロ主義者は、ペドロ以後に自分を位置づけるかわりに、ペドロ以前に自分を位置づけて、映画の全巻をもう一度過去のシチュエーションに焼き直すということをするわけだが、そのフィナーレには容赦なくペドロが登場するのである。
つまり、こうした反何々主義者のすべてには、伝説が孔子の身の上に起こったと伝えていることと同じ事が起こるのである。
孔子は、当然のことながら彼の父より後の世に生まれ出た。ところがなんということであろう、父は三十歳であったのに、かれはすでに八十歳として生まれた。
要するに一切のアンティは、単純で空虚なノーに他ならないのである。
(P.133-134)
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ここでは「反何々」という態度一般について批判しているのだが、実に単純明快な内容で、それだけになぜ自分はこれに気づかなかったのかと、目からウロコの思いである。
もちろん、ぼくは「非人称芸術」のコンセプトによっていわゆる「人称芸術」を否定し、「フォトモ」や「ツギラマ」によって「写真」を否定するから、オルテガの指摘はダイレクトに自分に当てはまる。
この一文に「非人称芸術」と「人称芸術」を当てはめ、適当にアレンジすると以下のようになる。
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一見したところでは、「非人称芸術」という態度は、「人称芸術」より新しいように見える。
というのは、そうした態度は「人称芸術」に対する反抗を意味するものであり、「人称芸術」の存在を前提としているからである。
ところが、この「非人称芸術」が意味する革新性は、空虚な否定的態度のうちにかき消されてしまい、その後に積極的な内容として残されるものは「古物」に過ぎないのである。
誰かが「非人称芸術」を宣言したとする。
彼の態度の行程形式で言いかえれば、「人称芸術」のない世界に賛成したということに他ならない。
ところが、「人称芸術」のない世界とは、「人称芸術」が生まれていない以前の世界のことである。
従って、「非人称芸術」主義者は、「人称芸術」以後に自分を位置づけるかわりに、「人称芸術」以前に自分を位置づけて、映画の全巻をもう一度過去のシチュエーションに焼き直すということをするわけだが、そのフィナーレには容赦なく「人称芸術」が登場するのである。
要するに「非人称芸術」は、単純で空虚なノーに他ならないのである。
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ぼくが言うところの「人称芸術」とは「芸術家による芸術作品」のことなのだが、つまりは「芸術」のことである。
その「芸術」の歴史は非常に長いし、「芸術はいつから始まったのか」にはさまざまな解釈があるので、「芸術が生まれていない以前の世界」を想像することはなかなかに難しいし、本気で取り組むと相当に高度な知的作業になるのは間違いない。
そのように難解高度な「芸術の否定=芸術誕生以前の世界の想像」を、「非人称芸術」という簡単な概念で片付けることはナンセンスであり、その点だけでも自分の底の浅さが明かされてしまったわけである。
この問題は、さらに継続して考えを掘り下げる必要があるだあろう。
次に、同じ一文に「反写真」と「写真」を当てはめてみる。
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一見したところでは、「反写真」という態度は、「写真」より新しいように見える。
というのは、そうした態度は「反写真」に対する反抗を意味するものであり、「写真」の存在を前提としているからである。
ところが、この「反写真」が意味する革新性は、空虚な否定的態度のうちにかき消されてしまい、その後に積極的な内容として残されるものは「古物」に過ぎないのである。
誰かが「反写真」を宣言したとする。
彼の態度の行程形式で言いかえれば、「写真」のない世界に賛成したということに他ならない。
ところが、「写真」のない世界とは、「写真」が生まれていない以前の世界のことである。
従って、「反写真」主義者は、「写真」以後に自分を位置づけるかわりに、「写真」以前に自分を位置づけて、映画の全巻をもう一度過去のシチュエーションに焼き直すということをするわけだが、そのフィナーレには容赦なく「写真」が登場するのである。
要するに「反写真」は、単純で空虚なノーに他ならないのである。
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「芸術」に対して「写真」の登場時期ははるかに明確なので、「写真が生まれてない以前の世界」も容易に想像することができる。
写真が登場したのは19世紀ヨーロッパなのであるが、当時のヨーロッパは「映像の世紀」であって、写真術のみならず、アニメーション(映画)や、立体映像の原理が発見されたのもこの時代であった。
この当時の映像装置はすべてが実験の段階であり、その時点ではどのような形式が「主流」になるのかは確定していなかったと言える。
写真にしても、現在主流の「四角いフレーム」以外にも円形やかまぼこ形のフレームも一般的であったし、複数の写真をつなげた「ツギラマ」も黎明期から存在したし、「立体写真」も黎明期に大流行している。
つまり歴史がまかり間違えればその時代に「フォトモ」が発明されていた可能性は十分にあり、「ツギラマ」とともにそれらの表現が現在の主流になっていた可能性もゼロではない。
しかし例えまかり間違ってそのような時代になったとしても、いずれはその後代に「一枚の写真」だけを作品とするアーティストが、必然的に登場するだろう。
みんなが複数の写真を組み合わせて複雑な作品をつくる時代に、シンプルな「一枚の写真」だけで勝負する作家が登場すれば、それはさぞかしモダンでカッコイイだろう。
これに比較すると「複数の写真による複雑な作品」はダサイし古くさく感じられ、瞬く間に廃れてしまうかも知れない。
実際の歴史は「フォトモ」は「写真」の後に登場したので、ぼくは「フォトモは新しいからカッコイイ」と思っていた。
しかしそれは自分の勘違いであって、「フォトモ」は時代の順序とは関係なく、概念的に「古物」だったのである。
イヤリア未来派のマリネッティが「咆哮する自動車はサモトラケのニケより美しい」と言ったとおり、19世紀以降の文明は「スピードの時代」なのであり、「写真」はそのスピードに合わせて現在も進化し続けていると言える。
だから例え歴史がまかり間違って「フォトモ」が主流となったとしても、いずれはスピードに優る「写真」が主流になるのは間違いないのである。
その意味で「フォトモ」も「ツギラマ」も、まさしくオルテガが指摘するように「古物」に過ぎなかったのである。
もちろん、「スピード」だけがすべてではないだろうが、しかしスピードを欠くことが「フォトモ」の重大な欠点であることは、認めなくてはならないだろう。
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