現実を超現実に転化する
前回の記事から、ソンダクの『写真論』と「非人称芸術」との関係の続き。
ぼくは自分が提唱する「非人称芸術」を、シュルレアリスムの延長上にあると捉えている。
まず、前回も挙げたマグリットの絵を見ていただこう。
『個人的価値観』と題されたこの絵は、部屋の中の小物(櫛、マッチ棒、コップ、シェービングブラシ、石けん)が、不自然に大きく描かれている。
それが壁紙に描かれた青空に白い雲と相まって、何とも不思議な雰囲気を醸し出している。
ここに描かれた小物たちは、形をそのままに拡大されることでその用途を失っている。
ベッドより大きな櫛は櫛として用をなさなず、同じスケールのマッチ棒やコップもまたしかりである。
つまりこの絵には、「イメージ」とそれを指し示す「言葉(意味)」のズレが描かれおり、それこそが「超現実」の世界なのである。
このことは、「室内」を意味する壁紙に「屋外」のイメージが描かれている点にもあらわれている。
シュルレアリスムはフロイトが提唱する「無意識」の作用を利用した芸術の方法論だが、平たく言えば、無意識の世界ではイメージとそれが指し示す言葉は分離している。
だから夢の中では辻褄の合わない不思議な出来事が連続するのだが、それを意識の世界に定着すると、マグリットのようなシュルレアリスム芸術になる。
マグリットによって描かれた巨大な櫛やコップたちは、見慣れたイメージであるにもかかわらず、意味不明の芸術的オブジェとして再発見されるのだ。
無意識に対する「意識」の世界では、イメージとそれを指し示す言葉(意味)は一定の法則(辻褄や文脈)によって結びついており、それが夢に対する「現実」の世界である。
そのように意識が覚醒した現実世界の中に、無意識の作用による「超現実」を描き出すことは容易ではなく、だからシュルレアリスムには芸術としての希少性があると言えるのだ。
そして、ぼくは学生時代はマグリットやエルンストなどシュルレアリスムが大好きだったのだが、自分自身にシュルレアリストとしての特殊な才能がないのが分かってしまい、芸術への道を断念してしまったのだ。
ところが、大学卒業後いろいろあって、しばらくしてふと気がついたのだが、例えばマグリットの描いた巨大な櫛が芸術的オブジェなら、そのままの大きさの「実物の櫛」も芸術的オブジェとして再発見できるのだ。
意識の世界ではイメージと言葉(意味)は一定の法則によって結びついているが、そのカラクリさえ分かってしまえば、それを意図的に分離することができる。
つまり、イメージに結びつく言葉(意味)を、意図的に忘却=捨象してしまえばいいのだ。
例えば手に取った櫛の「櫛である」と意味を捨象すれば、自分の手には「無意味なオブジェ」だけが残り、それは自動的にシュルレアリスムという言葉(意味)と結びつく。
この感覚を周囲の世界に広げていけば、現実のあらゆる「意味あるもの」の「意味」を捨象することによって、現実世界そのものを「意味不明なオブジェ」で埋め尽くされた超現実へと転化できる。
いや、現実の全てとなるとキリがないので、さしあたって対象を都市空間である「路上」に絞ることにした。
と言うことで、ぼくは「路上」を歩きながら、あらゆるものの意味を指し示す言葉を捨象し、それらをシュルレアリスムの視点で「鑑賞」するようになったのだ。
と言うことで、またしても続きます。
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コメント
この絵を見ると皮膚感覚の世界という感じがするんですよね。
歯医者で処置されているときの口の中が巨大化して土木工事をされているような感覚に通じるような・・・
視覚的な大きさの感覚と皮膚感覚的なものって一致しませんよね、それを表現しているように思えてしまいます。
投稿: 遊星人 | 2010年7月11日 (日) 17時00分
皮膚感覚は、視覚と結びつかないと言語化しにくいですよね。
けがをしても傷口を見るまで痛いと感じないことってありますし・・・
そもそも人間は、「口の中の大きさ」より一回りくらい小さな眼球に写る像を「広大な現実世界」だと勘違いしてますよね。
現実がウソにまみれていることに気がつくと、「超現実」の世界が立ち上がってくると言えるかも知れません。
投稿: 糸崎 | 2010年7月12日 (月) 13時03分