半分間違ってて、半分正しかった
(本日のブログ4ボツ写真)
去年だったか、アップフィールドギャラリーでのパーティで、写真家の福居伸宏さんに「糸崎さんの言う「非人称芸術」みたいな概念は写真の世界では当たり前のことだから、わざわざ主張しない方が良いですよ」というふうに言われたことがある。
で、そのときは「写真」というものにあまり興味がなかったし、「福居さんが言うんだから、そういうこともあるかも知れない」と思いつつ、話半分に聞き流していた。
ところが最近、心を入れ替えて「写真」の勉強をしようと思い、スーザン・ソンダクの『写真論』を読んでみたら、福居さんが言ったとおりのことが書いてあったのだ。
この本には「非人称芸術」という言葉は使われていないのだが、確かにぼくが「非人称芸術」として主張するほぼ同じことが、「写真」の特徴として語られている。
つまりぼくの「反写真」としての主張は、結局のところ「写真」としてのまっとうなあり方と、ほぼ同一だったのである。
ということで、ぼくの主張は半分は間違いで、半分は正しかったことになる。
間違いだったのは、自分の主張が「反写真」的なオリジナリティのある内容だと思っていた点であり、しかし内容そのものは「正しい」ことが保証されたのだ(笑)
ぼくはこれまで他人の「写真」はほとんど見ずに、写真史や写真論の本はほとんど読まず、見るのは現実の「路上」ばかりで、本は現代思想や哲学や生物学の入門書などを主に読んできた。
それはあえて「写真」の外側の立場に位置することで、自分独自の「反写真」的な概念を構築しようと思ったからである。
ところがそのように独自の概念を構築したつもりが、「写真論の王道」として昔から読まれていた内容とほぼ同じでしかなかったのだ。
まぁ、写真論にしても芸術論にしても、現代思想や哲学や認識論などと連動して語られるのである。
だから、例えぼくが写真論の本はまったく読んでなかったとしても、現代思想や認識論の本を読んでいれば、それは写真論を読んでいたのと大して変わりなく、その結果「当たり前の結論」に達するのは当然なのだと言えるのかも知れない。
と言うわけで、これについて具体的なことを書こうと思ったのだけど、時間がないのでまた次回に・・・
とりあえず、自分をバカにする人間は軽蔑するけど、自分をバカだと指摘してくれる人間は信用することにしてるので、その意味では福居さんに感謝してます(笑)。
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コメント
他の人が言っていることを知らずに述べてしまうことはサイエンスの世界でもままありますね。車輪の再発明とか呼ばれてしまいますが、個人的には、真似ではない再発明は、指摘されるのが恥ずかしいということ以外は構わないと思っています。読んで知っている、ことと、自らの思考の末に行き着いたアイデア、では強固さの度合いが違いますから。
投稿: schlegel | 2010年7月 5日 (月) 00時25分
先に他の人が言っていることが分かっても、「自分で思いついた」という経験は消えませんから、その分の強度はありますね。
もちろん「自分で思いついた」と言っても、それは自分の知らない先人の言葉が、回り回って自分の無意識に届いた、というだけのことではありますが。
やはり突出して新しいことを着想するのは、相当にタイヘンなことですね・・・
投稿: 糸崎 | 2010年7月 7日 (水) 17時11分
化学で福井謙一先生のフロンティア理論というのがありますが、ノーベル賞とられてからも、「あんなことは前から気づいていた」なんていう方もずいぶんおられたと聞いています。コンテンポラリー(同世代)な条件での思考が類似の結論にたどり着くのはあるいみ必然なので、新規性はあまり気にしなくてもいいんじゃないか、と、僕は思います。再発明ができないヒトに発明はできないわけで、ヒトの再発明を批判したり、再発明かもしれないことを恐れているだけでは何もできませんから。
投稿: schlegel | 2010年7月30日 (金) 01時39分
フロンティア軌道理論は初めて知りましたが、読んでも意味分かりませんw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E8%BB%8C%E9%81%93%E7%90%86%E8%AB%96
まぁ、新しいアイデアを得るには時代に同調しすぎてはダメで、かといってまったく時代に反してもダメで、歴史の流れによって生じるフロンティア軌道に乗ることが大切なわけですね。
と、テキトーな事を言っておきますw
と言うか、ぼくの場合は「そんなアイデアはすでに存在するものに過ぎない」と言われてるわけですが、それに対し「実はこういうところにオリジナリティがあって・・・」という理由を事後的にでっち上げたりすると、上手い具合にフロンティア軌道に乗ることが出来るかもしれませんw
投稿: itozaki | 2010年8月 1日 (日) 04時57分
へんな喩えですみません、、ブレークスルーでもパラダイムシフトでも起きるときにはなんとなくみんなうすうす気づいていることも多いというハナシで、言ったモン勝ちみたいな、で、早く言った方が勝つとも限らない、というところでしょうか。アートはすこし違うような気もしますね。
>「実はこういうところにオリジナリティがあって・・・」という理由を事後的にでっち上げたりすると、
言っているうちに自分でもそんな気がしてくる、、と、なお良いかも知れません(笑)
投稿: schlegel | 2010年8月 2日 (月) 23時50分