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2010年8月 3日 (火)

精神病の治し方

芸術とそうでないものの区別が付かない精神病」の続き。

人類の歴史を振り返ると、そのほとんどの数百万年が狩猟採集生活をしており、それに比べると農業による文明の誕生が数千年前でしかなく、近代文明の歴史はさらに短く百数十年ほどしか経っていない。
だから人類という生物種にとって狩猟採集生活こそが「正常」であり、そこからかけ離れた文明社会はまったくの「異常」であり、「現代では誰もが精神病である」と捉えることができる。
「自分が王様だと思い込んでいる乞食と、本物の王様は、同程度の精神を患っている」というのはどの本で読んだのか忘れてしまったが、どちらも狩猟採集社会には存在し得ない「役割」である。
そのような意味で、自分は「芸術とそうでないものの区別が付かない精神病」を患っている。

このことを、ぼくは美術好きの友人との会話で気づいたのだが、実はその友人からは同時に「精神病の治し方」のアドバイスをもらっていたのだ。
つまり「糸崎さんは美術館やギャラリーには滅多に行かないから、そんな勘違いをするだけで、実際にアートをたくさん見れば病気は治ります」と言うことなのだ。
その友人自身は、だいたい週に3日は何かしら美術館やギャラリーを見に行っているそうで、「そうじゃないと、人生サボってる気がしてしまう」と言うのだから説得力がある。
だからぼくもそれに倣って心を入れ替え、足繁く美術館やギャラリーに通えば、ヘンなビョーキは治ってまっとうな「美術愛好者」になれるかも知れない。

だがしかし、精神病患者は誰でも「現在の自分」が好きで、周囲がどれだけ心配しようとも治療を断固拒否するものなのだ。
精神病を治療する、と言うことは「現在の自分」を否定し殺してしまうことに他ならない。
だから患者は「病気の自分」に固執して、他人の話に耳を貸さず、一切変わろうとはしないのだ。

ぼくだって「芸術とそうでないものの区別が付かない精神病」に固執しており、それを治療したら自分のアイデンティティは崩壊してしまうだろう、と信じている。
言い方をかえると、ぼくが美術館やギャラリーにほとんど足を運ばないのは、「非人称芸術」というコンセプトでその存在を否定しているからで、それが美術家としてのアイデンティティになっているのだ。
その意味ではぼくは断固として自分の立場を守り続ければいいのであって、それをことさらかえる必要はないと言えるかも知れない。

ところがたびたび書いているように、「非人称芸術」のコンセプトでその他の「芸術」を否定するのは良いとしても、では自分はどれだけ「芸術」のことを知ってそれを否定しているのか?と言う疑問に最近ふと気づいてしまったのだ。
ぼくは、「非人称芸術」はその他の「芸術」より優れていると確信しているのだが、それがきちんと比較して検証した上での確信なのかと言えば、実はそうでもないのだ。
「芸術」が目の楽しみであるならば、ぼくは並の芸術愛好者以上に日常的に「目」を使っているかも知れないが、それはもっぱら「非人称芸術」のみに向けられており、比較としての「芸術」をほとんど欠いているのだった。
だからあらためて「芸術」と比較した結果、「やはり非人称芸術に意味や価値はなかった」という結論に至る可能性はゼロではない。
そうなると、ぼくの美術家としてのアイデンティティは崩壊し、そのような「自分の死」のために、これまであまり興味の持てなかった「芸術」をわざわざ見直すことはできない。
これは自分としては当たり前なのだが、まさに精神病患者の典型的な態度でもあるだろう。

しかし、実際の精神病の治療は道なのかは知らないが、ぼくは「病気の自分を棚に上げる」という方法を思いついて、最近それを実行しているのだ。
すなわち「非人称芸術によって芸術を否定する自分」を保持してそれを棚に上げながら、「非人称芸術を否定するかも知れない芸術を学ぶ」ということをやるのである。
これは、自分の中に「もう一人の新しい自分」を作り出そうとすることでもある。
いわば意図的な多重人格のようなもので、同じパソコンにMacOSとWindowsをインストールし切り替えて使うようなものである。

とりあえず最近のぼくは、以前は読まなかった芸術書や写真の本を読んだり、「反-反写真」と名付けた普通の「写真」を撮ったりしている。
そのうちもしかすると、この「反-反写真」が本当の「写真」として自分のアイデンティティに成り代わり、「非人称芸術」への固執はだんだんといつの間にか消滅してしまうかも知れない。
そうなったら「治療」も完了し、そこで初めて「まっとうな美術家」の仲間入りが出来るかもしれないのだ(笑)。

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コメント

椹木野衣さんの「反アート入門」というのを店頭でパラパラめくってみたらオモシロそうなので買ってきました。

読むのはこれからです。パラパラで瞬間的に目に止まった文章から美術館を芸術市場として見るとオモシロイなと思ったのでした、芸術の中心がパリからニューヨークに移ったのは時代に即した市場に新鮮な作品が流れたということかな・・・と、そう考えるとやはり注目されている市場は見ておいた方がいいですね、そんなことは書いてないような気もしますが(笑)


ハードカバーで結構ぶ厚い割には格安のお値段でした。

投稿: 遊星人 | 2010年8月 3日 (火) 19時58分

ぼくは買ってないですが、さすが椹木さんだけあって、タイトルの付け方は上手いなと思いました。
そもそもクールベにしろ、印象派にしろ、現代アートは「反アート」として始まって、今に至るわけですから。
と言うように、読んでもないのに内容をあれこれ想像できるところが、良いタイトルと言えるのかも知れませんw

投稿: itozaki | 2010年8月 6日 (金) 00時25分

くだらん
その週3美術館に通って人生サボってる気がしなくなるらしいあなたの友人が特に

投稿: あ | 2013年5月 1日 (水) 00時12分

確かにくだらん話ではあります。
優秀な方にご指摘いただいて、光栄の至りであります。
ありがとうございます。

投稿: 糸崎 | 2013年5月17日 (金) 00時08分

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