「フリーアート」第1回展 に出展します
美術家の彦坂尚嘉さんが主催される「フリーアート」第一回展に出展します。
展示の詳細は上記のリンク先をご覧下さい。
概要は以下の通りです。
会期:2010年8月9日(月)〜22日(日)
時間:11:00~19:00会場:気体分子ギャラリー
住所:藤沢市亀井野3-23-11
要アポイントメント(いない事もありますので予約してください。)
彦坂携帯:090-1040-1445
*特に明記されてませんが、初日9日が搬入日でもあるので、ぼくも含めたみなさんは会場にいるはずだと思います。
ぼくはフラフラと撮影に出るかも知れませんが・・・でも暑いので会場には戻ってくるでしょうw
フリーアートとは、価格がフリーなのであって、つまり「無料」です。
これは恐ろしいことで、ぼくもコンセプトや状況がよく分かってないのですが、とりあえずは最近の新シリーズ「反ー反写真」のプリントを出展します。
プリントの大きさや点数はまだ決めてないのですが・・・いや、もうそろそろ決めて注文を出さないといけません。
迷っているのは「無料」の解釈が難しい点で、ひとつは無料なんだから極限まで手間や材料費を抑えた、言ってみればゴミのような作品を提供することです。
しかし、「芸術至上主義」と言う価値観に照らして考えると、芸術の価値とは本質的にお金の価値に換算できない、自律したものなのです。
この意味での「芸術」とは芸術家による「贈与」であり、作品の価格はそれに対する「返礼」です。
一般的な商品は貨幣との「等価交換」で成り立っていますから、その点で「芸術」は異なるわけです。
ですから「フリーアート」とは「返礼なき贈与」のことであって、それは「贈与」なんだから当たり前だとも言えます。
ぼくの知っている範囲だと、デュシャンは作品を売らずに人にプレゼントしたことが、たびたびあったそうです。
いや、そんなビッグネームを出さずとも、現代の日本人アーティストの多くが自費で作品制作し、売れる当てもないのに無料で個展を開催しているわけで、そのように芸術家の「贈与」は当たり前のように行われているのです。
そう考えるといくら「無料」とはいえ、ゴミのように手を抜いた作品を提供するのもおかしなことです(それも一つの解釈でしょうが)。
しかしだからといって、どこまで手間とお金を掛けるか(あるいは省略するか)を考えるのが難しく、悩んでいるのです。
そもそも「無料の芸術」と言うことであれば、「非人称芸術」によってそれはもう実現されているのです。
ぼくは芸術家ではなく、言ってみれば「世界そのもの」からの「贈与」を受け、日々それを全身で堪能して感動しているわけです。
そのような観点で見ると、今さら「フリーアート」などと言われても、正直なところ「馬鹿馬鹿しい」としか思えない。
いくら芸術を無料化したところで、はじめから無料であるところの「非人称芸術」の偉大さにかなうわけがないのです。
しかし、そのような立場に凝り固まっているのが「糸崎公朗(A)」であって、そう言う自分を棚に上げた状態で、新たに「糸崎公朗(B)」をインストールしたい、と思ってるのが最近の自分です。
ということで、糸崎公朗(B)の実験作であるところの「反ー反写真」をフリーアート展に出品することにしたのです。
とは言え、ぼくの中ではそれほど人格は分裂しておらず、けっきょくのところ「反ー反写真」はフォトモやツギラマと同じく「相互的非人称芸術」になってしまいました。
いや、当初はもっと違うものになるはずだったんですが、どうしてもそうなってしまいますね・・・実験は始めたばかりで、将来的にどうなるかは分かりませんが。
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