高松市内の名建築
先週は「瀬戸内国際芸術祭2009」のツアーに参加してたのだが、その後滞在を一日延長して、高松市内のいわゆる「名建築」を見て回った。
といっても、ぼくには「建築」の知識は全くないので、彦坂尚嘉さんの後にくっついていって、彦坂さんが「良い」と思う気持ちをコピーしようと試みたのだった。
これは先の記事にも書いた、今回のツアー参加の目的「他者の欲望のコピー」の続きであり「反ー反芸術」ならぬ「反ー反建築」的行為なのである。
「建築」というと、ぼくはこれまでフォトモについて「観光地や有名建築など、世間ですでに評価の定まったものは対象としない」と公言してきた。
「非人称芸術」のコンセプトで考えると、いわゆる名の通った建築家による建築とは、作者が明確な「一人称芸術」であるから、ぼくの立場は「反建築」でもあったのだ。
しかし今回は例によってそのような自分の立場を「棚上げ」しながら、あらためて「建築」に臨んだわけである。
まずは丹下健三設計による「香川県庁舎」。
実は高松市は去年の秋から今年の春にかけて何度か訪れていたのだが、「香川県庁舎は名建築だ」という話は小耳に挟んではいた物の、興味の対象外だったので全くスルーしていた(笑)
しかしこうやってあらためて見ると「カッコイイ」とは思える。
ちなみにこの建築は「庭」も含めて設計されているところがポイントだそうで、そういわれると十分に頷ける。
彦坂さんは以前この香川県庁舎を見たときに、あまりの素晴らしさに感動して「泣いた」そうなのだがw
しかしそれはあながち大袈裟ではないようで、ここに寝袋を持って泊まる建築マニアもいるというくらいの「名建築中の名建築」なのだそうだ。
ぼくには正直そこまでの凄さは分からないのだが、もっといろんな建築を見れば分かるようになるかも知れない。
この日は県庁が休みで、建物の中に入れなかったのが残念・・・中を見ればまた印象が変わるかも知れないのだが。
次は同じ丹下健三設計と言うことで「香川県立体育館」。
実はこの建物も見覚えがあって、昨年の秋にこの前を通ったにもかかわらず、一瞥しただけでスルーしていたw
和船をモチーフにしたデザインで、確かにカッコイイといえるのだが・・・
ここは中にはいることができたのだが、あまりのカッコ良さにカンドーしてしまったw
一番上の観客席から見下ろしたのだが、カッコ良すぎる・・・
どのようにカッコイイのかというと、『2001年宇宙の旅』と同じ路線の高級未来志向で、まさにあの映画の世界の地上はこうなっているだろう、と想像できたりするのだ。
もちろんこれは単に「格好」だけの問題ではなく、形態と機能が合理的に融合しているところがカッコイイわけで、そこはカメラなどの機械の魅力と共通するかも知れない。
観客席下のロビーは天井が湾曲してる・・・何もかもカッコ良すぎる。
館内にあった模型。
実は代々木体育館と同時期の、同じ丹下健三による設計なのだが、そういうことも全く知らなかった自分の「教養の無さ」にまったくあきれてしまうw
しかしそれだけに、建築のことはだいぶ「分かってきた」気がする。
この体育館にも「庭」があるのだが、最近の建築では「庭」まで含めた設計というのは少ないのだそうだ。
しかしあらためて考えると「庭」とは何だろうか?
というとで「栗林(りつりん)公園」にも行ってみた。
ここは公園という名が付いているが由緒ある「大名庭園」で、彦坂さんも「屈指の名庭園」として評価されており何度も訪れているそうだ。
で、ぼくの立場を言うと「非人称芸術」も含めて「自然崇拝主義」なので、「自然物を人工的にねじ曲げる」ところの庭園というものは、全く興味の対象外なのだった。
しかし、自然を人工的にねじ曲げるのが「文明としての庭園」の素晴らしさなのだ、という価値観を受け入れると「なるほど、それはそれで素晴らしいものなのかも知れない」というように思えてくるw
確かに「自然」に慣れ親しんでいる眼からすると、明らかに「不自然」でまた違った趣があることは分かる気がする。
場内の茶や建築もなかなか良いかも知れない。
いや実に建築内部も庭も素晴らしい・・・
最後に見下ろすと箱庭のような・・・って「庭」なんだけどw
この栗林公園は建築やアートにもまして、全く期待していなかったのだが、非常に堪能できたのが自分でも意外だった。
それは「世間的に評価の定まったものは、それなりの良さがある」という当たり前のことなのだが、ぼくはそのような当たり前を一貫して否定してきたのである。
ただ、そのようなコンセプトとしての否定は有りだとしても、「否定する対象を見ない」というのでは方法論としては不十分であり、そのことはあらためて実感することができた。
例え「結論」が正しくとも、方法論が学問としてデタラメなのであれば、誰も説得することはできない。
言い方をかえると、ぼく自身が「芸術」や「建築」を十分理解した上で堪能し、その上で「非人称芸術」のコンセプトが成立し得ると確信できなければ、その考えが正しいとは言えないのだ。
もしくは、もし自分が「芸術」や「建築」の本当の良さを理解してしまったら、自分自身で「非人称芸術」を否定してしまうかも知れず、そのようなアイデンティティーを失うのが怖いから、あえて何も見ないようにしていたのかも知れない。
なので、あくまで自分の価値観に閉じこもる方が「安全」ではあるのだが、そうしたら自分はもう「前衛」のつもりではいられなくなってしまう。
そもそも「前衛」というのは戦争の比喩であり、もっとも命を落としやすい危険な場所であるわけで、「命をかける」は大袈裟としても「自己喪失の危険をかける」くらいの「気概」がないと、やっていけないのだ。
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