« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月30日 (火)

アートとビョーキ

Simgp0144

美大時代、いちばん才能があって、ぼくが嫉妬してた同級生が、アートからすっかり離れて真っ当な勤め人になってた。
恐らく、彼が学生時代に絵を描いてたのは一種の精神療法で、卒業後ビョーキが治ったのかも知れない。
あの頃美大の同級生はみんなビョーキで、ぼくも他人の才能に嫉妬とか…完全にビョーキだった(笑)
学生時代のぼくは、言ってみれば精神治療的なアートが好きだったのかも知れないのだが、その証拠にぼくが才能があると思ってた友人は、みんなアートと無関係な勤め人になってる。
芸術が一種の精神病だとしたら、自らのビョーキを養い続けることが、芸術家を続けることなのかもしれない。
そして、芸術をやりながらビョーキが治った芸術家は「才能が枯れた」と表現されるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月29日 (月)

暗黙知

Simg_0692

日本人にとっての日本語は「暗黙知」であり、他言語との比較によって初めてそれが「何であるか」を知ることができる。
「歩き方」は人間にとっての暗黙知であり、誰もその方法を説明することはできない。
「水の飲み方」や「呼吸の仕方」もまた然り。
外部あるいは他者との出会いによって、「自明」という暗黙知が顕在化する。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2010年11月26日 (金)

写真と人類学

Simg_0688

「写真とは何か」は文化人類学的な問題である。
文化人類学とは、自国の文化を「土人の風習」と捉え、これを探究する学問である。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2010年11月24日 (水)

秩序と「反秩序」

Simg_0605b

人類の思考の根底には「秩序付けに対する要求」が存在する。
自分が理解できない他人の秩序は、自分にとっての「反秩序」であり、それゆえに不快なのだ。現代の人々が「宗教」を嫌う理由はそこにあるのかも知れない。
自分の知らない秩序を知ってしまったら、その秩序に取り込まれてしまうかも知れない・・・そう思うからこそ人々は宗教を恐れる。
しかし「秩序のバリエーション」を知る者は、「個別の秩序」に取り込まれることはない。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年11月23日 (火)

洗脳

Spb110027

「洗脳」を文字通り解釈すると、「脳にこびり付いた垢を洗い流すこと」であり、「先入観を取り除き、柔軟な思考を得ること」である。
つまり学習して新たな知識を得れば、無用な先入観は洗い流される。
世間で言う洗脳は、垢を別の垢に置き換えてるだけで、脳は汚れたまま。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年11月21日 (日)

「今日の私」と「昨日の私」

Spb110001

「今日の私」と「昨日の私」が同じ「私」である根拠は無い。
しかし「昨日の私」が犯した罪の責任を、他者は「今日の私」に負わせようとする。
そのような他者の欲望によって、「私」の同一性は生じる。
「私」に責任を負わせようとする他者が存在しなければ、「昨日の私」が「今の私」と同一であると考える必用は無い。
「罪の責任」を回避したければ「自己同一性」を放棄すれば良い。
「今の自分」は次の瞬間「別の自分」になるから、他者に何をされても平気になるだろう。
例えば、唐沢俊一は責任回避を優先し「自己同一性」を放棄してる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月20日 (土)

前提とか自明とか

科学の前提を疑いながら科学を遂行する事が「科学」なのだとすれば、芸術の前提を疑いながら芸術を遂行するのが「芸術」だと言えるだろう。
この立場によれば、すでに自明の芸術観の基に「自分にとっての芸術とは何か」を考えても、それは芸術ではない。
「自明の芸術」と言う幻想は既に滅び、芸術の定義は人それぞれである、ということ自体が「自明の芸術」と化している。
芸術の自明生が問われない空間があり、その中で芸術の定義が変容してゆく。
「写真」の自明生が問われない空間があり、その中で「写真」の定義が変容してゆく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月18日 (木)

Photo Archives 123 瀬戸内国際芸術祭2010

Spb150006

(*写真は本文と無関係です)

お知らせするのを忘れていたが、建築雑誌「10+1」のウェブサイトに、「Photo Archives 123 瀬戸内国際芸術祭2010」としてぼくが撮影した写真が掲載されている。
ツアー主催者のひとり五十嵐太郎さんに、写真の「寄贈公開」をお願いされたわけなのだが、それはぼくの「反ー反写真」が「普通の写真として良い」と認められた証拠であって、実にメデタイことであるw
こんな写真、カメラマンなら撮れて当たり前なのかも知れないが、そう言う「当たり前」が自分にできるとは思ってなかったので、非常に妙な気分だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

悪趣味について(1119校正)

Spb160054

唐突だが悪趣味について書いてみる。
いや、ぼくの話題は読者にとっていつも唐突なのだろうが、「悪趣味について」は、ぼくが最近聴講しているとある大学の授業で、レポートの課題として出たのだった。

****

 「悪趣味」と言えば、ぼくは美術家として岡本太郎の影響を受けている。岡本太郎は芸術の定義として「芸術は上手くあってはならない」「芸術はきれいであってはならない」「芸術はいやったらしい」と挙げている。つまりは「芸術は悪趣味である」と解釈できるのであり、それは岡本太郎の作品を見れば分かるだろう。芸術に興味のない人々は、自分たちにも理解できるような、上手に描かれたきれいな絵を好む。しかし岡本太郎によるとそのような作品は「芸術」ではなく、芸術とは大勢が好む「良い趣味」に反する「悪趣味」なのである。

 ところが、大勢が好む「良い趣味」が、果たして本当に「良い趣味」と言えるのか?と考えると、決してそうは言えないだろう。芸術に興味がない人々は、つまりは芸術については「無趣味」であって、無趣味な人は(本人にそのつもりが無くとも)端から見ると「悪趣味」なのである。これは料理に置き換えて考えると分かるのだが、料理に興味がない人、味覚的に「無趣味」な人は、ファミレスやコンビニ弁当を「美味い」と良い、一流料理店で食べても味の違いが分からず、つまり「悪食=悪趣味」なのである。だから岡本太郎的な「芸術は悪趣味だ」という表現は逆説的であり、芸術的に「無趣味=悪趣味」の人々から見ると、本当の意味で「良い趣味」の芸術が「悪趣味」に思えてしまう、と言うことを説いているのだ。

 そのようなわけで、岡本太郎の影響を受けた日本の多くの芸術家は、岡本太郎的な「悪趣味」に走り、現代の日本の芸術は「悪趣味」なものであふれているように思われる。例えば、村上隆や奈良美智など、オタク的意匠を芸術に引用する行為は、美術の伝統を重んじる「良い趣味」の人々の神経を逆なでし、その意味で岡本太郎的な「悪趣味」の延長にあると解釈できる。

 しかし、村上や奈良のいわゆるオタク的表現は、芸術の世界ではもはや当たり前になり、これに限らず岡本太郎的な「悪趣味」としての芸術はすっかり一般化し、市民権を得ている。そもそも当の岡本太郎が、今や「庶民に愛される芸術家」なのである。つまり芸術的に無趣味な人にとっても、岡本太郎の芸術は「趣味が良い」と思えるように、常識としての感覚が変化している。いや、芸術以外のサブカルチャーの世界、マンガやアニメをはじめとするオタク的世界では、異様なデフォルメとどぎつい色彩の「悪趣味」な絵が氾濫しているが、そのように「悪趣味」を「良い趣味」と解釈することが一般的になったのだ。

****

 そもそも、「悪趣味」を「良い趣味」として解釈することは、つまりは「解釈」なのである。料理にしろ芸術にしろ、「無趣味」の人は自らの「悪趣味」を自覚しない。そのような「無趣味」な人の「悪趣味」を端で見ていた「良い趣味」の人が、「この悪趣味は、良い趣味に転化出来るのではないか?」と気付き、「悪趣味」を芸術の要素として「解釈」したのである。

 その起源のひとつは、アフリカ彫刻など原始美術のイメージを引用した、ピカソなどのヨーロッパ美術にあると言えるだろう。原始社会のアフリカ人たちは自分たちを「悪趣味」などとは自覚せず、それをピカソが「悪趣味」として解釈し、自分の芸術の「良い趣味」の中に取り入れたのである。岡本太郎はピカソの影響を受けて、自分もやっぱり原始美術の「悪趣味」を取り入れている。そして現代の村上隆も、マンガやアニメの「悪趣味」を自らの作品に取り入れている。

 ところが、現代のマンガやアニメを享受するオタクとは、自分たちが「悪趣味」であることを自覚している人々を指している。マンガやアニメの「悪趣味」を自覚せずに享受するのは「子供」であって、その「悪趣味」を対象化し「良い趣味」として享受するのが大人の「オタク」なのである。ぼくは実はオタク的趣味が世の中に誕生しつつある時代に居合わせたので、「ウルトラマン」などの子供番組を、大人が「大人の視点」で見て楽しむことの新鮮さを、今でも良く覚えている。

 しかしオタク趣味が一般化した現在では、子供向けのアニメや特撮番組は、大人のオタクが楽しむことを前提に作られている。つまり、かつては芸術の分野で特権的だった、「悪趣味」を対象化して自らの「良い趣味」に取り入れる行為が、現代ではオタク的趣味として一般化しているのだ。村上隆のオタク的芸術は、実はオタク的趣味の人々からは反感を持たれており、つまり現代のオタクは「原始人」ではなく、だからこそ原始人のような扱いを受けたとしてオタクが怒るのだ。

 いやそれはともかく、芸術とは「世間一般を超えたもの」なのだとすれば、オタクとして一般化した「悪趣味」の方法論で、芸術が成り立つのか?と言う疑問が生じる。それよりも、岡本太郎の主張をあらためて考えてみると、それは「悪趣味であれば芸術だ」という一種の「符丁」ではなかったか?と思えてしまうのだ。伝統的な「符丁」に従うことを岡本太郎は「芸術ではない」と攻撃した。しかし「符丁を攻撃する概念」もまた「符丁」になり得る。そして岡本太郎的な「芸術は悪趣味だ」という概念装置は、「悪趣味でありさえすれば芸術だ」という「貼付」に陥る危険性を孕んでいる。と言うより、岡本太郎の理論には「貼付化を防ぐ方法論」が含まれていないのだ。

*****

 ここで話を整理するために、あらためて用語を統一してみる。まず素直に「悪いものは悪い」と考えて、「無趣味」の産物を「悪趣味」としてみよう。それに対する「良い趣味」とは「趣味人の趣味」であり、その対象物は詳細に分類されている。なぜなら人は興味のある対象物を詳細に分類するからであり、つまり「趣味」とは「分類」なのである。「無趣味」な人は分類しない。味覚的に無趣味な人は微妙な味の違いを分類せず、また「苦み」や「えぐみ」などの要素を退ける。芸術的に無趣味な人は、例えばルノアールなどの有名芸術家が好きで、しかしそれ以外の芸術家の名前を知らなかったりする。「無趣味」な人の分類はごくおおざっぱで、「趣味人」を極めた人ほど分類が詳細になる。とすると、趣味の良し悪しとは、「良し悪し」の対立軸ではなく、「分類の詳細さの度合い」によって決まるのである。

 ただし、これを味覚に置き換えて考えると、一方ではそうでもなさそうに思えてしまう。自分のことを言うと、他人と比較してどれだけグルメなのかは不明だが、いちおうは美味しい料理を食べるのが好きで、好き嫌いもなく、いわゆる子供が苦手な「珍味」も大好きである。そしてサイゼリアやマクドナルドは心の底から「不味い」と思ってしまう。

 ところがしかし、「趣味は分類である」という定義に従うと、サイゼリアやマクドナルドの不味い料理にも、特有の微妙な不味さがあって、それはそれで「味わう」ことが出来るのだ。例えば先日、信濃美術館のカフェでスパゲッティを食べたのだが、これがサイゼリアを凌駕する「不味さ」で、これはどうしてこんなに不味いのか?を考えながら味わって食べていた(笑)

 またぼくは、人間の食べ物ではない自然物(木の実や葉っぱなど)の「味」を確認する実験をしたことがある。例えば、生物学的に言えば一般的に「木の実の赤色」は、植物が動物に向けて発する「これは食べられる」というサインなのだが、しかしたいていの赤い木の実は苦かったり、えぐかったり、実が無くて種だけだったり、人間の食べ物にはならない。と、そのような記述が植物図鑑などにあるのだが、では一体具体的にどんな味がするのか?と言う確認を、実験として行ったのである。

 実際に確認した「非ー食物」の味は、ビックリするくらいヘンな味から、単純に苦みや酸味が強いものまで様々であり、それを繰り返していけばそこに「詳細な分類」の趣味世界が構築できるはずだ。しかしぼくはこの観察実験を、少し試して休止してしまった。というのも「非ー食物」の味覚観察をいくら積み重ねても、それは決して「美味しい料理」に結びつくことはないのである。つまりその観察実験の先に、何が構築できるのかが見えないのだ。
 そのように考えると、真の意味での「悪趣味」は芸術には決して結びつかないのかも知れない。あるいは「悪趣味」を極めた先に「芸術以外の何か」への道が開けるのかも知れない。いや、芸術が「既存の芸術のあり方」から一方的に逸脱する「反芸術」ではなく、往復運動を繰り返す「反ー反芸術」なのだとすれば、「良い趣味」と「悪趣味」もまた往復運動でなければならないのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月17日 (水)

真似したくなるのが良い写真・他

S_8558108b

昨日は長野から美大の先輩の宮田さんが上京されて、市ヶ谷の土手で虫の撮影をした後、水道橋のアップフィールドギャラリーで田村玲子写真展「場所にて」を一緒に見に行った。
田村玲子さんの写真展は山方伸さんのブログに紹介してあって、彼が紹介するくらいだからきっと良い写真に違いない、と気になっていたのだ。
http://d.hatena.ne.jp/blepharisma/20101108

田村さんの写真は近代的な建物を写したものだが、どこの何の建物を写したのかはハッキリ分からず、その意味では抽象度の高い写真だった。
どの写真も曇り空のフラットな光で、カメラを垂直水平に構えた端正な構図で、クールな印象。
まぁ、評論する語彙が乏しくてもどかしいのだが、真似て撮りたいと思うくらい、良い写真だった(笑)
ただ、田村さんの真似をするには同じように無機質な場所を探し出す必要があり、その意味で「場所」によって創り出される作品だと言えるだろう。
ぼくは今のところ場所にこだわらず「どこでも写真は撮れる」と言うつもりでいるが、もしかすると田村さんの写真にあるような場所に出会ったら、田村さんの写真を思い出し、真似て撮るかも知れない。

そのあと新宿のコニカミノルタプラザに行ったのだが、3つやってた写真展のうち島内治彦写真展「お城が見える風景〜姫路城〜」がなかなか面白かった。
どの写真にも必ず姫路城が写っているのだが、たいていは端っこに小さく写っているだけで、どこに姫路城があるのかすぐには分からない。
言ってみればちょっと「ウォーリーをさがせ」的な面白さがあるのだが、それ以前に「写真」としてきちんと完成度を上げているので見応えがある。
田村玲子さんの「場所にて」が玄人好みの素人には分かりにくい写真なのに対し、島内治彦さんの撮る姫路城は、玄人にも素人にも楽しめる写真ではないかと思う。
と言うか、「反ー反写真」を始める以前の自分だったら、田村さんの写真は絶対に理解できず、島内さんの写真だけを良いと思ったはずである(笑)

さらにそのあと新宿御苑近くの蒼穹舎で、村越としや写真展「雪を見ていた」を見ていたのだった。
村越さんの写真展は、大きなフレームに小さな正方形の写真を入れ並べてあったのだが、印象的で良かった。
以前、ある写真家が写真を小さくして展示したところ「もっと大きければいいのに」と言われていたのとは対照的に、村越さんの写真は小さいままで実に「決まって」いた。
どこが違うのかと思って考えるとある写真家・・・まぁ山方伸さんなのだが(笑)、彼の写真は緻密な描写が特徴だったのに対し、村越さんの写真はディテールよりも印象が優先しているからなのかも知れない。
実際、会場にいた村越さんに伺ったところ、写真のイメージの「白」と、額のマットの白と、会場の白い壁のイメージを調整しながら大きさを決めたのだそうだ。
ぼくはこれまで額装とか展示空間をあまり考えてこなかったので、そう言う話は参考になる。

それから隣のプレイスMの写真も見て、そのあと宮田さんの計らいで美大の同級生と待ち合わせし、実に学生時代以来の再開を果たし、久々に飲み過ぎてしまったw
20年以上ぶりに会った同級生は、顔や物腰は確かに彼のものであったけど、仕事やその他のキャリアを積んで「別人」になっているわけで、何だか彼の叔父さんにでも会ってるような、不思議な気分がした。
そのうち、彼の表情の癖などが、ぼくの別の友人に似ていることに気付き、そうなるとさらに一体何が何だか、アルコールも入ってるしますます分からなくなってしまうのだった(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月16日 (火)

「宗教」じゃなくて「反ー反宗教」

Simg_0461

前回の記事よりまたしても間が空いてしまったが、以下のような返信をいただいたので、これを元に記事にしてみたい。

無宗教なのが正当な社会では全ての宗教は異端なのですね、

投稿: schlegel | 2010年11月13日 (土) 00時46分

ぼくがこれまでブログで主張するように「科学は宗教の延長にあり、むしろ呪術である」という観点で捉えると、科学的思考に基づく「無宗教」の世界ではあらゆる宗教は異端だと言えるだろう。
しかしこれは、あくまでひとつのものの見方を提示したまでであって、何ら「真実」を言い当てたものではない。
「科学は宗教だ」というのは言ってみれば例え話で、例えを外すと「科学と宗教は異なる」し「科学は呪術ではない」のである。

そもそも科学の起源はキリスト教神学にある。
キリスト教が支配的だった時代のヨーロッパでは、人間の理性とは「神」が創造したこの世界の「完全性」を解き明かし理解する能力であり、それをすることが「神の存在証明」に繋がると信じられていた。
ところが、人間が理性を働かせて天体の運行や物理法則などの解明にいそしむうちに、どうも「神」の存在そのものが不合理で荒唐無稽であることに気づいていったのだった。
世の中のあらゆる事物が合理的に説明できることが「神の存在証明」だったはずが、合理的に突き詰めた結果「神は存在しない」と言うことになってしまったのだ。
宗教は形而上的な超越的存在である「神」を前提とするが、科学はそのような「無前提の前提」をもはや必要としない。
科学は人間の理性と、歴史的な知識の蓄積を使いながら、観察と理論と実証に基づき「世界」を読み解きコントロールする方法論である。
科学によると「理性的人間」が存在すれば「神」は不要であり、その意味で科学は「反宗教」なのである。

****

ところが、現代では科学が万能でないことが、人々の間に何となく知れ渡っている。
科学の行き着く先は「ニヒリズム=虚無主義」なのである。
科学は早い話が「考えても仕方ないことは考えない」という思想である。
だから人間は「死んだら終わり」であり、人生のむなしさを人々に突きつける。
科学的合理性を徹底して考えると、人間は「死んだら終わり」であり、それ以降の結論の出しようがない。
科学がいくら発展し、そのおかげでいくら幸福な人生が送れたとしても、「死んだら終わり」という事実の前には全てが空しくなってしまう。
それに、科学の発達が必ずしも人々の幸福には結びつかないことも明らかになってきた。
世の中が便利になっても「世の中が変わっただけ」であり、決して「昔より時代が良くなった」と言い切れないのが、現代人に共通の思いなのである。

それは科学がもたらすニヒリズムであると同時に、科学に対するニヒリズムでもある。
現代の人々は、少し前の時代の人々にくらべ、科学の有効性に疑いを持っているのである。
しかしだからといって、科学を否定した「反科学」の態度によって「宗教」や「呪術」にみんながもどるのかというと、そうでもない。
例え何らかの宗教団体に属してはいても、多くの人が同時に科学の有効性を認めそれを利用している。
自らの宗教のために科学を根底から否定するような「狂信的」な人は、現代の文明国ではごくまれだろうと思われる。
つまり現代の人々は、科学に疑いを持ちつつ「反科学」にも徹しきれないという、宙ぶらりんな立場にいるのではないかと思われる。
宙ぶらりんと言うことは「それについて突き詰めて考えない」と言うことであり、それをして「非科学的である」とか「無宗教という宗教に陥っている」などと揶揄されるのだ。

****

そこで最近ぼくが撮っている立場がなんなのかと言えば、それは「反ー反宗教」であり「反ー反科学」であることにふと気がついたのだ。
これはもちろん、最近のぼくの「反ー反写真」や「反ー反芸術」が考えの基になっている。
つまり最近のぼくは、原始仏典や聖書を読んだり、「科学は呪術である」とか「携帯電話は宗教だ」とか「芸術家は芸術の神を信仰している」などと言ったりしてるが、それは単純に「宗教」に走ったことを示さないのだ。

それはぼくがモノクロ写真を始めたからと言って単純に「写真」に転向したわけではなく、「写真」の有効性を認めながらもそれを疑いつつ実行する「反ー反写真」の立場にいるのと同じなのだ。
ぼくの「反ー反写真」の根底にはさらに「反ー反芸術」があるのだが、そもそも「反芸術」の「反」には「運動」の意味がある。
これを試しに「無芸術」や「非芸術」に置き換えると分かるのだが、「無」や「非」には動的な意味はなく、静的な状態を指している。
つまり「反芸術」は運動なのだが、その結果にたどり着いた「無芸術」や「非芸術」はもはや運動ではない。

前回の記事を引き合いに出すなら、赤瀬川原平さんはかつて「反芸術」の運動をしていたのが、現在は「無芸術」あるいは「非芸術」の状態に落ち着いていると言える。
赤瀬川さんの「超芸術トマソン」にはまだ「反芸術」としての運動が感じられたのだが、その後の「路上観察学会」はもはや芸術の無い状態、芸術ではない状態であり、運動のない静止状態なのである。

****

いや実は、「反芸術」とは本質的に「反ー反芸術」ではないかと思うのだ。
と言うのも「反芸術」の運動の目標は、決して「無芸術」や「非芸術」の状態に至ることを目標としていないからである。
「反芸術」は、あくまでも「芸術」を成立させるために「反芸術」的態度を取る。
つまり「反芸術」は、「芸術」という枠組みの中で、その枠組みを疑う「反芸術」的運動を繰り返し継続する「反ー反芸術」であり、ピストン運動する内燃機関のようなものではないかと思うのだ。
一方の解釈の「反芸術」は弾丸のような放物線を描き、着地点で「無芸術」や「非芸術」となって静止する。

それは、「新約聖書」に書かれたキリストの教えが、必ずしも「反ユダヤ教」ではないことと似ているのだ。
キリストは、ユダヤ教の「神」を否定したわけではなく、むしろより「神」に忠実であろうとするあまり「反ユダヤ教」的な教えを説いている。
キリスト教の「反ユダヤ教」的教えは決して「無キリスト教」や「非キリスト教」を目標とはしていない。
そう考えると、恐らくあらゆる宗教は「反ー反宗教」としての運動なのではないか?と思えてくる。

「宗教」が「反ー反宗教」の往復運動から解放され、一方的な放物線運動に移行すると、その着地点で「無宗教」や「非宗教」となって静止するのだ。
それが例えば、現代日本の形骸化した仏教や、その他の新興宗教ではないかと思われるのだ。
科学にしても「反ー反科学」の往復運動が無くなれば、すなわち「科学の前提を疑いながら科学を遂行する」という運動をしなければ、やがては「無科学」「非科学」となって、疑似科学的な迷信状態に陥ったまま静止してしまうだろう。

「反ー反○○」とは言ってみれば「反省の態度」であり、「反省」もまた「運動」なのだと言える。
○○という対象を反省的に捉える、と言うことは「常に反省し続ける」ことであり、だからそれは運動なのだ。
まぁ、ぼくは力不足なので「写真」や「芸術」や「宗教」をどこまでちゃんと反省的に捉え続けられるのか心許ないが、ともかくそのような「運動」が必要なことだけは自覚している。
対して「静止」というのは安心であり、「運動しない」のは楽なことなので、もしかするとこっちを目標にするのが良いのかも知れない。

実は先日、長野市に帰省した折、小布施の「北斎館」と「中島千波館」に行ってきたのだが、中島千波という現代の画家が技巧は達者だが似たような桜の絵を大量に描いて静止し、全く堂々と落ち着いているのに感じ入ってしまった。
対して北斎は、絶筆と言われる90歳で描いた作品に至るまで「動的」であったことに、非常に感動してしまったのだ。

などと書いていたら、自分が提唱する「非人称芸術」には「非」が付いていることにあらためて気づいたのだが(笑)、「反」とは異なる「非」や「無」についてはあらためて考えてみたい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年11月 1日 (月)

「赤瀬川原平×南伸坊 トークイベント」に行った

Mpa187450
(最近撮ったソレっぽい写真はこれくらい・・・10月18日、水道橋付近にて。)

先週の土曜(10月30日)は、横浜市民ギャラリーあざみ野で開催中の「赤瀬川原平写真展 散歩の収獲 + 横浜市所蔵カメラ・写真コレクション展」と「赤瀬川原平×南伸坊 トークイベント」を見に行った。
ぼくは実は赤瀬川さんとはお会いしたことはなく、実際にお顔も拝見したこともなく、全くコンタクトしたことがなかった。
なので、この機会にあわよくばご挨拶しようとも思って、トークイベントの予約をしていたのだった。

そのトークイベントは南伸坊さんを相手に、トマソン発見前夜からその後の路上観察学会に至るお話で、展示写真の上映なども交えながら、場内のみなさんは爆笑されていた。
しかし正直なところ、ぼくにとっては退屈極まりなく。そうなのだろうことは予想できたのだが、実際に確認できてヨカッタという感じだ。
というのも、ぼくは赤瀬川さんの著作をいろいろ読んできたファンであり、そういう自分からするとこの日のトークはほぼ100%知っている内容で、新しいものは何も含まれていなかったからである。

ここであらためて意識されたのが「前衛」という概念なのだが、赤瀬川さんは1960年代に「読売アンデパンダン展」を中心とした反芸術的な「前衛」を行っており、その延長上に「超芸術トマソン」の発見があったのだった。
しかし「超芸術トマソン」が話題になった1980年代初頭は、すでに芸術の「前衛」という概念そのものが古びてきて、だから赤瀬川さんの態度も、ことさら「前衛」を主張しない言わば「反前衛」へと移行したように思える。

「超芸術トマソン」で言えば、『写真時代』の連載当時はまだ「前衛」および「反芸術」としての気概があからさまでないにしても、見え隠れしていた。
「超芸術トマソン」は冗談の産物ではあるが、「本気の冗談」であるところに真実があり、それゆえに自分は面白いと思ったのだった。
ところが、赤瀬川さんは「路上観察学会」の発足あたりから「芸術」からも、従って「前衛」からも離脱し始めて、その中で「トマソン」の扱いも、「本気の冗談」から「単なる冗談」へと移行したように思える。
まぁ、そのように肩の力を抜いた方が気が楽だし、そういう態度こそが時代の「前衛」であることも確かだし、世間の人気を集めることもできる。

しかしぼくとしてはそれでは面白くないので、自分は赤瀬川さんの「冗談」を真に受ける形で「超芸術トマソン」のコンセプトを「非人称芸術」へと発展させることを試みたのだった。
まぁ、「冗談を真に受ける」のは野暮の極みなのだが、しかし「単なる冗談」は実はつまらないものに過ぎない。
いや冗談も連発すれば面白いのかも知れないが、「芸術」から「前衛」を取り去るとそれはマンネリと言うことで、何十年間も同じ話を繰り返しすのはさぞや退屈で苦痛だろうと思うけど、そう思わないところがさすが「老人力」の元祖なのかも知れない。

ぼく自身にしても「フォトモ」や「ツギラマ」などの解説はいつも同じような内容になってしまうが、言葉には自動作用があって、これに身を任せるのは実は楽なことなのだが、自分の場合はそのたびに自己嫌悪に陥ってしまうw
そこで自分なりの「前衛」を開拓するのだが、ポストモダン的な現代の「前衛」は必ずしも時間軸の先端というわけではなく、その分野の「縁」や「境界面」といった領域ではないかと思うのだ。

それで最近のぼくは芸術の縁というか淵の奥に「宗教」というものを見出して、それで仏典や聖書など、宗教関係の本を読んだりしているのだ。
ところが、そのように宗教についてブログやツイッターに書くと「糸崎さんは宗教の方に行ってしまった」と心配される方もおられるようで、宗教を語ることにはそのような危険が常につきまとう。
「危険」というのは、別に宗教の勉強を少しぐらいしたからといって、何か特定の宗教にカブれるような危険はないのだが、世間から「宗教にカブれた危険な人」という誤解をされる危険はある。

つまり、イエス・キリストが自分の宗教を説いて磔にされたように、いつの時代も「宗教」について語ることは危険であり、その意味で「前衛」(もとの意味は軍事的な最前線で、もっとも攻撃を受けやすい領域)といえるのかも知れない。
そう思うと前線から遠く離れた司令本部で「老人力」を発揮してのうのうとしている司令官に、最前線の報告をしたところで興味を持ってもらえるはずもなく、トーク後の赤瀬川さんはサイン会で忙しそうだったこともあり、お話しするのはあきらめて会場を去ったのであった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »