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2010年11月30日 (火)

アートとビョーキ

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美大時代、いちばん才能があって、ぼくが嫉妬してた同級生が、アートからすっかり離れて真っ当な勤め人になってた。
恐らく、彼が学生時代に絵を描いてたのは一種の精神療法で、卒業後ビョーキが治ったのかも知れない。
あの頃美大の同級生はみんなビョーキで、ぼくも他人の才能に嫉妬とか…完全にビョーキだった(笑)
学生時代のぼくは、言ってみれば精神治療的なアートが好きだったのかも知れないのだが、その証拠にぼくが才能があると思ってた友人は、みんなアートと無関係な勤め人になってる。
芸術が一種の精神病だとしたら、自らのビョーキを養い続けることが、芸術家を続けることなのかもしれない。
そして、芸術をやりながらビョーキが治った芸術家は「才能が枯れた」と表現されるのだ。

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