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2010年11月24日 (水)

秩序と「反秩序」

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人類の思考の根底には「秩序付けに対する要求」が存在する。
自分が理解できない他人の秩序は、自分にとっての「反秩序」であり、それゆえに不快なのだ。現代の人々が「宗教」を嫌う理由はそこにあるのかも知れない。
自分の知らない秩序を知ってしまったら、その秩序に取り込まれてしまうかも知れない・・・そう思うからこそ人々は宗教を恐れる。
しかし「秩序のバリエーション」を知る者は、「個別の秩序」に取り込まれることはない。

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コメント

>しかし「秩序のバリエーション」を知る者は、「個別の秩序」に取り込まれることはない。
秩序の上位概念(?)みたいな姿でこられたらひれ伏すのかもしれませんよ(笑)
ユダヤの神様は無秩序の権化みたいな方でしたし(笑)

投稿: schlegel | 2010年11月27日 (土) 09時14分

古代ユダヤ人は「究極のメタ概念」=「何でもあり」であることに気がついたのでしょうね、アタマがいい!

仏教の二律背反のどちらも真というのも同じですね、神の側に秩序を組み込むとキリスト教みたいに方向性は生まれるけど偏狭になって自由度を失う・・・と。

絶対に正しい論理は必ずトートロジー(該当しないものがない命題)である(笑)

投稿: 遊星人 | 2010年11月27日 (土) 11時58分

>人類の思考の根底には「秩序付けに対する要求」が存在する

単純に自分の言ってること(価値観)がすべて正しい、と信じたい気持ちはあるでしょうね。
最近の政治家のいってることも、何が正しいか、ということより、俺が正しくておまえが間違ってる、
ということのほうが重要なんだなぁと思います。まぁ、それが政治、なんでしょうが、

投稿: schlegel | 2010年11月28日 (日) 10時51分

自分が提示する秩序こそが正しい、と思うのは、人間の自然な心情としては当然だと言えます。
しかしそれだと喧嘩や戦争になるので、「秩序の上位概念」みたいなモノが出てくるのですが、しかしそれも所詮は「自分が提示する秩序こそが正しい」ことの反映でしかありません。

そう言う歴史を経て、人類が手に入れた新しい智慧は「比較すること」です。
現代は「情報の時代」でもありますから、「自分が提示する秩序」と「他人が提示する秩序」の比較が容易にできます。
そして、様々な秩序を比較する習慣を持つ人は、例え誰かが「究極のメタ概念」みたいなモノを提示しても、容易にそれに引っかからなくなります。

逆に言えば、「情報の時代」の情報をシャットダウンして、「自分が提示する秩序こそが正しい」という殻に閉じこもることもできます。
しかしそう言う人は、「秩序を超えた究極のメタ詐欺」みたいなのにコロッと騙される可能性を持っています。

投稿: 糸崎 | 2010年11月28日 (日) 13時50分

ほとんどポストモダンの話になってる(笑)

投稿: 遊星人 | 2010年11月28日 (日) 16時17分

まさにポストモダンの話をしてますが何か?w
というか、元の記事の通り「構造主義」の話をしてるのですが、世の中には「ポスト構造主義」というのもあってややこしいです。

投稿: 糸崎@iPhone | 2010年11月28日 (日) 21時12分

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