「赤瀬川原平×南伸坊 トークイベント」に行った
(最近撮ったソレっぽい写真はこれくらい・・・10月18日、水道橋付近にて。)
先週の土曜(10月30日)は、横浜市民ギャラリーあざみ野で開催中の「赤瀬川原平写真展 散歩の収獲 + 横浜市所蔵カメラ・写真コレクション展」と「赤瀬川原平×南伸坊 トークイベント」を見に行った。
ぼくは実は赤瀬川さんとはお会いしたことはなく、実際にお顔も拝見したこともなく、全くコンタクトしたことがなかった。
なので、この機会にあわよくばご挨拶しようとも思って、トークイベントの予約をしていたのだった。
そのトークイベントは南伸坊さんを相手に、トマソン発見前夜からその後の路上観察学会に至るお話で、展示写真の上映なども交えながら、場内のみなさんは爆笑されていた。
しかし正直なところ、ぼくにとっては退屈極まりなく。そうなのだろうことは予想できたのだが、実際に確認できてヨカッタという感じだ。
というのも、ぼくは赤瀬川さんの著作をいろいろ読んできたファンであり、そういう自分からするとこの日のトークはほぼ100%知っている内容で、新しいものは何も含まれていなかったからである。
ここであらためて意識されたのが「前衛」という概念なのだが、赤瀬川さんは1960年代に「読売アンデパンダン展」を中心とした反芸術的な「前衛」を行っており、その延長上に「超芸術トマソン」の発見があったのだった。
しかし「超芸術トマソン」が話題になった1980年代初頭は、すでに芸術の「前衛」という概念そのものが古びてきて、だから赤瀬川さんの態度も、ことさら「前衛」を主張しない言わば「反前衛」へと移行したように思える。
「超芸術トマソン」で言えば、『写真時代』の連載当時はまだ「前衛」および「反芸術」としての気概があからさまでないにしても、見え隠れしていた。
「超芸術トマソン」は冗談の産物ではあるが、「本気の冗談」であるところに真実があり、それゆえに自分は面白いと思ったのだった。
ところが、赤瀬川さんは「路上観察学会」の発足あたりから「芸術」からも、従って「前衛」からも離脱し始めて、その中で「トマソン」の扱いも、「本気の冗談」から「単なる冗談」へと移行したように思える。
まぁ、そのように肩の力を抜いた方が気が楽だし、そういう態度こそが時代の「前衛」であることも確かだし、世間の人気を集めることもできる。
しかしぼくとしてはそれでは面白くないので、自分は赤瀬川さんの「冗談」を真に受ける形で「超芸術トマソン」のコンセプトを「非人称芸術」へと発展させることを試みたのだった。
まぁ、「冗談を真に受ける」のは野暮の極みなのだが、しかし「単なる冗談」は実はつまらないものに過ぎない。
いや冗談も連発すれば面白いのかも知れないが、「芸術」から「前衛」を取り去るとそれはマンネリと言うことで、何十年間も同じ話を繰り返しすのはさぞや退屈で苦痛だろうと思うけど、そう思わないところがさすが「老人力」の元祖なのかも知れない。
ぼく自身にしても「フォトモ」や「ツギラマ」などの解説はいつも同じような内容になってしまうが、言葉には自動作用があって、これに身を任せるのは実は楽なことなのだが、自分の場合はそのたびに自己嫌悪に陥ってしまうw
そこで自分なりの「前衛」を開拓するのだが、ポストモダン的な現代の「前衛」は必ずしも時間軸の先端というわけではなく、その分野の「縁」や「境界面」といった領域ではないかと思うのだ。
それで最近のぼくは芸術の縁というか淵の奥に「宗教」というものを見出して、それで仏典や聖書など、宗教関係の本を読んだりしているのだ。
ところが、そのように宗教についてブログやツイッターに書くと「糸崎さんは宗教の方に行ってしまった」と心配される方もおられるようで、宗教を語ることにはそのような危険が常につきまとう。
「危険」というのは、別に宗教の勉強を少しぐらいしたからといって、何か特定の宗教にカブれるような危険はないのだが、世間から「宗教にカブれた危険な人」という誤解をされる危険はある。
つまり、イエス・キリストが自分の宗教を説いて磔にされたように、いつの時代も「宗教」について語ることは危険であり、その意味で「前衛」(もとの意味は軍事的な最前線で、もっとも攻撃を受けやすい領域)といえるのかも知れない。
そう思うと前線から遠く離れた司令本部で「老人力」を発揮してのうのうとしている司令官に、最前線の報告をしたところで興味を持ってもらえるはずもなく、トーク後の赤瀬川さんはサイン会で忙しそうだったこともあり、お話しするのはあきらめて会場を去ったのであった。
| 固定リンク
「展覧会鑑賞」カテゴリの記事
- 今さらながら『プライマリーフィールド2』の感想(2011.03.04)
- 新国立美術館「ゴッホ展」感想tweet(2010.12.25)
- 東京都現代美術館「トランスフォーメーション展」感想tweet(2010.12.25)
- 真似したくなるのが良い写真・他(2010.11.17)
- 「赤瀬川原平×南伸坊 トークイベント」に行った(2010.11.01)
「アート論」カテゴリの記事
- 無知・無能・無芸術(2014.03.23)
- 芸術の原因(2014.02.22)
- 写真家 リチャード・ミズラックの言葉(2014.01.31)
- 芸術の神髄(2014.02.03)
- リストカットとフォトカット(2014.02.09)
「思想・哲学・宗教」カテゴリの記事
- 2010年3月tweet(2010.03.31)
- 存在と証拠(2014.04.21)
- 自己保身と自己犠牲(2014.04.21)
- 鏡のアフォーダンス(2014.04.20)
- 犯人と証拠(2014.04.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
無宗教なのが正当な社会では全ての宗教は異端なのですね、
投稿: schlegel | 2010年11月13日 (土) 00時46分
ありがとうございます。
コメントから記事にしてみました。
投稿: 糸崎@iPhone | 2010年11月16日 (火) 13時02分