« 褒め殺しの恐怖 | トップページ | 非人称芸術とアウトサイダーアート »

2010年12月21日 (火)

正義の技術

「正義」とは個人の欲望の反映なので、「何が正義か?」は人により内容が異なる。
だからこそ、正義を行使するには「技術」が必要であり、技術の無い正義の行使こそが「不正義」となる。
正義とは「何が正義か?」という内容ではなく、「技術」そのものなのである。

自分の正義を「実体」と捉えると、他人の正義の「実体」と衝突し、結果として「不正義」が行使される。
自分の正義を、他人の正義との「関係」と捉えると、それは「技術」の問題になる。

「自分の正義」を遂行する前に、「他人の正義」に耳を傾けなければ「不正義」になる。
正義が「実体」でない以上、それは「真の正義」という単独では存在し得ないのである。
正義とは、自分と他者との「関係」であり、その時、その場に応じた「個別の正義」のみが成立する。

各自にとって「真の正義」は確かに存在する。
だが、それはあくまで「理念」として存在するのであり、「実際の正義」の素材に過ぎない。
「真の正義」は各自にとって自明だが、他者との関係として遂行される「実際の正義」が何であるかは、誰も事前に知る事は出来ない。

「責任」の無いところに「正義」は存在しない。
「技術」を間違えて「不正義」を働いた場合、その責任を負う事だけが「正義」として残される。

|

« 褒め殺しの恐怖 | トップページ | 非人称芸術とアウトサイダーアート »

思想・哲学・宗教」カテゴリの記事

コメント

私の座右の銘は、呉越同舟です。戦争をしている二つの国の兵士がいったん矛を納めて同じ船に乗る。
ロマンチック〜、と思っています。
船上で、相手が剣を抜いた!と早合点するとたいへんなことになってしまいます。

投稿: ふ | 2010年12月21日 (火) 21時15分

「呉越同舟」は共倒れせずにどちらかが勝ち残るための「技術」ですね・・・
これが「座右の銘」ってことは、日々戦いの中におられるのでしょうか?w

投稿: 糸崎 | 2010年12月22日 (水) 10時37分

正義やルールを振りかざす人間にロクなのは居ないって糸崎さんから聞いたような気がします(笑)正義ってのは、許せねぇっ、て言う感情の対義語としてだけ成立している気はときどきしますね、(笑)

投稿: schlegel | 2010年12月24日 (金) 05時01分

>正義やルールを振りかざす人間にロクなのは居ないって糸崎さんから聞いたような気がします(笑)

そんなこと言った覚えがないし、言ったとしたら「おまえが言うな!」と言いそうな人の顔がすぐ浮かぶので、やっぱり言ってなかったことにしといてください(笑)

投稿: 糸崎 | 2010年12月24日 (金) 13時01分

「正義や」は僕の創作かもしれません。多数派の正義を明文化した物がルールや法だと考えれば(ほんとはたぶん違いますが)、まぁ同義として良いでしょうか?
昔、僕が今ほどふてぶてしくなかった頃(笑)掲示板で自分の投稿をびびって削除しちゃったりして、糸崎さんに一度書いたら掲示板のルール/マナーとしては消さないようにとたしなめられたことがあって、そのとき僕が恐縮しまくったので、こう仰ってあまり気にするなとフォローして下さったのだと思います。最近記憶力に自信が無く、いろいろなことを忘れますが、これは糸崎さんの第一印象でもあるのでよく憶えております。無かったことに出来なくてスミマセン(笑)
社会的な正義みたいなものは、革命やら日本で言うと終戦の時にコロッと変わったりしてきたので、今の若い人にはあまりわからんだろうが(笑)あんまりそういう物は信じない方がよい、とういったようなことを養老さんが書いておられるのを最近読みました。

投稿: schlegel | 2010年12月26日 (日) 08時54分


あぁ、そんな事もありましたね…
あの頃は今よりもっと「正義の技術」が未熟で、いろいろ問題がありましたw
また、ネットも黎明期でお互いどんな風に付き合えばいいか、よく分かってなかったかもしれません。

ところで「法」は正義に基づいていますが、それは「支配者の正義」ですね。
そして、民主主義の支配者は「みんな」なので、現代日本の法は「みんなの正義」に基づいてると言えます。
「みんなの意見」は「それゆえに正しい」と「それゆえに当てにならない」という両側面を持ちますから、そう思って構えるのが吉でしょうw

投稿: 糸崎@iPhone | 2010年12月27日 (月) 18時39分

>「みんなの意見」は「それゆえに正しい」と「それゆえに当てにならない」という両側面を持ちますから、そう思って構えるのが吉でしょうw

アメリカでは憲法というのは、普通でない人、異端の人、マイノリティ、を守るためにあるのだという話を聞いたことがあります。法が守ってくれなければマイノリティは駆逐されるだけですから。そういう意味では普遍的な正義、ということはもう少し深く考えておく必要があるのかも知れません。こういうことについては一般に日本は非常にナイーブで、理解されたことはほぼ皆無なので、このようにうかがうと嬉しいですね(笑)

投稿: schlegel | 2010年12月29日 (水) 22時20分

>アメリカでは憲法というのは、普通でない人、異端の人、マイノリティ、を守るためにあるのだという話を聞いたことがあります。

もとは、ギリシアの政治家が人々をあおって間違った方向に導いたことがあり、その反省から「多数決は正しいとは限らない」という考えが生じ、現代の民主主義の根幹になってる、と何かで読みました。
あらためて確認したら、扇動政治家による愚衆政治ですね。
デマゴーグは人名だったのか…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%9E%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B0

>こういうことについては一般に日本は非常にナイーブで、理解されたことはほぼ皆無なので、

社会的マイノリティーはいろいろな意味で存在しますが、逆に言えば、意味を考えなければ日本人は誰でも同じで「同じ正義」を信奉してると思えてしまうわけです。
それが「世間」てぇものなんでしょうが、もしかすると日本は民主主義ではなく、さらに進化した「世間体共産主義」なのかもしれませんw

投稿: 糸崎 | 2010年12月30日 (木) 13時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/204678/38159416

この記事へのトラックバック一覧です: 正義の技術:

« 褒め殺しの恐怖 | トップページ | 非人称芸術とアウトサイダーアート »