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2010年12月28日 (火)

はじめてのトマベチ

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苫米地英人という人だが、何となく胡散臭いので(笑)以前から興味があり、『テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方』を古本で読んでみた。
まぁ、分かっちゃいたけど色んな意味でスゴイ…参考になりますが…
一言で表すと「気概が無さ過ぎ」で、もう一言加えると「こんなの読んでたらバカになる」(笑)

まず、読書が苦手なぼくが4時間足らずで読了してしまった。
なぜなら新しい知識が何も書いておらず、誰でも知ってる概念を、ただ別の言葉に置き換えているだけなのだ。
『テレビは見てはいけない』には「内部表現」「ラポール」「コンフォートゾーン」「スコトーマ」などの用語か出てくるが、これらは全て「誰もが既に知ってる概念」に、専門用語っぽい名称を与えただけである。
だから書いてあることがウソだとは言えないが、「知識」としては偽物であり、読者に「新たな知識を得た」と錯覚させるカラクリであるに過ぎない。

これに対し、真に新しい知識は「自分」を変えないと理解出来ず、読むのに時間がかかる。
例えば構造主義の<構造>とかラカンの<現実界>などは「誰も知らなかった特別な概念」を示すための専門用語であり、それこそが本物の「知識」だと言える。
この様な知識を理解するには「自分を変える」必要があり、人は「自分を変える」為に、時間をかけ苦労しながら「新たな知識」と格闘する。

苫米地さんの本を読む人は「自分を変えようとしない人」であり、その様な読者を想定して書いている。
「テレビによる洗脳を解いて、自分を変えよう」みたいに苫米地さんは書くが、そんな事をする「気概」のない読者が、同じような内容の苫米地さんの本を何冊も買う…そんなビジネスモデルなのだろう(笑)

苫米地さんの本は、言わば<想像界>の産物で、人々の日常的センスで想像できる範囲の、分かり切った事しか書いていない。
<想像界>とは習慣的で惰性的で変化する事なく安定して持続する世界観であり、そこに安住し留まりたい人に向けて、苫米地さんは「自分を変えよう」とポーズで呼びかけているのだ。

まともな思想書は、例え入門書であっても人々の<象徴界>に働きかけるように書いてあり、だから日常的センスの延長である<想像界>では理解出来ない。
新たな「知識」により自らの<象徴界>が変化をきたすと、<想像界>も一変し、より豊かで広大な世界が見えるようになる。
これは楽な読書ではないが、ぼくは美術家なので、自分の世界観を広げ、作品に幅を持たせるための読書がどうしても必要になるのだ。

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