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2010年12月20日 (月)

褒め殺しの恐怖

芸術に対する感覚や意見は人それぞれである。
自分の作品が褒められても貶されても、他人の評価は自分の感覚からズレており、意見が異なっている。
見方を変えると、他人は自分の作品について、自分の知らない理由で、褒めたり貶したりしている。
つまり作品に対し、作者の存在は置いてけ堀になる。

芸術作品を観て、誰もが「自分の事」を語る。
評論家は作品を素材に「自分の芸術論」を書く。
作品に対し「実在の作者」は常に置いてけ堀にされる。
だから作品は作者を離れて世界に流通し、作者の死後も残り続ける。

自分の作品が貶された場合、「それは違う!」と反論する事はたやすい。
だが作品が褒められた場合、「それは違う!」と反論するのは難しい。
他人に褒められ「それは違う!」と反論出来ないでいるうちに、いつの間にか褒め殺されてしまう事がある。

生きながら褒め殺され、死んだ途端に忘れ去られ、歴史から抹殺された「巨匠」のなんと多い事か!

同じ作風の似たような作品を作り続ける作家は、皆が褒めるからそうしてるし、だからこそ「巨匠」になる。
しかし自らの情熱を失い、作品を惰性や義務のように作り続ける巨匠は、アーティストとしては生きながら死んでいる。

「褒められる」は「褒め殺される」と紙一重で、殺されない為には「技術」が要る。
特に自分の理解出来ない理由で褒められている時は、要注意だ。
他人の褒め言葉に同調し「分かったつもり」で自分褒めをすると、必ず足元をすくわれる。

褒められるにしろ、貶されるにしろ、自分の内部に「他者の欲望」が侵入しようとしている点では同じ。
拒否するだけでは「自分」は変わらず、受け入れ過ぎても食い物にされるだけ。
バランスを考える必要がある。

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アート論」カテゴリの記事

コメント

インプレスの記事がとても面白く、こちらに来ました。

>だが作品が褒められた場合、「それは違う!」と反論するのは難しい。
本当にそうですね。もし、自分がそういう立場になったら果たして言えるだろうか・・・
いや、でもどうどうと(シャーシャーと?)言ってみたいものです(笑)。

アーティストの使命は新しい意味・表現を世界に提示することにありますから、
それを忘れたアーティストはゾンビと言われてもしょうがないですね。
とはいえ、陽の下に「新しいもの」は何もないのも事実です。
なので、忘れ去られた意味・表現を思い出させることが大事かなと考えます。

私も最近モノクロを撮り始めましたが、それは純粋に美しいと感じられるからです。
色彩情報に騙されて(?)人間が見失っている美がモノクロでなら表現出来ると
思っています。墨絵が現在でも価値を失わないのは同じ理由ではないかと思います。

投稿: Nash | 2010年12月20日 (月) 17時53分

あるブログを読んで、空手バカ一代の三年殺しという技を思い出しました。
1年で体が利かなくなり、2年目に体がくさり3年目に死に至るという恐怖の技です。

こういう技をシャレや冗談でなく、あたりまえに使うのがプロの芸術家なんだなあ、と改めて感じました。
歴史の必然で他人の未来を粛正するのも、なんだか革命っぽっくて素敵です。

しかし才能とは夏草のように生えては枯れるものだとするなら、自分の庭も常に手を入れていかないといけないのですかね。
麦を植えるために、これまで育ててくれた森を切り払う。そんなふうに割り切れるものなんでしょうか。
芸術家の人生は人類史をもう一度生き直しているようにも感じます。本当におつかれさまです。

投稿: ふ | 2010年12月20日 (月) 21時35分

>Nashさん

>インプレスの記事がとても面白く、こちらに来ました。

ありがとうございます。
「デジカメWatch」はあくまでデジカメの情報サイトであって、ぼくの写真論も記事のオマケとして紛れ込ませているのですがw喜んでいただけて何よりです。

>本当にそうですね。もし、自分がそういう立場になったら果たして言えるだろうか・・・

いや、ぼくも善意の褒め言葉に対し「それは違う!」とは言いませんが、あくまで自分への戒めですw

>とはいえ、陽の下に「新しいもの」は何もないのも事実です。
>なので、忘れ去られた意味・表現を思い出させることが大事かなと考えます。

岡本太郎は「芸術は新しくなければならない」と言いましたが、その定義自体にはぼくも同意します。
ただ、そうなると問題は「新しいとは何か?」であり、それを掘り下げなければ「新しい芸術」は生まれません。
例えば、「新しい」とは「見たことのないもの」「知らないもの」ですが、実は「今」に生きる我々にとって過去の世界は「見たことのないもの」「知らないもの」であり、逆説的に「新しい」のです。
もちろん「過去の遺物」は「今」に残りますが、しかしそれは「過去そのもの」ではないし、「過去の遺物」そのものが「今」の一部であるとも解釈できます。
ですので単なるノスタルジーではない形で「過去」を「新しさ」に転化することは、「芸術」を考える上では大切だと思います。

>私も最近モノクロを撮り始めましたが、それは純粋に美しいと感じられるからです。
>色彩情報に騙されて(?)人間が見失っている美がモノクロでなら表現出来ると
>思っています。墨絵が現在でも価値を失わないのは同じ理由ではないかと思います。

ふとした思いつきで申し訳ないですが、モノクロ写真が美しいなら、モノクロテレビはどうでしょう?
くだらないバラエティ番組も、モノクロテレビで見ると美しい芸術に・・・こういう冗談を掘り下げることで、「新しい芸術」は生まれるのですw

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>ふ さん

>あるブログを読んで、空手バカ一代の三年殺しという技を思い出しました。
>1年で体が利かなくなり、2年目に体がくさり3年目に死に至るという恐怖の技です。
>こういう技をシャレや冗談でなく、あたりまえに使うのがプロの芸術家なんだなあ、と改めて感じました。

いや、これは仕掛ける方の「技」ではなく、あくまで自戒のための「技」ですw
褒め称える方は素直で邪気がないからこそ、作家にとっては「怖い」のです。

>麦を植えるために、これまで育ててくれた森を切り払う。そんなふうに割り切れるものなんでしょうか。

まぁ、割り切ることにしたのです。
それ以前に「飽きっぽい」という性格があって、飽きたら「次のこと」を始めなければいけませんが、それもまた大変で、四苦八苦してますがw

>芸術家の人生は人類史をもう一度生き直しているようにも感じます。

そう言うところはあるかも知れません。
いや、それを意識的に「方法論」として取り入れても良いかも知れませんw
生物学では「個体発生は、系統発生を繰り返す」と言いますが、胎内の受精卵は「単細胞生物>魚>獣>人」という系統発生(進化)を再現します。
そうして生まれた人間の子供は、「壁画」を書いてお母さんに叱られたりとか・・・w

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投稿: 糸崎 | 2010年12月21日 (火) 00時17分

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