改題で自信喪失
地震が起きると、そんなときにブログやツイッターに何を書き込むかでその人の「人間性」が分かる・・・とあらためて思うのだが、その点自分がまったくダメダメなことも自覚できるのだった。
ぼくは地震が起きたときは近所の屋外にいて、かなり揺れたけど周囲の街はさしたる被害はないようで、ビックリしたけど割とのんきな気分でいたのだった。
それで道すがら、「防災ずきん」を被って下校する小学生を撮ったりしつつ自宅に戻り、ツイッターの書き込みからNHK放送画面のUST中継(広島の中二男子による)を知り、被害状況の深刻さを知ったのだった。
それで、あらためて気づいたのが自分の「空間認識」の狭さであり、ぼくは自分の周囲に被害がなかったことに安心し、そこから「延長」された世界がどのような状況にあるのか?に全く想像力が働かなかったのである。
そのような認識の狭さは他人から「孤児的である」と批判されても仕方がないし、そのようにカテゴライズされるパターンにものの見事にはまっているように、自分でも感じる。
さらに、そのように反省したとして、ではツイッターやブログに何を書けばいいのかと言えば、それが全く思いつかない。
日頃はやれ「構造主義」だの「現代思想」だの「古典」だのとエラソーに書いているのくせに、いざというときに何も書くことが思いつかないのだ。
いや、必ずしも気張って書く必要もなく「さらっと触れるだけ」でもいいだろうし、「書かない」という選択肢もありだろう。
しかしいずれにしろ、自分の思想信条に基づき「これだ」という選択ができないでいることが問題だ。
つまり「空間認識が孤児的である」というのは、自分が直接眼にしない他人への想像力の欠如を示しており、全くその通りでしかない「自分」をそこに再発見するのだった。
それでとりあえずは他人の真似をして、ツイッターから他人に役立ちそうな書き込みを「公式リツイート」してみたのだが、そんなのはお為ごかしだろうといわれても仕方がない。
もちろん「幼児的万能感」に基づいて「何が何でも自分が何かの役に立つべきだ」と思うのははた迷惑でしかないのだろうが、しかしツイッターでもブログでも「空間認識が広い人」の対応はやはり違うなと、あらためて思ってしまった。
「空間認識が広い人」とは「国家の成員としての自覚がある人」ということであり、言ってみれば当たり前の普通の人を指している。
それに対してぼくは圧倒的に「基礎」を欠いているのであり、それを補完するため今はプラトン著『国家』を読んでいるのだが、イザというときにその成果が現れないのではしょうがない。
*改題、テキスト変更、コメント欄参照。
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コメント
糸崎先生、言うに事欠いて駄洒落ですか。
あのアエラの中吊りでさえ9.11のときは「そのとき世界は震撼した」でお茶を濁したのに。
さすがに今回は恐れ入りました。
先生のこと少し心配していたのに損した気分です。
お互い何が出来るという訳でもありませんが、出来るだけのことはしたいものですね。
投稿: ふ | 2011年3月13日 (日) 20時44分
ご指摘の通り、タイトルとも本文の締めについて、不謹慎かつ軽率でした。
該当箇所は修正します。
投稿: 糸崎 | 2011年3月13日 (日) 21時35分
世間的には、
日頃から天が落ちて来るみたいなことを言ってる人はただの変人ですが、
危機的なときに災厄について語る者は、災厄そのものである、
って、身にしみました(笑)
あるいみprophetってそういうことかな、、
投稿: schlegel | 2011年3月15日 (火) 20時59分
返信遅れて申し訳ありません。
結局のところ自分でもアタフタしてますねw
そのアタフタした様をみなさんに公開し、自分でもそれを自覚してモニターしてゆくしかありません。
投稿: 糸崎 | 2011年3月19日 (土) 13時29分
ぼくもブログ上ではだいぶ醜態を出してます(笑)
引っ込め癖が直りません、、
が、みんな結構そわそわしているようなので、
自分も感情の起伏もふくめて晒してしまっても良いのかなと開き直ってきました(笑)
陰謀説、これとは別ですが、僕も奇妙な感覚にとらわれそうになっています。
いまだに僕には、テレビや新聞やウェブの向こうの世界なので、
関東の姉から携帯メールで物資がないとか言われても、
結局は殆どが液晶の活字や画像越しなので、実体感がなく、
起こっていること自体がだんだん信じられなくなってしまっています。
エキサイト全面的にだいぶ混んでるんだか昨日から散発的にしか繋がらないので、
様子見てgooブログ旧館の方でも更新しようと思います。
投稿: schlegel | 2011年3月19日 (土) 13時57分
すみません、schlegelさんのブログが自分のブックマークから外れてました。
あらためて検索してみましたが、重いですが何とか見ることが出来ました。
http://schlegel.exblog.jp/
理系の人の思考が分かって興味深いですが、ぼくの不得意分野です。
しかし、そちらの記事にあった、
>原子力は自然になろうとしているのだと思う。この5,6日逃げだそうともがきつづけていたし、ヒトはなんとか手なずけようとしてきたが、そろそろヒトの制御を振り切って自然の力になろうとしているように僕には見える。
はぼくも似たようなことを考えてました。
こういう例え話はぼくの得意分野と言えますが、しかしいざというときの実用性にならないのが難ですねw
そちらの旧館ブログもブックマークしておきます。
http://blog.goo.ne.jp/kenske
投稿: 糸崎 | 2011年3月19日 (土) 16時46分