悲観的な楽観論
しばらく長野に逃げてましたが、東京に逃げ帰ってきました。
いや真面目に疎開するなら関西とか、沖縄とか、海外に行くべきなのでしょうが、そういう「ズク」がない自分は、結局は住み慣れた東京に戻るしかないのです。
というわけで、新宿ニコンプラザで、中村治写真展「HOME」 を観たあと、エルタワーの窓から撮ったスカイツリーです。
信じられないことに、大震災以降のこの街は放射能汚染の不安に晒されているのです。
街の様子はまだまだ賑やかでしたが、そのうち徐々にHOMEを捨てて移動する人たちが増え、ゴーストタウン化してしまうかも知れません。
今回のような大規模な原発事故の場合、その後処理には何年も何十年も掛かるそうで、放射能汚染も徐々にリアルなものとして感じられるようになるかも知れません。
いや、そんな風に悲観論を語ると、本当にそうなってしまう、という考え方もあります。
だから積極的に楽観論を語り、前向きに生きていこうという考えもあり、日本政府もそれを推奨しているように思えます。
しかし確実に起こりうる悲観的な未来を見据えなければ、真の楽観的な未来は開けないのだとぼくは思います。
「自分」についてもそれは同じであって、「オレはダメだ・・・」と悲観に暮れてばかりだとさらにダメになったりします。
しかし正確に「ダメな自分」と向き合うことができれば、それをベースに真の楽観論が生じるわけで、それこそが「反省」ではないかと思うのです。
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