デリケートな勝負
実は「反ー反写真」の個展を企んでて、先日はギャラリー審査のための写真セレクトについての相談を、先輩写真家にしてたのだった。
長年「反写真」の立場にいたぼくは「写真」については全くの初心者であり、写真家の話を聞くのは非常に勉強になる。
で、その先輩写真家の、ぼくの「反ー反写真」への評価だが「普通にうまい写真だけどそれ以上でもなく、既に写真家として活躍してる人たちに比べ構図などがユルい感じ…」と言うような感じでなかなか厳しい。
こういう率直なアドバイスをしてくれる方は信頼できるし、実に有難い。
ところで、写真は誰でも簡単に撮れるので、写真家が撮る「写真」は素人が見てもその良さ分からない。
前回の記事を受けて言えば、それだけ「圧縮率」の高い写真を写真家たちは撮っている。
だから鑑賞者には自前の「解凍ソフト」が必要なのであり、それがいわゆる「目を鍛える」ことなのである。
というわけで、ぼくも「写真を見る目」を鍛えるため、自分でも「写真」を撮ってみることを思い立ち、そのシリーズを「反ー反写真」と名付けた。
つまりこれは認識のための写真でもあるのだが、まぁ、写真の入門者なら誰でもやってることだとも言えるだろう(笑)
で、作品セレクトについてだが、ぼくのこれまでの「反写真」はどのシリーズも特徴がハッキリしてたので、個展用のセレクトも迷いが少かった。
だが「反ー反写真」は多くの写真家が撮るのと同じような路上スナップで、作品セレクトが難しい。
他の写真家と極めてデリケートな勝負になることに、改めて気付くのだ。
そう言えば、ぼくはこれまで他の写真家に対し、微妙な差異で争う事を避けてきたのだった。
しかしそれは素人から見て「微妙な差異」に過ぎず、あくまで玄人目には「大きな差異」なのであり、その様な高度なレベルを写真形は競っているのだ。
自分も遅ればせながら、そういう世界に参入する事になるのだが…
結局、今回の写真セレクトは悩んだあげく締め切りに間に合わず、ギャラリーの応募は次回に持ち越すことになった(笑)
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