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2011年4月

2011年4月27日 (水)

東電の御用アーティスト

Sr8570558

部屋を整理してたら、昔やった企画展のDMが出てきた。

Sr8570557

会場は・・・・

まぁ、ギャラとしてはたいしたことなく、みうらじゅんが断ったという仕事のように「500万よりもっと上で、ゼロがいっぱい」ということはぜんぜんありませんでした。
実はこの前年にも、テプコ銀座館プラスマイナスギャラリーでも企画展をやってて、浅草は2回目でした(ギャラは同じくらい…いや、両方ともギャラあったっけ?)。

問題は、テプコのギャラリーで開催が決まったときに「原発反対運動などに参加してませんよね?」という確認を取らされ、「そんなことはありません」とサインしたこと。
まぁサインはいいとしても、その時をきっかけに「原発に反対してる人がいるんだ・・・」と興味を持って調べれば良かったのに、そういうことを全くしなかったのはバカと言うほかありません。
けっきょく原発については「知らんぷり」「他人事」を決め込んだわけで、ですからこの度の原発事故の責任の一端は自分にもあります。

バカはそれ自体が罪である、と反省した人だけがその罪を負う・・・

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2011年4月26日 (火)

また釣られた光子力と原子力

Sreactorblueprintz

原子炉建屋の設計図がネット流出 福島第一1号機か」というニュースがあったのですが、しかしそんなモノは以前からとっくに出回っていて、なんと「マジンガーZ」のエンディングに使われていたという情報があって、さっそくDLしてフォトショップで重ねてみました。
完全に一致ですw

動画を追加しました。
ってか、一致してないですね・・・原子炉のエンディング画像はフェイクの模様。
これ描いたとされる宮武一貴も、手間かけてトレースするぐらいならオリジナルで描きますよね・・・

釣られてばっかりですw

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2011年4月20日 (水)

シムズとフォトモ(3)

 


ニンテンドー3DS用「ザ・シムズ3」のプロモーション作品の製作ですが、今回は技術的な細かいことを書いてみます。

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人物素材のスクリーンショットですが、せっかくのパーティーなのに女性が「独りメシ」で寂しすぎます(笑)
このゲームのプレイヤーはキャラクターを直接操作することはできず、大まかな指示を与えるだけで、あとは勝手に行動します。
一種の人工知能なのかも知れませんが、良くできていると思う反面、時々おかしな行動してなかなか味わい深いのです(笑)

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こちらの男性も独りメシ・・・なぜなんでしょうか?(笑)
面白いけど、作品としては「絵」になりません。

S003

そこで、フォトショップで女性のみを切り抜いて、左右を反転・・・

S004男性はテーブルと一緒に切り抜きます。

S001

補助パーツを加え、計5枚のレイヤーを重ねるとこんな感じに・・・二人で仲良く食事してます(笑)
この画像をプリントアウトして切り抜けばフォトモ(的作品)のパーツになるわけです。
こういう細かいゴマカシ加工は面白いのでついハマってしまいますが、完成度を高めるほど苦労の痕跡が見えなくなってしまいます。
フォトモを銀塩写真で製作してた頃は、これと同等の作業をプリントの切り貼りで行ってました。
なので、その技術がフォトショップでも活かされるわけです。

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2011年4月19日 (火)

シムズとフォトモ(2)

ニンテンドー3DS用ゲーム「ザ・シムズ3」の、プロモーション用作品製作の続きです。

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企画会議があった翌週、再びオフィスを訪れてオペレーターの方に「ザ・シムズ3」のPC版を操作してもらいました。
操作と言うより、シムズの「仮想空間の街」を案内してもらう、といった感じです。
ぼくのような初心者がイキナリ操作できるような簡単なゲームではないのですが、それだけに奥が深いのです。

Sscreenshot9
シムズの世界観をだいたい理解したところで、スクリーンショット撮りました。
これを素材にフォトモの技術を応用した作品を作ります。
画質が粗いのでは?と言う心配がありましたが、十分に高画質で驚きました。
これは「主人公」が購入した家なのですが、立体にしやすいようにシンプルな平屋を選んでみました(笑)

Sscreenshot27

Sscreenshot38
次に主人公に「パーティーを開く」という指示を与え、家にトモダチをたくさん呼んで、スクリーンショットを撮りまくりました。
キャラクターたちは主人公を含め勝手に動き回るので、まさに「シャッターチャンス」を狙う感覚でスクリーンショットのボタンを押しまくります。

S_1
で、自宅に戻ってスクリーンショットの画像をパソコンに取り込み、フォトショップで加工します。
人物は遠近感を考えて大きさを調整し、建物はパースペクティブを変えたり細かい部分を切り貼りしたり・・・色々やってます。

S_8570045
加工した画像をプリントアウトし、ハサミやカッターで切り抜くと立体のパーツになります。

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組み立てるとこんな感じに・・・完成です。
平面である仮想3Dを素材に制作した「2.5D作品」で、まさにフォトモと同じです。
正確にはフォトモではないですが、便宜上「フォトモ」と呼ばれてます(笑)

Sr8570149

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完成した「フォトモ」をマクロ撮影すると、元のスクリーンショットそっくりの写真に・・・
この製作過程は動画でも公開中です(笑)

 

 

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2011年4月18日 (月)

シムズとフォトモ(1)

「ザ・シムズ3」というゲームがあるのですが、ぼくはゲームは全くやらないので知らなかったのですが、そのプロモーション用に「フォトモ」の技術を使えないか?と言う依頼があったのです。
なぜフォトモなのか?というと、この「ザ・シムズ3」のニンテンドー3DS用が出るそうで、立体映像である3DSの世界観を表現するには、同じく3Dであるところのフォトモしかない・・・との事でした。
ぼくとしては、今ひとつ何の事やら分からなかったのですが、とりあえずスタッフの方と打ち合わせすることにしたのですが・・・

Sr0019860b

打ち合わせの当日、イキナリ会議室で試作してしまったのですが、ゲームのキャプチャー画像のプリントアウトを、チョキチョキと切り抜いて簡単に立体化してみたのです。

Sr0019863

ウケてますね・・・スタッフの方がデジカメとケータイで試作品の写真を撮りまくってます(笑)。
まぁ、当然ながらウケると悪い気はしないし、試作の感触では何だかイケそうな気がしたので、このお仕事は引き受けることにしました。
果たしてどんなプロモーションになるのか?・・・はもう公表されてるのですが(笑)、この記事の続きは明日にでもアップします。

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2011年4月 4日 (月)

「反ー反写真」個展応募テキスト

Simg_0377

いろいろ書きたいことはあるのですが、なかなかまとまらないので、既に書いた文章をアップします。
先日、新宿のコニカミノルタプラザに個展の申し込みをしたのですが、その審査書類に添付したテキストです。
オルテガを引用してカッコつけたりしてますが・・・「反ー反写真」はぼくの周囲では評価が分かれるというか、評価してくれる人は少数派なのでw、審査が通るかどうかはビミョーです。
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反-反写真

糸崎公朗

 私は、人間の視点移動を表現した「ツギラマ」や、平面である写真を立体的に再構成した「フォトモ」など、独自の写真表現を追求してきた。都市空間の広がりである「路上」というフィールドに非常な魅力を感じた私は、写真によってその素晴らしさをいかに表現できるかに腐心してきたのだ。
 私はまず、自分にとって価値があるのはまず「実物」の路上であり、写真はそれを伝達するメディアに過ぎない、と考えた。そのような考えから「実物」の多様な形状に合わせ、その魅力を表現するための写真形式もまた多様であるべきだという考えが生じた。そのために「ツギラマ」では写真に特有の「一点透視法」や「矩形の画面」を否定し、「フォトモ」では「平面性」を否定した。またこれらの作品は「実物」の精巧な代用品であると同時に、その魅力を指し示す「矢印」の機能を果たしているのであり、作品そのものに「実物」を超えた価値があるとは認めなかった。つまりこれらの作品は写真を素材としながらも、形式の面からも思想の面からも「反写真」だと言えるのだ。
 このような私の「反写真」にとって、対極的な「写真」のありかたのひとつに「モノクロ路上スナップ写真」があった。私は路上の「実物」を愛するがゆえに、カラー情報を差し引いたモノクロ写真の意義が全く理解できないでいた。また、似たようなモノクロスナップを撮る写真家は実に多く、そこにアートとして必要なオリジナリティーがあるようには思えなかった。さらに、本質的に「実物」の複製品でしかない写真が、「実物」としての絵画や彫刻などと同等の「アート作品」として成立しうるのか、それも疑問だった。

 しかし私はある時ふと、自分は「写真」とは何かをろくに知らないまま、闇雲に反発していたことに気づいた。実は、私は中学時代に「カメラ」というメカの魅力に惹かれ写真部に所属していたのだが、自分には写真を撮るセンスがないと判断し、それ以来しばらく写真から遠ざかってしまった経緯がある。つまり私はきちんと写真を勉強することを放棄して「写真」に背く道を選んだのだ。しかし「背く」とは、結局それを理解しようとしない態度であり、理解しないまま反発しているに過ぎない。自分が理解できないものを、理解出来ないがゆえに否定し反発するのは愚者である。スペインの哲学者オルテガは、あらゆる反何々という態度は空虚であるとして『大衆の反逆』に以下のように書いている。

 文明の寄食者である犬儒主義者は、文明は決して無くならないだろうという確信があればこそ、文明を否定することによって生きていているのだ。

 結局のところ私の「反写真」とは、世に言う「写真」の存在を前提にし、それを頼りに成立していたに過ぎなかったのである。そこでこれまでの態度を反省した私は、「写真」とは何であるかをあらためて知りたくなった。自分が「写真」の意味を理解することでアーティストとして新たな可能性が広がるかも知れないし、これまでの「反写真」についても別の面から眺めることができるかも知れない。

 「写真」を知るためには「学ぶは真似ぶ」の葉通り、他の写真家の真似をするのがひとつの方法である。そこで私は、自分がこれまで理解できずに否定していた「モノクロ路上スナップ写真」を真似して撮ってみることにした。これは自分の「反写真」をさらに反転させた行為であり、そのコンセプトと作品を「反-反写真」と名付けることにした。
 私の「反-反写真」は当初は文字通りヘタクソな写真でしかなかったが、そのうちコツ掴んで熱中するようになり、写真家の友人たちからは「普通レベルには上手い写真」と言われるようにまでなった。そもそも自分で「写真」を撮らなければ、他の写真家からアドバイスをもらったり評価されることもないのである。そして、そのような他者とのコミュニケーションを重ねることによって「写真」への理解も次第に深まり、実物とは異なる「モノクロ写真の自律的価値」や、一見似たように思える「路上スナップ写真」にもそれぞれの意味の違い、レベルの違いが歴然とあることも認められるようになった。これは実にありきたりなことのようだが「反写真」に固執していたかつての自分からは、考えられないことである。
 しかしもちろん、私はいまだ「写真」とは何かを完全に理解したわけではなく、あくまで「写真」の奥深さの入り口に立っているに過ぎない。「反-反写真」とは、バカボンのパパが「賛成の反対の賛成なのだ」というように結局は普通の「写真」なのだが、私はこれによって「写真」の自明性に対する疑問を自己にも他者にも投げかけたいと思っている。

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