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2011年5月 2日 (月)

捨てる技術(できないけど)

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部屋の整理をすべく、昔の写真を一部捨ててしまった。
しかしこれで良かったのか、さらにどんどん捨てるべきか、悩んでしまう…
迷い無く捨てるべし‼と思って始めたんですがw

捨てはじめたのは、デジタル以前の時代に撮った、大量のネガフィルムと同時プリント。
ツギラマやフォトモや2コマ写真など「作品」になってない未整理の写真。
いつか整理しまたは作品化しようと思いながら、そのまま箱に入れたのが積み上がってた。

しかしデジタル写真の整理に慣れると、フィルムやプリントの整理は面倒過ぎてもはや不可能に思える。
整理不可能なモノは利用価値が無いゴミだから、捨てた方がいいに決まってる。
古いネガはスキャンする方法もあるが、それもかなり面倒。
そんな時間があるならどこかに出かけて新たな写真を撮るか、本を読んで知識を身につけた方がいい。
過去に囚われるより、過去を捨てた方が未来に対して建設的になれる。

しかし過去の写真を捨てることは、過去の自分の努力を無にする事になる。
とりあえず捨てずにとっておけば、あとで何かの役に立つ事もあるかもしれない。
現に今の自分は、過去の自分の成果によって助けられ、支えられている。
個展や雑誌連載は、過去の自分の作品無くして成立し得ない。
それにフィルムで撮っていた頃は今と違って毎週の様に電車で都内や近郊各所に出かけ、勢力的に撮影していた。
アルバイトしながらなので、経済的にも随分負担が掛かった。
当時のネガを捨てる事は、そんな過去の自分をダイレクトに否定する事になる。
これはちょっと胸が痛む…

しかし過去の自分は、同時に現在の自分の足を引っ張り、引いては未来への可能性も阻害している。
具体的にぼくの部屋は狭いのにモノが多過ぎて、仕事(製作)に支障をきたしている。
これはどうにかしないといけない!

そもそも過去の自分が「ダメな自分」「間違った自分」なのであれば、そんなのはとっとと切り離して捨て去ったほうがいい。
ネガの整理ができない自分、きちんと作品化してこなかった自分は、方法論がデタラメなダメアーティストでしかない。
そんなのは現在の自分は助ける筈も無く、足を引っ張るのみである。

大量のネガを処分しても、フォトモやツギラマなどの作品は当時の自分の成果として残される。
また、様々な路上を歩いた経験も、自分の成果としてこれからも役立つだろう。
それ以外の撮影やアルバイトの苦労は「壮絶な空回り」でしかなかったのである。

「壮絶な空回り」はぼくの場合いつもの事で、本もろくに読まず、人の作品もろくに見ず、人の話もろくに聞かないようでは「方法論」がデタラメでになるのは当たり前で、いくらアクセルを全開でもクラッチを入れずに前進できないのと同じなのだ。
方法論がデタラメでも、運がよければある程度まで行く事ができる。
そしてなまじ上手く行ってるが故に、デタラメを「方法論」だと勘違いする。
そうやって調子に乗ってデタラメをこじらせるうちに、次第に運が尽きてくる。
それで慌てて「反省」し勉強をし始めた…と言うところで311を迎えてしまった。

ぼくの部屋の状態は、原子炉建屋内部に捨てたいけど捨てられない使用済み燃料棒が置きっぱなしなのと、よく似てるw
いや、部屋の不要物は爆発しないが、機能を著しく阻害している点は同じである。
また、すべき事を合理的に処理できず問題を先送りしてる点も同じで、ぼくは東電を責める立場に無いのだ。

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