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2011年6月13日 (月)

色付き写実彫刻

Smiyataro

ぼくが撮った写真ではなく、友人が面白がって送ってくれました。

美術史家の高階秀爾は「写実絵画は平面で、写実彫刻は立体だが色彩がない。実物と次元を異にしてるからこそ芸術として意味があるのであり、だから色付き写実彫刻は芸術とはならない」というように書いてましたが、この定義を真に受けると、こんな風にされた芸術家はもうオワコン・・・まぁ、愛されているからこそなんでしょうがw

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アート論」カテゴリの記事

コメント

ふぅむ、高階さん、そんな事言ってますかぁ。
ギリシャ彫刻も中世のキリスト教彫刻も仏像もおそらく殆どが彩色されてたと思います。
彩色なしでマッスやボリュームと素材感に依拠した「彫刻」と言うと近代、と言うかルネサンス以降に限定されますね。
まぁ信仰の対象や礼拝の対象であって「芸術」でないと言えばそれまでですが。

投稿: moscow_91 | 2011年6月19日 (日) 23時25分

>>moscow_91さん

スイマセン、うろ覚えで書いてまして、確か高階さんの『20世紀美術』だったと思いますが、探したのですがすぐ出てきません・・・

補足すると、彩色彫刻は実際の人体とは「大きさ」を変えてあるのであって、実物大で人間そっくりな蝋人形やマネキンは芸術にはならない、とも書いてあったように思います。
実際、金沢21世紀美術館で見たロン・ミュエクは写実的な彩色彫刻ですが、大きさだけは実物と変えてあって、高階さんの言葉を思い出していました。

>まぁ信仰の対象や礼拝の対象であって「芸術」でないと言えばそれまでですが。

以前はぼくもそのような考えでしたが、最近は認識を改めました。
現代アートだって、信仰や礼拝の対象になり得るし、アートも宗教も基を辿れば箒の柄のように一つにつながっているのではないかと思うのです。
キリスト教も仏教も、本来的には「偶像否定」なのですが、しかしそれを踏まえてあえて「像」を作り出すのが芸術たる所以かも知れません。
しかしTAROのマネキンはどうも本人を神格化した「偶像」のようで、これはどうなんだろうか?と思ってしまいます。

投稿: 糸崎 | 2011年6月20日 (月) 00時25分

等身大の彩色されたリアルな彫刻といえば
ドゥエイン・ハンソンを思い出しますね
ロン・ミュエックの大きかったり小さかったりする作品は
周囲の空間を歪めて見せられるような印象なのに対して
ドゥエイン・ハンソンの等身大の作品は
日常の中に穴をあけるような印象のものだったな
という感想が昔のブログに残ってました・・・

投稿: bonyaly | 2011年6月20日 (月) 13時03分

>>bonyaly さん

スイマセン、こっちのブログ放置気味で返信が遅れました。
ドゥエイン・ハンソンは恥ずかしながら知らなかったので検索してみました。
http://www.google.co.jp/search?q=Duane+Hanson&hl=ja&client=firefox-a&hs=dAb&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&prmd=ivnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=RxoFTp2dFuOfmQX826zMDQ&ved=0CCAQsAQ&biw=1920&bih=1048
立体ですが、何というか「写真」的な表現だと思いました。
人物のさりげないポーズとか、くたびれて愁いを帯びた表情など、芸術写真でよく見るような感じで、そんなところからの影響が大きいように思えます。
同じ印象はロン・ミュエクの作品からも感じましたが、実際はどうなんでしょう?
人物の表情やポーズは美術の歴史の中で徐々に形成されたものなのかも知れませんが。

「色付き写実彫刻」という観点で見れば、これは一般的に「芸術にならない」とされていたとしても、そこを反転して作品を成立させるのも芸術なのだと、あらためて思いました。
最古の仏典『ブッダのことば・スッタニパータ』には、「修行のためには友人関係を断ち切るべきだが、良い友人がいれば一緒に修行しなさい。」「結婚は修行の邪魔だが、良い伴侶が見つかったなら結婚しなさい。」などと書いてありますが(意訳ですが)、反対の事柄を示すことによって「教条主義」に陥ることを戒めているのではないかと思います。
何についても原理原則は必要ですが、それに対して思考停止、判断停止してはならないということです。

投稿: 糸崎 | 2011年6月25日 (土) 08時37分

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