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2011年6月 5日 (日)

裸の王様とソクラテス

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●自分がつまらないと思ったアート作品を「あんなのはつまらない」と言い切って良いのか?自分はつまらないけどみんなが絶賛している作品を「自分には分からないけど良い作品なんだ」と判断して良いのか?アートにとっての良し悪しやその理解には、いろいろ「分からない」事が多すぎる…

●裸の王様的な、「これを評価しないとセンスが無いとバカにされる」という緊張感漂う作品がアートにはある。とは言え子供が「こんなのアートじゃない」と言って大人が目覚める事はあり得ないが…

●「王様は裸だ!」と純粋な子供が言えば大人はみんな目を覚ますが、ソクラテスが同じような事をアテネ市民に向かって訴えたら死刑になった。裸の王様的アートがあるとして、それを指摘し人々を目覚めさせるのは誰の役目か?まぁしかし「王様は裸だ!」と叫ぶ前に、自分も裸かどうか確認してみた方がいいかもしれないw

● ソクラテスの時代のアテネも、現代日本も、民主主義社会で「王様は裸だ!」と言えば、それは一般民衆を指すことになる。そして311以降の日本では「王様は裸だ!」が否応もなく明らかになった。自分の家来に裸のまま見捨てられる王様たちが続々と…民主主義社会とは、大勢の王様たちをごく少数の家来が支配し搾取する社会だったのか…⁈

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