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2011年6月 6日 (月)

『原色日本の美術』を見る

Sr8570586

Tue, May 10

14:31 真面目に美術の勉強をやり直そうと思って、ここのところ図書館で小学館『原色日本の美術』を1巻から順に見てる。今日は6巻から…テキスト飛ばして眺めらるだけでもけっこう時間がかかるw

14:37 仏教美術は、仏教のことが分からないと、見ても分からない…初期仏教は経典読んだけど、偶像も芸術も否定してる。大乗仏教も学ばないと…

14:43 仏教美術もキリスト教美術も、その宗教を知らなければ見ても分からないワケで、つまりはコンセプチュアルアートなのである。しかしそもそもコンセプト無しの純粋アートはあり得るのか?「純粋」だってコンセプトだし。

14:55 美術作品にとって、宗教や哲学や思想などのコンセプトが不可分なのであれば「コンセプチュアルアート」という言葉はヘンでかもしれない。そして、今時の感覚重視のアートは「ノンコンセプチュアルアート」という固有のアートとして捉えると良いのかも?

15:04 仏像のふくよかで、厳かで、落ち着いた顔の写真をたくさん見てると、そういう顔つきに「思想」が現れてるように思えてくる。仏像の顔によって、そこに現れる「思想」を見る人に体現させようという…キリスト教美術もそうだろうけど、美術とは本来そう言う「機能」を負ってると言えるのかもしれない。

15:08 現代の日本では、仏像の顔に現れるような「思想」や「哲学」がすっかり廃れてる。仏像の顔に現れているような心情に、自分もなろうと思う人は誰もいない。特に日本のエライ人達にw

15:13 昨日読んでたアリストテレスの解説に「不動の動者」とあってナルホドと思いました。http://ow.ly/1sT0yw @capsulemonster 匿名性(アノニマス)、第四人称、主観と客観、その呼称は別として、様々な作家が求めようとしてなし得ない表現、僕は『神の視点』だと考えています

15:18 その通り、「感覚重視」「できるだけ考えない」「考え過ぎはダサい」など、コンセプトでガチガチに固められてますw RT @ataru_mix しかしそれも「感覚重視」というコンセプトになってしまうという…。

15:25 「神様の視点」を求めるなら、宗教の勉強は欠かせないと最近気付いた…ここをゆるく考えると「呪術」になる…日本特有の「無宗教」も呪術の匂いが…「呪術アート」も良いですがw…RT @capsulemonster 様々な作家が求めようとしてなし得ない表現、僕は『神の視点』だと考えています

15:39 美術の本質が「宗教美術」だとしたら、作品とは作者の宗教観の反映であり、それは見る人の宗教観と響き合う。宗教という言葉に違和感があるなら「哲学観」「思想観」でもいいかもしれない。人の重さでアートの重さも測れる?重いアートばかりでももたれるから、軽い人の軽いアートもまた良し。

16:13 そう言えばマンガって文字が読めなければ意味も分からないけど、これって宗教美術やコンセプチュアルアートとどう関係してるんだろうか?「原色日本の美術」で仏画を見ながら、ふとマンガみたいだなと思ったので…

16:29 仏画にはぼくにはよく分からないがストーリーが描かれていて、マンガみたい。その点はキリスト教美術も同じですが。しかし宗教はストーリーではなく、その「向こう」に示される。いやマンガや小説の真髄も、決してストーリーそのものでは無いと思いますが…

16:35 アート作品に表れるイメージやストーリーは「媒体」に過ぎず、では「何の」媒体なのか?を考えるのが、アートなのかもしれない。

16:42 仏画は世俗画と異なり、宗教的な神聖な用途に使われる。難解な現代アートも、世俗アートとは異なり「現代アート」という宗教の、神聖な用途のために存在するのかもしれない。

16:47 一般に難解だと言われる現代アート作品は、世俗画とは異なる「聖画」なのかもしれない。つまりそれを理解するには「現代アート」という宗教に、ある程度以上コミットする必要がある。

16:51 質の悪い仏画は「生気を欠いている」と解説されてる。現代の聖画である現代アートにとっての「生気」とは…?

17:45 今日は『原色日本の美術7・仏画』しか見られなかったが、だいぶ頭がスッキリと晴れ渡った感じ。と言うか、いろいろ見て知った分だけ脳内空間が広がる。世界は広く、だから脳内空間も広げないと!

17:54 「見る」ことに関して、ぼくは「路上」をじっとりと見続けてきたので、その意味ではだいぶ「目」を使ってきたと言える。しかしいくら「路上」を見続けても、それは「教養」として蓄積されない。もちろん教養だけが重要では無いだろうけど…

18:02 「教養」とは何かと言えば、経験や知識の共有生でしょうか?アートを見た経験や知識は他人と共有できるわけで、そうした教養を媒介に他人とコミュニケーションできる。その意味で、ぼくの自然観察の経験も教養だと言えるだろう。しかし「非人称芸術」を見ることの蓄積は、教養とは種類が異なる。

18:08 まぁ、教養を身に付けないと「非人称芸術」とは何なのか?果たしてそのコンセプトに妥当性があるのか?ということは分からない。だからアートの勉強をし直してるんだけど、そうなると非人称芸術とかどうでも良くなってきてwいや、それくらいの意識がないと難解なアートは理解出来ない。

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