洞窟と網膜
Thu, May 12
19:34 『大系世界の美術1 先史・アジア・オセアニア美術』見てるけど、ラスコーなどの洞窟絵画は普通に上手い…自分の「網膜」なんて意識してないはずなのに、網膜のごとく立体を平面に投影する発想が生じることが不思議…道具とは身体機能の外部化である、がよく分かる。
19:44 旧石器時代の洞窟画は写実だが、中石器時代の極北美術はデザイン的、イラスト的になる。デザインは元は生物の身体デザインや模様であり、これが「網膜像」と融合すると、デザイン的なイラストになる。
19:50 先史時代の写実的な洞窟絵画は、達筆で洗練されたデッサンに見え、素朴さは無いように思える。しかし非写実的な絵画や像は、デザインとしては素朴で洗練されてないように思える。そう思うとちょっと不思議…
20:04 原始絵画は「牛」や「人」などのモノだけが描かれており、網膜像そのものの写ではない。それは網膜像と、デザインと、言語の融合で、それが芸術の三元素…などと思ったり。
20:56 見えてるのに「どう見えてるのか?」が人間自身に分からないのも不思議…だから網膜像から離れた絵画が生じる…人の体は人の意識を騙します…RT @bOshita: 情報の処理、つまりこんなふうに見えているという感覚を一旦離れたとは別のものを記録、表現したとするとすごいことだなあ。
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