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2011年7月12日 (火)

原発と中立

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最近の人々は原発に対して「原発推進派」や「反原発派」や「脱原発派」に分かれたり、放射能に関しても「安全派」「危険派」などに分かれたりしてるが、先日ある雑誌編集者の友人が「ウチの雑誌は中立でいる」というのを聞いてギョッとしてしまった。
まぁ、ぼくはその場では何も言わなかったのだが、「中立でいる」とはなかなか口にできない言葉である。

しかし考えてみると、ぼく自身は原発についても放射能についても、究極的には「中立でいる」と言えるかも知れない。
例えばぼくは、昆虫をはじめとする野生動物の放射能被害については、かなり楽観視している。
例え放射能の影響で奇形の虫が生まれたり、癌で死亡率が上がっても、いずれは正常に戻るはずである。
それにチェルノブイリの報告によれば、放射能汚染で人間が住めなくなった地域に、かえって豊かな自然が戻りつつあるのだ。
そもそも地球上の野生動物たちにとって、その環境は都市化によって破壊し尽くされている。
だからそれに放射能汚染が加わったとしても、そのおかげで人間がいなくなるのであれば、野生動物にとってはかえって都合が良いと言えるかもしれないのである。

それに小出裕章著『放射能汚染の現実を超えて』によると、事故を起こしたスリーマイル島原発を後になって調査したら、圧力容器内部にたまった水の中におびただしい量のバクテリア、単細胞微生物、菌類、ワカメのような藻類が増殖していたらしい。
その場所は、人間だったら恐らく1分以内に死んでしまうほどの強い放射線が出ている環境なのだそうだ。
つまり地球上の生物は、放射能で汚染されたからと言って絶滅することはないのだ。
そもそも地球上に現在のような大気が形成される以前、地球は宇宙からの強い放射線に晒されており、そのような環境で生物は発生したのである。

いや例え放射能に対し耐性を持たない生物であっても、そのほどんとは原発事故が起き蛸とが原因で絶滅することはないだろう。
野生生物にとって原発事故は大きな環境変化と言えるかもしれないが、先に書いたように「都市化」そのものが既に大きな環境変化だし、それ以前にもさまざまな環境変化を乗り越えて、生物たちは生き延びてきたのである。

これは人間も例外ではなく、種としてのホモ・サピエンスは原発事故くらいでは簡単に絶滅しないだろう。
例え放射能汚染によって環境が悪化したとしても、過去の人類は同等以上の過酷な自然環境の中を耐え抜きながら生きてきたのである。
100万年前の縄文時代の人間は、平均寿命が30歳程度で、それだけ自然環境が過酷だったと考えられる。
だから現在「放射性廃棄物が無害になるまで100万年も掛かる」と騒がれているけど、どんなに環境が悪化しても縄文時代に戻るだけだとも言えるのだ。
放射線の被害によって子供の寿命が短くなるとも言われているが、それは縄文時代も同じであって、医学のない時代に生まれた子供が長生きできる確率は、現在よりずっと少ないはずなのだ。

と言う具合に「究極的に」考えると、原発の推進に関しても放射能の危険性についても「中立」の立場を取らざるを得ない。
すなわち、原発派どんどん推進しても構わないし、放射能の被害も全く問題ないと考えても構わない。
もちろん、原発に反対し即時廃止することも、放射能を危険と考えそれに対処することも構わない。
どっち道の道を選んでも、自体は良くも悪くもならないから、まさにどっちでも構わない。

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と、ここまで書いてあらためて気づくのは、このような「中立」の立場は、結局はどういうわけか「原発推進派・放射能安全派」の味方をしても、「反原発派・放射能危険派」の味方にはならない、と言うことである。
原発推進派にとっては、「どっちでも良い」と言われればそれが「じゃあどんどん推進しましょう」と言う理由になるし、放射能安全派にとっては「じゃあ学校給食に汚染食材を出しましょう」と言う理由になる。
ところが原発反対派や放射能危険派にとっては、「どっちでも良い」と言われてもそれが「じゃあどんどん反対します」という理由にはならない。

これは非常に不思議なことのようだが、ふたつ理由を考えてみた。
ひとつは「地球環境の変化」という観点である。
「原発反対派」の人たちは原発によって地球環境が変化(悪化)することを危惧してこれに反対している。
実際311の原発事故では大量の放射能がまき散らされ、地球環境は変化した。
だからなおさら、これ以上の地球環境の変化を食い止めるため、現在稼働している原発の廃止を求めているのだ。
「放射能危険派」の人たちも、放射能汚染による「地球環境の変化」の危険性を訴え、その対応策の必要性を訴えている。
つまり「地球環境の変化」と言う世界の「動き」に対し、人間の方も「動き」で応じようとしているのが「原発反対派」や「放射能危険派」の人たちだと言うことができる。

これに対し「中立派」の人は「なにもしない」ようでいて、実は「地球環境の変化」に伴って動いてしまっている。
回転する地球上で何もしないでただ立っている人は、地球と一緒に「動いて」しまっている。
「地球環境の変化」に対し「何もしない人」は、結果的にはそれでも構わないとする立場の「運動」に荷担することになる。

つまり、「原発推進派」や「放射能安全派」の人たちは、「地球環境の変化」に対し何もしない「中立派」と立場を同じにしている。
福島で原発事故が起きても、これまでと同じように原発を推進するのが「原発推進派」で、これまでと同じように放射能に危険はないと考えるのが「放射能安全派」なのである。
「中立派」の「どっちでも構わない」という立場は、「これまでと同じで構わない」という立場と実質的には同じなのだ。

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もう一つの理由は、ヒトと言う動物種の絶滅と、人間個人の死は同列に考えることはできない、ということである。
例え人類が滅亡しなくとも、自分が死ぬのはイヤだし、自分の子供をはじめ近しいヒトが死ぬのはイヤだと思うのが人間であり、それこそが「死」の問題だ。
これに対し人間以外の動物については「個体の死」ではなく「種の絶滅」という観点で問題が捉えられる。
例えば「パンダを守ろう」というスローガンは、ランランとかフェイフェイなどのパンダ個体の死ではなくて、パンダという「種」の保全に掛かっている。
しかし「人間の命を守ろう」というスローガンは、もちろん「個人」に掛かっている。
もし「人間を守ろう」というスローガンが「種としてのヒト」に掛かっているのなら、「増えすぎた人口を削減し、少数の人間のみ選別しよう」という思想につながりかねない。
いや究極的な「中立派」としてはそれでも構わないのかも知れないが、そうすると必然的に「殺す側」を容認しそれに荷担することになる。

「中立派」という立場は「個人の死」とは両立できず、必ず対立してしまう。
殺されそうな人と、殺そうとする人がいて、これに対し「どっちでも構わない」という立場を取れば、必然的に「殺されそうな人」の味方にはならず、従って「殺そうとする人」の味方になってしまう。
実際に原発事故の放射能に冒され苦しんでいる子供にとって、目の前の「中立派」の人間は明確に「敵」なのだ。
逆に、「原子力推進のため多少の犠牲はやむを得ない」と思ってる人にとって、「どっちでも構わない」という中立派の意見は、自分にとって有利に働くことは明確だ。

というわけで、2つの理由によって「中立派」の人は「原発推進派」「放射能安全派」に荷担し、「地球環境の変化」という危険な状況を容認していることになる。
有り体に言えば「事なかれ主義」なのだが、変化してしまった環境での「事なかれ主義」は、結局は「事が起きること」に荷担してしまっている。
だから逆説的に、ことさら原発に反対したり、放射能の危険性を訴えたりする人たちの方が、文字通りの意味で「事なかれ主義」なのである。
環境が変化してしまった以上、これまで通りの安全な生活を確保するには「事を起こすしかない」のだ。

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とは言え「中立」という言葉自体にも複数の意味があり、単なる「事なかれ主義」ではない「中立派」も考えられる。
例えば雑誌などのメディアであれば、「賛成派」「反対派」の緑極端な意見を平等に載せて、その判断は読者に委ねるというかたちで「中立派」を実現することはできるだろう。
実際にネット上のメディア、「2ちゃんねる」や「twitter」はこの意味での「中立」を実現しており、だからこそ読者の「リテラシー」が重要視されている。
これらのネット上のメディアは「容器」として機能しており、その中には「賛成は」「反対派」をはじめとするさまざまな意見がまぜこぜに入れられている。
というような「容器」としての機能がもし雑誌メディアで実現されているのであれば、その編集者は「ウチの雑誌は中立でいる」と胸を張って言えるだろう。

しかし実際に彼の雑誌を見ると、どうもそのようには見えない。
言ってみれば情報系の総合誌なのだが、そう言う雑誌にしては原発や放射能についての話題が少なく、つまりはそっちの方向へ「偏向している」ように思える。
これが例えばファッション雑誌とか、カメラ雑誌であれば、分野の違う原発や放射能の問題をことさら掲載する必要もないだろう。
しかし総合的な情報誌や、政治や経済や科学などを扱う雑誌がこの問題に消極的だったり、スルーしたりするのは明らかに不自然で、やはりそっちの方に「偏向している」と見られても仕方がない。
そのようなメディアは「容器」の機能を失っており、もう既に「偏向した中身」が詰まっているのである。
だからぼくは友人から「中立」の言葉を聞いて、ギョッとするとともに「さもありなん」と納得してしまったのだ。

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