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2011年8月 5日 (金)

殺し合いにならない議論

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●オオカミなどの肉食獣は同種間で傷つけ合わないよう戦い方が「儀式化」されており、片方が「降伏の合図」をすればそこで戦いは終わる。
しかしハトのように弱い動物は、同種間での戦いが「儀式化」されておらず、「降伏の合図」も決まっておらず、残忍な結末を迎えることがある。

●ある大学の講師が、「“ 議論になること=よくないこと”だと思っている学生はいる。その考え方はいけないとどうすれば教えられるだろうか?」書いていたが、 議論の「負け方」を教えたら良いかも知れない。
「負け方」を知ってるオオカミ同士の争いは殺し合いにならず、それを知らない学生はおそらく議論を「殺し合い」だと思ってるだろうから。

●論争で相手と意見が衝突した場合、相手と自分のレベルの違いを見極める必要がある。
相手の方がレベルが高いと判断できる場合は、自分の意見が間違ってると判断できるし、自分の方がレベルが高いと判断できる場合は、やはり自分の意見が間違ってると判断できる。

●いくら論争しても、相手を打ち負かしたり説得することは不可能だ。
つまり、どんな場合でも「自分の方が間違っている」のであり「相手の方が正しい」のであり、そう思っていれば少なくとも「勉強」にはなる。

●福島の原発事故以来、多様化していた日本人と価値観は、ある意味で二分化したと言えるかも知れない。
だから今の自分は、いつも以上に他人と大きく衝突しそうで怖くなる。他人の価値観を尊重する態度を徹底しないと、自分に負けそうになる。

●自分がどれだけ高尚なつもりでも、「自分の価値観」である限りそれは「昆虫並み」であることに変わりはない。
他人の価値観であってもまた同じ。お互いの「価値観」を角の様に振りかざし、カブトムシの様に取っ組み合いをしても虚しいだけ。

●原発を巡っては、自分の価値観にこだわる人ほど体制に反発し、「自分の価値観なんかどうでも良い」と思う人ほど体制におもねっており、そのように価値観が二分化している。
「価値観にこだわらない」と言う他人の価値観を認めなければ、衝突は避けられない。

●「自分の価値観」にこだわることは、実はけっこう難しい。
色々な経験をし勉強しないと価値観そのものが形成できない。
それが面倒な人は「みんなの価値観」に合わせ、体制におもねる。
ぼくもあらゆる分野について「自分の価値観」にこだわることはできす、部分的に「みんなの価値観」に合わせてる。
だから自分のことを棚に上げて、他人の批判ばかりしてると足下をすくわれるだろう。
そもそも「自分の価値観」とは「他人の価値観」のコピーでしかなく、その状況を可能な限りモニターする必要がある。

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