『裏窓』と「われ−それ」の世界
ヒッチコック『裏窓』を観たけど、この映画は一眼レフの元祖「エキザクタ」が出てくるのでカメラマニアの間では有名だ。
しかし主人公は望遠鏡替りに覗くだけで、写真は撮らないw
それよりも呆れるくらいの大衆向けエンターテインメントで、こう言うもんか…と改めて感心してしまった。
この映画は「のぞき趣味」という大衆の下衆な望みを叶えている…いやな表現だが、ワイドショー的と言ったら良いかも知れない。
ともかく大多数の人が望む事を、そのイメージのまま実現しサービスしている。
例えばタランティーノ映画のような「裏切り」が一切無く、あらゆる事がお約束通り、戯画化されている。
『裏窓』は映画と言うより舞台上の芝居の様で、ヒッチコックもそれを意識してるのかもしれない。
もしかすると、ヒッチコック映画は全部「芝居」の系譜なのかも…これに対しタランティーノの映画は、モダンアートの系譜かも…系譜によって映画は分類できる?
ヒッチコックはちょっと前『ハリーの災難』も観たけど、思えば大衆演劇風の下衆な内容だった。
なんと言うか死体をモノみたいに扱って、死者に対する敬意が無く「人が死んでんねんでっ!」と突っ込みたくなったw
この、何か大事なモラルを欠いた感覚は『裏窓』にも共通している。
ヒッチコック映画の世界は、ブーバーが指摘する「われーそれ」の世界だと言えるかも知れない。
覗きにしろ、死体の扱いにしろ、人間を「もの」の様に扱い、そのように扱う人間もまた「もの」になる世界。
ある意味人間味があって、別の意味では人間性は皆無だ。嫌いだけどヒッチコックは別の作品も見たくなるw
「芸術とは何か?」を知るにはタランティーノや小津安二郎の映画がヒントになり、「大衆とは何か?」を知るにはヒッチコックの映画がヒントになる。
どちらも優れた映画であり、非常に為になる。
ところでタランティーノ『デス・プルーフ』がニコニコ動画にアップされてるのに気付き、また全部見てしまったのだか、ダラダラしたガールズトークを、ニコ動のダラダラしたコメントと一緒に見るのはちょうど良いかもw
もちろん画質は悪いので、先にDVDでちゃんと観ないと極上の映画が勿体無い。
『デス・プルーフ』は観る者に非常な我慢を強いるが、決して早送りせずに観続ければそれだけの「ご褒美」が用意されている。
いや繰り返し観ると、その我慢のシーンがだんだん快感になってゆく変態映画だw
ヒッチコック映画が「われーそれ」の世界だとして、タランティーノの映画は「われーなんじ」の関係を実現してるのか?
それは不明だが、少なくともタランティーノは「映画とは何か?」という「全体性」に向かって問いかけているように思える。
ブーバーの「われーなんじ」は部分を持たない全体性らしいので…
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コメント
「人が死んでんねんでっ!」
コーエンブラザーズのファーゴを最初に見たときの感想がそんな感じでした。
死体を隠そうとして材木をチップにする機械に突っ込んで脚だけ出てるところ、
へ人が来てうろたえると、観客は笑うワケです。
投稿: schlegel | 2011年8月14日 (日) 09時16分
私の父は戦争のときに俳優の佐野周二さん(関口宏さんの父=関口知宏さんの祖父)と同じ部隊で親しかったことは知っていたのですが、その部隊に短期間だったようですが小津安二郎さんが居た期間があって北京で三人でよく映画を見ていたというのは父の没後に姉から聞いて知ったことで、今となっては詳しいことが聞けないのが残念です。
最近になって知ったのですが小津監督は軍部から戦争記録映画の撮影を打診されていたらしいのです、当人は引き受ける気はなかったらしいのですが国内では見ることができないアメリカ映画の技法を見るチャンスにしたようですが、そのときに佐野周二さんに誘われて父も一緒に見ていたようなのであります。
今になってみれば父が戦争中で見られなかったはずのアメリカ映画にやたら詳しかったのは不思議なことで、どうもその謎解きはそういうことのようであります。
聞き損ねてしまった。。。。。。
私が父から直接聞いて印象に残っているのは、軍部に検閲されたつまらない日本映画を佐野さんが楽しそうに見ているが理解できなくて「つまらなくないですか?」と聞いたら「つまらないですねえ・・・でも、仲間が元気に頑張ってるのが見られてうれしいのですよ」と
投稿: 遊星人 | 2011年8月16日 (火) 20時58分
お盆でもあり、父が書き残した原稿を改めて探してみたら昭和15年に「風と共に去りぬ」の訳本を北京陸軍病院の看護婦さんから借りて読み、映画のほうはその翌年に北京の映画館で吹き替えなしの英語版を見たと書いてあります、当時の北京にはミッションスクールもあって英語が分かる中国人は少なくなかったのだそうな。
Wikiの記述では小津監督は「風と共に去りぬ」をシンガポールで見たと書かれていますから、それが事実とすれば北京に滞在していたのは昭和15年以前ということになりそうです。
戦争中は日本国内では敵国アメリカ映画など見られなかったわけですが、日本軍が占領していた北京やシンガポールでは新作のアメリカ映画を見ることができたというのはなかなかオモシロイ事実ですし、日本軍に支配されていてもアメリカ映画を仕入れてくる北京やシンガポールの映画館もたくましい(笑)
そのアメリカ映画をさんざん見たはずの小津監督が戦後にアメリカ映画の技法を否定するような撮り方で名作を作っているわけでして、少なくともアメリカ映画の「どうだスゴイだろう」的な表現には嫌悪感があったのでしょうね。
投稿: 遊星人 | 2011年8月19日 (金) 19時09分
こちらも返信遅れました。
>schlegelさん
コーエン兄弟はまだ見てないので、レンタルショップで探してみます。
>遊星人さん
引き出しの多いお父さんで感心しますが、ぼくの父にはそもそも引き出しが付いていたかどうかw
>「つまらなくないですか?」と聞いたら「つまらないですねえ・・・でも、仲間が元気に頑張ってるのが見られてうれしいのですよ」と
本当の映画好きは、つまらない映画を「つまらない」と認識した上で楽しめるのだと思います。
昨日はタランティーノ推薦の深作欣二監督『ガンマー3第号宇宙大作戦』観たけどやっぱりつまらなかったしw
>そのアメリカ映画をさんざん見たはずの小津監督が戦後にアメリカ映画の技法を否定するような撮り方で名作を作っているわけでして、
優れた表現者は自分が嫌いなものの研究もとことん追求する、と言いますね。
ぼくも見習わないと・・・
投稿: 糸崎 | 2011年8月23日 (火) 22時25分
父の部隊が駐留していたのは北京の南苑飛行場だったので人の出入りは多かったのでしょうね、佐野周二さんは暗号技術を習得していて航空通信のためにいたようです、アメリカとの関係は険悪になっていましたが太平洋戦争に突入する前だったので父の記述には「仕事は事務で暇だったので自分専用のクルマもあったのでよく出歩いた」とあります。
Netで調べてみると小津監督は昭和12~14年まで中国の戦線にいたとあるので、帰国直前に南苑飛行場に短期間滞在したのかなと思います、だとすれば「風と共に去りぬ」を見ていないのは納得できます。
戦前戦中の小津作品は知らないのですが、戦後の名作と言われている作品もあのスローテンポと動かないカメラにはかなり忍耐力が要りますよね(笑)、あれって舞台演劇を最前列で見ている感覚に近いような気がします。
投稿: 遊星人 | 2011年8月24日 (水) 20時09分
遊星人さんには、父の思い出と自分の経験を交えた博物学の本をぜひ書いて欲しい・・・
映画の面白いところは、その監督が影響を受けたという映画を観ると、その監督の理解がより深まる点ですね。
まぁ、これはどんな芸術分野にも当てはまるはずですが、映画はともかくレンタルDVDのシステムが気軽なので、すぐに確認できます。
そのかわり時間は取られますが・・・『風と共に去りぬ』も観たいですが、調べたら3時間42分もあるので迷いますw
>戦後の名作と言われている作品もあのスローテンポと動かないカメラにはかなり忍耐力が要りますよね(笑)
それが、最近ぼくが小津映画にはまった理由の一つに、あれがアクション映画であることに気付いたことが挙げられるのですw
例えば『東京物語』のうちわアクションとか、スターウォーズのライトセイバー以上に目を見張りますw
投稿: 糸崎 | 2011年8月24日 (水) 22時06分