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2011年8月30日 (火)

プラネット・テラーとデス・プルーフ


ロバート・ロドリゲス『プラネット・テラー』観たが、普通に面白い映画だとは言えるだろうが、同じく「グラインドハウス」のコンセプトで作られたタランティーノの『デス・プルーフ』に比べるとだいぶ劣ってしまう。
いや、『デス・プルーフ』の凄さを知る上でも、『プラネット・テラー』はセットで観るべきと言えるかもしれない。

『プラネット・テラー』も『デス・プルーフ』も、「グラインドハウス」と言われる70年代アメリカB級映画のオマージュで、言ってみれば両方とも悪ふざけ映画である。
しかし『プラネット・テラー』が「B級映画の枠内」で遊んでるのに対し、『デス・プルーフ』は「映画」というもの自体を対象化し、場外乱闘で遊んでる感じがする。

恐らく、A級映画に比べて洗練度が低いB級映画は、映画表現としての「間違い」が混入し、映画の「外部」へと部分的に飛び出している。
そのような天然の「間違い」を取り入れ、意図的にコントロールし、映画の「外部」へ大胆にのびのびと飛び出したのが『デス・プルーフ』で、何度見ても非常な爽快感がある

そんな『デス・プルーフ』に対して『プラネット・テラー』の悪ふざけは予定調和的で、その意味で優等生的な映画と言えるかもしれない。
ロバート・ロドリゲスは昔のB級映画の断片を再構成して同レベルのB級映画を作り、タランティーノはB級映画の要素を利用し超A級映画を作った。
ジャンク映画を切り貼りして高級映画を実現するタランティーノの映画は、真の意味でのジャンクアートなのかもしれない。

タランティーノの映画はまた、ダヴィンチの絵画にも共通する「芸術的退屈さ」を含んでいる。
ロバート・ロドリゲスの映画にはそれがなく、観客に対し絶え間なくサービスし続けている。

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