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2011年8月 1日 (月)

歴史教育と国民のコントロール

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全ての「考える」事は、「自分とは何か?」を考える事に繋がっている。
例えば「政治とは何か?」を考える事は「政治」と言う概念を使い「自分とは何か?」を考えることであり、「タンパク質とはなにか?」を考える事は「タンパク質」と言う概念で「自分とは何か?」を考える事である。
だからもし為政者が、国民をコントロールし易くする為にその「考える」力を減退させようとするなら、国民にとっての「自分とは何か?」を曖昧にするのが一つの方法になる。

国民が自ら「考える」力を備え過ぎると、為政者は国民を意のままにコントロールするのが難しくなる。
かと言って、国民の知的レベルが低く野蛮すぎても、コントロールし切れなくなってしまう。
だから国民に十分な知識を与える一方で、その「考える」力の一部を奪うような教育法が、効果的になる。
その意味で日本の義務教育は、子供に知識を与える一方「考える」力を奪っている。
と、改めて思ったのは網野義彦『「日本」とは何か』(講談社学術文庫)を読んだからだ。
日本の教育は、日本国や日本人の由来をはっきりさせないまま歴史を教えている。
「日本人とは何か?」が曖昧だと「自分とは何か?」も曖昧になり、「考える」力が奪われる。

網野義彦の主張によると、「日本国」が無ければ「日本人」も存在し得ない。
だから例えば縄文時代に日本人は存在しないし、卑弥呼も聖徳太子も日本人ではない。
もしタイムマシンで遡り彼らに「あなたは日本人ですか?」と問えば「違う」と答えるはずだ。
彼らの時代に「日本」と言う国は存在し、従って「日本人」も存在しないのだから。
ところが現代日本の学校教育では、彼らは当然の様に日本人で、日本と言う国が太古の昔から存在していたかのように教えている。
歴史を教えながら、その最も肝心な「根本」を曖昧にし教えないのだ。

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「日本国」や「日本人」はいつから存在するのか?を曖昧にした歴史教育を受けた子供は、根拠の無い「日本人としてのアイデンティティ」を持った、為政者にとって都合の良い大人になる。
日本人を誇り、また日本国を憂いてマジメに日本を考えながら、「日本とは何か?」と言う根本を考えない人は、自分の考えが誰かにコントロールされてても気付かない。

「日本人とは何か?」の根本を遡る思考を奪われた子供は、「自分とは何か?」を正確に思考する力も身に付かず、全てを曖昧に表層だけで考える大人になる。
こうした国民は、為政者にとって都合が良い。
なぜなら為政者としての「旨味」は、国民の「錯誤」によって成立しているからである。
国民が物事の根本に遡り、正確に「考える」力を身につけると、為政者は真面目に国民のために働かなくてはならず、「旨み」がなくなってしまう。
だから為政者としての「旨み」を確保する為に、国民には「政治とは何か?」の根本を考えさせず、ある程度「錯誤」させておく必要がある。

現代日本人の多くは、人類の起源がサルなのを知ってはいても、日本人の起源を知らない。
戦前の日本では、日本列島を産んだ神様の子孫が天皇になり、それが日本人の起源だと教えられてた。
現代日本人の歴史観もそのような「神話」を引きずっており、進化論を否定する「キリスト教原理主義者」を笑えない。
日本人捕虜へのヒアリングで「人類がサルから進化した」という知識と「天孫降臨」に矛盾を感じない日本人に、聞いたアメリカ人の方がかえって悩んだとか…
@ataru_mixさんは教えてくれたが、そこをきちんと考えたらアメリカと戦争しなかっただろうし、原発も推進しないだろう。

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日本の建国記念日の由来をウィキペディアで調べると、「紀元前660年、記紀における神武天皇が即位したとされる日」となっている。
一方、韓国の建国記念日は「紀元前2333年、建国神話において檀君が古朝鮮王国を建国したとされる日」となっている。
歴史の古さでは韓国に負けている…じゃ無くて(笑)、架空の神話を建国由来にしてるのはこの両国くらいであることに、あらためて驚く。
しかし韓国の建国記念日は、神話由来の「開天節」と、歴史由来(1945年、日本がポツダム宣言を受諾し降伏を声明した日)の「光復節」の二つがある。
ところが日本の建国記念日は神話由来のみであり、近代国家では他に例が無いかも知れず、各国と比較するとその異様さが分かる。

日本の建国記念日2月11日は旧暦の元旦で、その由来は紀元前660年の神武天皇即位にある。
しかしその当時の日本列島は、歴史的には縄文時代に区分されているのだ。
もちろん、個人が何を信じても自由だと言える。
しかし、架空の神話を元に建国記念日を法律で定める国が、果たして「近代国家」と言えるのか?
もしかすると日本の為政者は、国民が「近代人」になり切れないようコントロールしてるのかも知れない…
などと、あらぬ事を勘ぐられても、文句は言えないだろう。

 

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