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2011年8月 1日 (月)

綿密と行き当たりばったり

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アートの勉強をするのに美術館に観に行くのは金がかかるし、無料のギヤラリー巡回も手間と交通費が掛かる。
近所の図書館で画集を見るのは無料だが、複製品なので本物を観た事にならない。
この点映画だったらレンタルDVDは安いし、複製芸術なので液晶モニターで観ても「本物」だし、良いかも知れない。

昔のブラウン管テレビより、今のパソコン用液晶モニターの方が映画スクリーンに近く、レンタルDVDもより「本物の映画」として鑑賞できる。
良い映画は繰り返し観るたびに発見があり、それを書けば評論の練習になるかも知れないし、その分析は自分のアートにも応用できるかも知れない。

というわけで、最近は『女囚さそり・701号恨み節』と言う日本映画と、クエンティン・タランティーノ監督『ジャッキー・ブラウン』を続けてレンタルで観てみた。
『女囚さそり・701号恨み節』は登場人物の行動が行き当たりばったりで、映画のストーリーそのものも行き当たりばったりで、いかにも「B級映画」という感じだ。
これに対し、『ジャッキー・ブラウン』は伏線がビシバシ貼られており、繰り返し観るたびにさまざまな「発見」のできる綿密な作りで、まさに「A級映画」と呼ぶに相応しい。
この違いは、単に気晴らしや暇つぶしで観る娯楽映画と、真剣に楽しむための芸術映画との違いだとも言えるかもしれない。

映画が時間を介した編み物…テキスタイルのようなものだとすれば、A級映画は「綿密に編み上げられた高級テキスタイル」で、B級映画は「行き当たりばったりに編まれた素朴なテキスタイル」と表現できるかも知れない。
そして、そのどちらにも特有の「味わい」があり、それぞれに楽しみ方があると言える。
映画の世界では、綿密に計画された作品が「A級映画」とされ、行き当たりばったりの作品は「B級映画」とされ、どちらにも需要があり上手く棲み分けている。

ところが日本のアート界では、「感性」の名の下に「行き当たりばったり」ばかりが推奨される。
「行き当たりばったり」とは、綿密な計画を立てながら制作する人だからこそ、たまにそれをすると上手く行くという裏技の一種なのかも知れない。
そんな「行き当たりばったり」が、アートの世界ではなぜか「常道」だと誤解されている。
映画界と比較すると、アート界のこの風潮は不思議なことだと言える。

まぁ、その原因は岡本太郎の「芸術は、爆発だ!」にあるのは分かってはいるのだが、分かってはいるけどなかなか抜けられないのが岡本太郎の「呪縛」なのである。
自分がタランティーノ並みのアート作品をつくることを考えると、相当な知識と教養を身に付けなければならないだろうし、技術力も人間力も要るだろうし、しかし勉強はなかなかはかどらないし…といろいろ焦ってしまうのだ(笑)。

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