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2011年11月19日 (土)

子供と自己責任

Sr8599267

●人間、話せば分かる。伝わらないことが。

●「みんなが大丈夫」ってるんだから大丈夫、と判断する人に差し出がましいことは言えない。

●「自己責任」を判断力のない子供に求めることは出来ないが、人様の子供に対しても差し出がましいことは言えない。北野武監督『菊次郎の夏』観て感動したけど、どんなにつらくても結局は大人になった本人が引き受けるしかない。親を恨んでも運命だから仕方がない。

●人様の子供がいかに不幸になろうとも、自分のせいではない、と言うことはできない。「無力」な分、責任の一端は自分にもある。

●子供に安心を与えたい大人は安心を求め、子供に真実を教えたい大人は真実を求める。

●いちばんの「善意の悪魔」って誰なんだろうか?

●ロダンの「考える人」は考えるフリをしている、だって彫刻だし。そして、ロダンの彫刻のように、考えるフリをする人たちが存在する。

●「他人のため」と口にすれば、実際に誰の役に立っていなくとも自己満足できる。

●猿の毛繕いのように、お互いを認め合う人達が存在する。

●「初心者向け」とか「入門者向け」って、時として「偏差値が低い人向け」とかって意味に使われることがある。

●向上心のない人には、永遠の初心者の座が与えられる。

●初心者に説明するのは好きだけど、向上心のない人に説明すると果てしなく疲れる。

●常識とは、ひっくり返してもすぐ元どおりになる起き上がり小法師みたいなものだが、底面が割れると倒れたままになる。

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