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2011年12月

2011年12月18日 (日)

東京カテドラルとスカイハウス

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彦坂尚嘉さんに誘われて、六本木美術館で開催の『メタボリズムの未来都市展』観て堪能したのですが、それとは別に展望台からの風景に釘付けに・・・

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その後、文京区の『東京カテドラル聖マリア大聖堂』を観に行きました。

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設計は丹下健三。

ステンレススチールの外壁は双曲放物面で構成され、各ラインが微妙なカーブを描いていて美しいです。

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直線で構成された鐘塔も素晴らしくカッコイイ・・・

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まるでナントカ警備隊の基地のようですがw、カトリックの教会です。

内部もこれまたカッコイイのですが、残念ながら撮影は禁止。

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最後は菊竹清訓設計のスカイハウス
建築界では有名な建物だそうですが、ぼくはぜんぜん知りませんでした。

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その後は、五十嵐太郎さん、南泰裕さん、天内大樹さん、彦坂尚嘉さん、栃原比比奈さん、江藤靖子さんとで、建築系ラジオの収録。
という集まりに参加したのでした。

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ねこのおうち

たまにはネタ写真を・・・

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文京区にて。
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2011年12月16日 (金)

正直者と金儲け

正直者は金儲けが下手、と言われるのは、金儲けが本質的にウソに根ざした詐欺的行為だからかもしれない。
例えばミカンを「リンゴ」や「ナス」だと言えばウソになるが、ミカンを「10円」だの「100円」だのと偽るウソは世間でまかり通っている。

正直者は、例えば自分が栽培したミカンを正直に「ミカン」だとしか言うことができず、それを「10円」だの「100円」だのと偽ることができない。
そのくせお店で売られている100円のミカンに対し、「ミカン=100円」が真実であると簡単に錯覚し騙されてしまう。

しかしお金に限らず、人類に普遍的な「交換」そのものが、本質的にウソに根ざした詐欺的行為なのかもしれない。
例えば「ミカン」という言葉は「本物のミカン」とは似てもにつかないが、われわれは何の疑問も持たずにそれら(存在物と言葉)を交換するという詐欺的行為を繰り返す。

以上のように考えると、人間の知性の本質とは、ウソをつき詐欺的行為を働くことにある。
それが「言語」の機能であり、その意味で<象徴界>とは「ウソをウソとして認める領域」と言えるかもしれない。
また人間の<想像界>は、「ウソをウソとして認めること」を忘れることで、発生すると言えるかもしれない。

人間の本質的な詐欺的行為(言語機能)と、犯罪としての詐欺の違いは、詐欺の「程度」の違いだけなのかもしれない。
人間は本質的に詐欺師でお互いがカモなのだが、ある閾値を超えた者は「詐欺師」として糾弾され、あるいは「被害者」として救済される。

人間は詐欺能力において他の動物から抜きん出ているのであり、猿から人への進化とは、詐欺能力の進化だと言えるだろう。
旧人は原人を上手く騙してこれを討ち滅ぼし、新人(現生人類)は旧人を上手く騙してこれを討ち滅ぼし、現在の繁栄に至っているのかも知れない。

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「やさしさ」と「正しさ」

●「やさしい人」にとって「正しさ」は暴力だと感じられる。

●「やさしい人」は「正しい人」を排除しようとする。

●「やさしい人」は「正しいこと」を言われると凶暴化する。

●「やさしさ」は凶暴である、ということ知らない人の「やさしさ」はさらに凶暴化する。

●「正しい人」は「正しさは暴力だ」と認識しているが、「やさしい人」は「優しさは暴力だ」とは認識していない。

●「やさしさ」とは嘘をつくこと。「嘘をつかない」とはやさしくしないこと。

●「やさしい人」は嘘つきで、「正しい人」はやさしくない。

●「正しいこと」を公言すると世間から悪者扱いされるが、「正しいこと」に口を噤むと自分が自分に対し悪者になる。

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2011年12月 7日 (水)

長野重一・関連リンク

*勉強のためだと思って始めた関連リンクの作成ですが、手間が掛かりすぎて非効率なので、別のやり方を考えてみます・・・

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ウィキペディアより

長野重一(ながの しげいち、1925年 - )は、日本の写真家。

大分県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。在学時に写真サークルである「フォトフレンズ」に入会、そこで野島康三の指導を受けた。1947年9月に大学を繰り上げ卒業して商社に就職したが、その1ヶ月後にフォトフレンズの先輩である三木淳に誘われ『週刊サンニュース』の編集部員となる。このときの編集長であった名取洋之助から雑誌編集の基礎を教えられる。1949年、名取の誘いを受け岩波映画製作所が刊行を計画していた『岩波写真文庫』の写真部員となる。ここで『鎌倉』、『いかるがの里』、『長崎』、『広島』などおよそ60冊の撮影を担当した。

1954年にフリーとなり、総合誌や写真雑誌でルポルタージュを発表。東京を対象とした作品も多く撮影している。 1960年代からは映画カメラマンとしても活躍し、市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』などに参加した。同時期にTV CMのカメラマンとしても活躍。CM時代からの付き合いで大林宣彦監督の映画も数本、撮影カメラマンを担当した。

岩波書店の『日本の写真家』の編集委員でもあった。

The Photographer・長野 重一

長野重一写真展「遠い視線・玄冬」

『遠い視線 玄冬』長野重一

長野重一 作品展 「1960 ベルリン・日本」

長野重一さんの写真

長野重一写真集『香港追憶 HONGKONG REMINISCENCE 1958』

写真集 『日本の写真家(28)長野重一』

長野重一『マガジン・ワーク60年代』

長野重一写真集『HYSTERIC14/NAGANO SHIGEICHI』

長野重一の写真/外界を見る精神の被写界深度(加筆1)


出展


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2011年12月 6日 (火)

マウリツィオ・カテラン関連動画















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マウリツィオ・カテラン関連リンク


ITALIAN AREA

マウリツィオ・カテランの「美術家DATA」
マウリツィオ・カテランの「美術家の言葉」


マウリツィオ・カテラン/Maurizio Cattelan作品画像コレクション

 笑えるアート其の三「マウリツィオ・カテラン/Maurizio Cattelan」

フランスアート界底辺日記

消えちゃったアート作品


 マウリツィオ・カテラン (コンテンポラリーアーティストシリーズ) [大型本]

 


圧巻!グッゲンハイム美術館でのマウリツィオ・カテラン展

グッゲンハイムのマウリツィオ・カテラン展

ニューヨークのグッケンハイム・ミュージアムでMaurizio Cattelanの回顧展「All」が開催中

 Maurizio Cattelan “All” at Guggenheim Museum

3人の首吊り少年彫刻の衝撃

 イタリア一番の首吊りの木

フランソワ・ピノー氏の現代美術館「プンタ・デラ・ドガーナ(Punta della Dogana)」フォトレポート

 

日記7月26日2011年(彦坂尚嘉 Naoyoshi HIKOSAKAの《第6400次元》 e-learning ArtStudy6400
マウリツィオ・カテラン1
マウリツィオ・カテラン2

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ダミアン・ハースト関連リンク


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ダミアン・ハースト(Damien Hirst)の作品画像コレクション

Week 2 ダミアン・ハースト(アート生活)

ダミアン・ハースト (Damien Hirst) ヤング・ブリティッシュ・アーティストを代表する医療系アート作品(デザインブログ バードヤード)

ダミアン ハースト @ サザビーズ ロンドン(フランスアート界底辺日記)

フリーズ・アート・フェア(渋谷ではたらくPRプランナーのアメブロ)

プラダ リポート第2弾(藤岡篤子ブログ)

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《6流》と《超1流》の統合/ダミアン・ハースト分析として

ダミアン・ハーストの顔

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2011年12月 5日 (月)

共同制作で発揮される個性

前回の記事に遊星人さんがコメントを下さったので、記事でお応えします。
実のところ、ぼくはアートに関する知識が不足しすぎているので、あらためてジェフ・クーンズについて検索して、資料としてリンクを貼ったのでした。

>浮世絵師が実際の制作は「彫り師」や「刷り師」に任せていたのと同じようなものでしょうかね?。 映画や演劇やバレエのようないわゆる総合芸術も監督はコンセプトの指示をするだけで実制作はそれぞれのプロに任せていたりしますからね、欧米的な考え方ではアートの中心はプロデュースでテクニックは二の次という感覚があるのかも。。。

どうもぼくは「芸術=個人制作」という先入観に囚われていたようです。
ご指摘のようにこれには歴史的な根拠がなく、まさに先入観にすぎないようです。
むしろより強い個性を発揮するためには、個人制作には限界があり、より大勢のプロフェッショナルたちの助けが必要になります。

例えばタランティーノの映画にはタランティーノの強烈な個性が現れていますが、それも「個人制作」では表現し切れないものです。
個人の力には限りがありますから、その意味で個人制作には限界があり「創造の自由」が阻害されているとも言えるのです。

別の見方をすると、純粋な個人制作は成立し得るのか?という疑問も出てきます。
例えば自分ひとりで絵を描いているつもりの人も、絵の具や絵筆や紙は誰か他人に作ってもらっているのであり、その意味では共同製作なのです。
また、絵の描き方も必ず何らかの形で誰かに教わっている(誰かの影響を受けている)のであり、その意味でも共同制作なのだと考えることができます。

という具合に、そもそも個人制作なるものが成立し得ないのですから、より優れたアーティストほど、より多くの製作協力者を集めることができる、と定義できるかもしれません。
他人を集める力=人間力であるならば、より優れたアーティストがより大きな人間力を身につけていることは、当たり前だと言えます。
もちろん、お金と人手をかければ良い作品ができるとは限らず、そのことはハリウッド映画なんかが示してます。
また、多くの人々が大して価値のないものや人物に魅了されることもあります。
ですので「他人を集める力」も人間力を形成する要素の一つ、と考えた方が良さそうです。

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2011年12月 4日 (日)

ジェフ・クーンズ動画集























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2011年12月 3日 (土)

ジェフ・クーンズ関連リンク

jeffkoons.com

ジェフ・クーンズwikipedia 

ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)作品画像コレクション

ジェフ・クーンズの「美術家DATA」
ジェフ・クーンズの「美術家の言葉」

 

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