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2012年2月21日 (火)

ソシュールの連辞と連合

スイスの言語学者、ソシュールが説いた「連辞」と「連合」について、辞書的な説明と http://t.co/lUi5bbcv 彦坂尚嘉さんの説明 http://t.co/2REswtkcを読んだ 。
自分が理解したところによれば、「連辞」とは言葉の法則や常識など絶対的な連なりで、「連合」とは喚起されるイメージによる連なり。

もっと分かりやすく言えば、「連辞」は、言語の法則に従ってきちんと話される言葉であり、常識的に内容が伝わる言葉であり、まともな人なら誰もが共有できる言葉の領域である。
対して「連合」は法則や常識にとらわれない、イメージの喚起による自由な連なりで、夢や無意識の荒唐無稽な世界は「連合」の領域だと言える。
さらに意識の覚醒時、この「連合」の豊かさがその人の個性となり、質となり、そのことは学問やアートにとって非常に重要なのである。

つまり「連合」が貧弱な人は、「連辞」に依存し、常識的な思考をするから無個性になる。
反対に「連合」が豊かな人は、「連辞」に縛られることなく、創造的な分野で個性を発揮し成果を出すことができる。

「連合」を強化するにはどうすればいいのか?
「連合」とは先に書いたように「無意識」の領域であり、無意識とは「象徴界」という言葉の連なりであるから、結局はたくさんの言葉を学ぶと「連合」は強化される。
つまりは出来るだけたくさんの本を読んで、アートも優れた作品をたくさん見て、勉強することである。
そう考えると、自分自身はアートについて「連合」で語れるほど豊かに成熟してないことに思い当たるのだった。

という自分の立場を棚に上げて考えると、例えばアートについて、あるいは写真について、その人が「連辞」で語っているのか、「連合」で語っているのか、その見分けによって不毛な議論を回避することができるだろう。
一般に、多くの実作品を知る専門家はアートについてのイメージが豊かで「連合」によって言葉を連ねる。
対して素人は通俗的で杓子定規的な「連辞」でアートを語るから、話が噛み合わなくなる。
また、当初は豊かな「連合」であったものが、語り継がれる度に収縮し、凝り固まった「連辞」へと変化する場合もある。
だから専門家が素人に分からない言葉で語っていたとしても、それが「連合」であるとは限らないのである。

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